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第1章 アイ・アム看護婦!
…ナイチンゲールという仮面

ナースコール……久保明子(仮名)29歳の場合
深夜零時過ぎ、302号室のナースコールが鳴った。
ナースコールの主は、昨日入院してきた43歳の原田さんだった。
「原田さん、どうしました?」
枕元の小さなライトをつけると、ガーゼの寝巻き姿の原田さんは、上品そうな白い
顔を不安げに曇らせている。
「あの〜…看護婦さん、どうしても眠れないんです…」、
「ツライわよねぇ〜…」
いきなり隣のベッドから、カーテン越しの声がかかる。
「病院のベッドだと、どーしてもデリケートになっちゃうのよねぇ。あたしもね…」
56歳になるお喋り主婦の小島さんだ、私は、聞こえないふり。
「初めての入院で、緊張してるんでしょう。原田さん、今晩だけだけでも眠剤を飲み
ます?」
私が優しく言うそのそばから、再びカーテン越しの声。
「ちょっと久保さん、あたしにも眠剤ちょーだい。な〜んか眠れなくてさぁー…」
ーーええ〜…またぁ〜?

「ハイハイ、小島さんも眠剤ですね…」
ーーあれだけ昼寝すりゃあ、誰だって眠れないわよ…。オバチャン、あんたのお昼
寝タイムは、毎日午前中1時間、午後2時間、計3時間ヨ、3時間! だから昼寝は
するなっていつも言ってるのに〜。
「もうほかの患者さんはお休みになってますから、静かにね」
私は二人に向かってというより、特にこの6人部屋のボス的存在、小島さんに言い
聞かせるようにして眠剤を渡し、ナースステーションに戻った。

305号室からのナースコール、73歳になる斎藤のお婆ぁちゃんだ。
同じ深夜勤務のミエコが、久保さん、ナースコールが鳴ってます…と、他人事のよ
うに告げる。
この看護婦半年目のミエコのヤツ、見れば回診カルテを机いっぱいに広げタラタラ
整理中。まったく動こうともしない。
ナースコール鳴ってんだったら自分が行けよなー、なんのための深夜勤務だよー!
いつものことながら、このミエコには、ホント、腹が立つ。ニブイのか図々しいの
か、日勤のときだって、どんなに先輩の看護婦たちが忙しがっていても、上から具体
的な命令を出さなければ、ボーッとしたまま動こうとはしない。
ーーツイてないなぁ、今夜の深夜は……。

当直医は、散歩と称してすぐ雲がくれする、N大の整形外科の頼りなさそうなバイ
ト当直の若い医師……。そして、深夜の相棒はこの新米ミエコだけだもんねー。
どんくさいミエコに注意するのも馬鹿らしい、私はさっさと305号室に行く。
「あ…看護婦さん、もー腰が痛くて痛くて…」
斎藤のおばあちゃんは、布団をアゴの下まで埋めて、弱々しい声で言う。
「シップ薬を1枚…いえ、もう2〜3枚」
ひどく哀れっぽい声だ。
「斎藤さん、消灯前に2枚上げませんでしたっけ?」
「でも、痛いンですヨォ!」
とたんに元気そうな不満声。ふくれっつらでバッと自分の布団をめくり、さも痛そ
うに腰をさすってみせた。
「シップ薬ですネ、ハイハイ」
も〜おばあちゃんったら……。毎回1枚しか使わないくせして、シップ薬ばっかり
貯め込んでどーする気? と、口まで出かかったが、でも言わない。さっさかシップ
薬を取ってきて渡す。

血圧の病気で入院しているコノ斎藤さんのおばあちゃん、なぜかピンク色が大好き
で、ピンクのパジャマにピンクのカーディガン、タオルにコップにスリッパ、着るも
のから身の回りの日用品すべてピンクで統一するという凝りよう。
この6人部屋のほかの患者さんからも、斎藤さんと呼ばれず、いつしか"桃ちゃん"
というニックネームをたまわった。
日中、ニコニコと愛嬌もあり、患者さんとしてもとてもオリコウなんだけど、なぜ
かしらシップ薬に凝っていて(!?)、ことあるごとにやたらとシップ薬を欲しがる。
シップ薬のことを言い出したら、医者や婦長の言葉にもいっさい耳も貸さない頑固
なところがあるおばあちゃんなのだ。
きっと長期入院の斎藤さんのおばあちゃんにとって、貯め込んだシップ薬は、心の
安定剤なのかもしれない。

ナースステーションに戻って1分も立たぬうちに301号室から
「看護婦さん、隣の人、しとしとぴっちゃんだよォ」と、右足骨折のおじさんの声。
ーーあ、山田さんのおじいちゃん、昨日からちょっとお腹がゆるいのよね…。
ミエコは、相変わらずカルテ整理で机にへばり付いたまま、動こうとはしない。
ーーぜぇ〜たいッ、朝の申し送りのとき、ミエコのことは婦長に言いつけてやる!
「おじいちゃーん、今オムツ替えましょうねえ。気持ち悪かったでしょう?」
その後の午前1時のラウンド(各病室の巡回)は、途中からのナースコールで何度
もナースステーションに呼び戻される。
今夜は、動けない患者さんのシッコやウンチコールに呼び出されっぱなしだ。
ベッドに行くのが少しでも遅れると、気持ちが悪いのかオムツを外そうと努力(?)
してるおじいちゃんがいたりする。ま、それでもウンチのオムツに指突っ込んで、自
分で点検しないだけマシだ。
しかし、ほかを回っていても、遠くでナースコールが聞こえてくると、今度は何が
起こったのかと気が気じゃない
なんで今夜に限ってこうなのヨォ〜!

ミエコと一緒にラウンドしても、身体を動かせない患者さんの何人かは体位交換を
忘れたり、オムツの交換にひどく時間ばかりかかってラチが空かない。結局、私が再
度点検に行くはめになる。
ポータブルトイレとオムツを抱えたまま、ついでにトイレの鏡を覗き込む。キャッ
プをかぶった頭は、はみ出た髪の毛でボーボー。化粧っけない徹夜状態の顔は、目の
下クマ、お肌ボロボロ、唇ガサガサ……。
ーー……アタシ…ダレ……?
ーーアタシハ看護婦サン…。看護婦8年目ノ久保明子、忙シクテ泣ケテキマス!

そして、この日の深夜のとどめは、救急車!
午前3時20分、ラウンド中に救急隊から胃痙攣らしき患者を搬送してくると連絡が
入ってきた。
すぐ当直医に連絡するが、応答なし。5分ほどで救急車が来てしまった。担架で運
ばれて来た急患は、酒に酔った中年のサラリーマン。
「い、痛い…! 助けてくれぇー…ウウゥー…!」
患者は、外来の処置室のベッドの上で背中を丸め、胃の部分を押さえたままウンウ
ン唸り、ひどく痛がっている。アブラ汗で濡れた髪がひたいに張りついている。どう
見ても急性胃痙攣の症状だ。
再び、当直医にインターフォンで連絡する。が、応答無し。大急ぎで当直室を覗き
に行くが、仮眠ベッドはもぬけの空……!
ーーまた散歩だ! ムム、あのセンセー!
ずーっと前の深夜でも、急用であの当直医を探したっけ……。確か、裏の駐車場で
自分の車で音楽聞いてたよなぁ…。
私はミエコに点滴の準備を言いつけて、大急ぎで駐車場へ走った。
案の定、N大のバイト当直医は、車の中にいた。

「センセェー! 急患なんですよッ」
「いやぁ、今夜がヤマのステりそう(死にそう)なクランケもいなかったし……」
スゴイ形相でにらむ私に、この若い当直医は、車から降りてきながら、口の中でモ
ゴモゴ言い訳する。
ーーふんッ! 死にそうな患者がいなけりゃ、当直室にいなくてもイイってか!?
私は、この当直医の背中を足で蹴り倒さんばかりの勢いで、外来の診察室に追い立
てた。この間、救急車が到着して10分経過。診察室では、救急隊員ふたりして、少し
ムッとしたまま待っていた。

当直医は、急患を前にして一応聴診器を当てるが、次の指示を出してこない。
「先生、この病状の場合、うちでは○○○○○の鎮痛剤を注射して○○○○○の点滴
で様子を見ますけど……」
整形外科のコノ当直医、専門外の患者を前に手を出しかねているらしい。私は、当
直医である若い医師のプライドを傷付けないよう、さも、うちの病院で通常やってい
る療法かのように伝える。
すると、この当直医、
「あ、そうね。じゃ、ソレ用意して」…だと。
いいのぉ〜? 一介の看護婦の診立てだよ?
小一時間もすると、鎮痛剤が利いたらしく、中年のサラリーマン氏は唸ることを止
めて静かになった。当直医に飲み薬の処方箋を書いてもらい、サラリーマン氏は点滴
が終わりしだいお引き取り願うとして、その前にバイトの当直医には仮眠室にお引き
取り願った。

気が付けば、ナースステーションの窓の外は、夜明けの薄紫の空……。
時計はすでに4時50分を示してる。
あと1時間もしないうちに朝の検温が始まり、朝食の配膳が始まり、日勤との申し
送りが始まってしまう。
私は、オムツや体位交換に追われ、大事な机仕事である回診カルテの整理も記録付
けも、何もしていない。隣の机ではエミコが居眠りこいてる。
たった4〜5時間の間に、なんと仕事が多かったことか。
白衣の裾をひらひらさせながら、暗い廊下を行ったり来たり、一人っきりで真夜中
の運動会をしてしまった私、ムキになって走り回っていた私って、いったい何?
ーーなんだか、私ってば、不毛な青春を送ってるみたい……。

■深夜勤務

看護婦・久保明子の勤務先は、関東近県のK市にあるベッド数50床の個人病院だ。
専門は外科だが、内科・小児科・整形外科と、とりあえず来るもの拒まずで、複雑
な病気でないかぎり患者さんを受け入れている。大勢の外来患者さんと入院患者さん
を、30人の看護婦たちがさばいている。
ほかの病院と比べて、多少の時間のズレはあるかもしれないが、
勤務時間は変則的な3交代だ。
日勤 8時30分〜17時15分
準夜勤 16時30分〜翌日0時15分
深夜勤 0時30分〜9時〜15分


これは、久保明子の勤務表。ベッド数は50床だが実際にはこれよりも多く、いつも
4〜5床多い入院患者さんを受け入れている。
これらの入院病棟の患者さんたちは、日中20人の看護婦がお世話をする。しかし、
準夜勤で看護婦3人、深夜勤では2人だけになってしまう。
深夜勤では、各病室の患者さんの様子を見て回るラウンドが、午前1時と3時。
しかし、この病院では、ラウンドも時間内に終わることは滅多にない。
どうしても身体が不自由で動けないお年寄りの患者さんが多く、ラウンドする際で
も、床ずれができないように身体の向きを変えてあげたり、自分でトイレができない
患者さんのオムツを交換したりすることが主な仕事になってしまう。

オムツ交換のとき、オシッコだけじゃなく、ウンチをしていて、しかも床ずれの出来て
いる患者さんの場合、きれいにしたあとに床ずれの消毒と手当もする。1時間の
ラウンドで、1人の患者さんに20〜30分間はかかる。
1時のラウンドが済んでも、看護婦にはナースステーションでの机の仕事がある。
それは、昼間の回診したときのカルテの整理や、一人ひとりの患者さんの記録付け
だ。これには結構な時間を取られてしまう。そして再び、3時のラウンドが始まる。
そんな状態の中、仮眠する時間なんて、そんな嬉しい時間はまずない。
患者さんが6時起床でも、看護婦たちは検温の準備や、患者さんによっては採血や
採尿で5時半頃からバタバタと忙しくなる。
検温に血圧測定、各患者さんごとのその記録付け、朝食の配膳準備に、身体を動か
せない患者さんの洗面介助に食事介助…。
その忙しい最中に、日勤の看護婦たちが次々に出勤してくる。日勤の看護婦たちは
机に座る暇もなく、深夜を手伝いながら仕事を引き継いでいく。

深夜だった看護婦は、オムツ交換で忙しくて深夜勤務中にやり残した記録付けを、
申し送り時間前のぎりぎりまでになんとか書いて提出出来るようにしなければならな
い。そして、ようやく婦長を中心にした日勤の看護婦たちへの申し送りが始まる。
この申し送り終了後が、深夜勤務の終了でもある。
23〜24歳の若い看護婦なら、自室に戻って3時間も仮眠すれば元気に遊びに行った
りするが、久保明子のように、29歳という大台の声が近くなると、とてもそんな余力
はない。自室に戻って、ひたすら眠りをむさぼることになるのだ。ま、年ってことで
しょうが、睡眠が一番のご馳走だなんてチト寂しい……。
世間では、看護婦の仕事が、きつい・汚い・危険の3K仕事と同情されているよう
だ。でも、看護婦…少なくとも久保明子にとって、看護婦への3K評価は侮辱だ。
なぜなら、彼女は、ごく普通に仕事を選んだ。その仕事は、たまたま”看護婦”と
いう名のお仕事だったのだから……。

ナースは千手観音!?
(人は白衣の天使と呼ぶけれど…)

■看護婦になった理由


小さい頃からの憧れで、なりたかったもの…それは看護婦さん! …っていう女の
子は、今時あんまりいない。
看護婦は、給料がイイけど3K重労働で不規則…という看護婦のイメージがある。
確かに看護婦の給料は、一般事務の若いOLより高い。都会と地方の物価指数にも
よるが、看護婦の給料は同年代のOLと比較すれば、数万円〜10数万円高い。
ただし、看護婦の昇給率は、だいたい30歳を越えたあたりから緩やかなカーブにな
っていく。年をとり体力が衰えていくほど、昇給率が下がっていく仕組みだ。
なのに看護婦の仕事は、年齢に関係なく一年中常に仕事量(労働時間)も内容(看
護以外の雑用)もテンコ盛りだ。しかも、神経の遣い方も人並み以上に要求される。
生涯働くには”看護婦”というプロの職種は、給料に換算すれば、あまりにも報わ
れない仕事だと思う。
かと言って、看護婦たちは、決して仕事の手を抜いていないつもりだ。いつだって
一生懸命働いてるし、いつだって患者さんの看護のことは頭から離れない。

変則的な3交代勤務のおかげで、日曜祭日は滅多に休めない。ほとんどが徹夜状態
で、深夜勤務が1ヵ月間に7〜8回もある。
この変則的体制で、私、せっかく捕まえた恋人に逃げられました…と言う看護婦が
ゴロゴロいる。これは、お年頃の看護婦にとって、共通した悲哀現象だ。
では、3K職業と言われる看護婦に、女の子たちがなぜ就くのか……?
たとえば、看護婦8年目の久保明子の場合は、看護婦という仕事に対して、特別に
強い思い入れがあったわけじゃない。
なんてことはない、高校のときの仲良しグループの6人中、看護婦を目指すという
友達が3人もいた。じゃあ、アタシも…ってな軽いノリだった。
久保明子は小さい頃から動物が好きだった。で、本当は獣医になりたかった。でも
高校の担任教師から、1年浪人する覚悟なら獣医の大学に入れると言われ、浪人して
まで獣医になるなんて面倒臭いワ、とアッサリ方向転換しただけだ。
それに、看護婦の資格ならとりあえず一生食いっぱぐれもないしネ。
そんなわけで彼女は、高校卒業後仲良しグループと一緒に、県立高等看護学校に3
年間通って、国家試験にパスして正看護婦になった。今考えても、単純な動機で看護
婦になってしまったなぁと、彼女は思っている。

看護婦の中には、子供の頃に世界の偉人伝かなんか読んで、ナイチンゲールに感動
してコノ道に入ったという、純情な女の子もたま〜にいることはいる。
看護の使命感に燃えてますッ、尊敬するナイチンゲールに看護精神を学び立派な看
護婦を目指してますッ、という看護婦に出会うと、ノー天気な彼女としては、ただひ
たすらヘヘェーッと恐れ入るしかない。
しかし、彼女の回りを見ても十中八九、そんな殊勝な看護婦は滅多にいない。
看護婦になる動機は、だいたい久保明子と似たりよったりだ。
仲良しの友達が看護学校に行くからアタシも行くという人や、母親が看護婦やって
て、本人は病院内にある保育所育ち、当然のように大きくなったら看護婦になるもの
だと思ってたという人もいる。
また、姉が看護婦さんだったから、自分も自然になったという人も結構多い。
最終目標の養護教員(学校の保健の先生)から、途中で進路を変更して看護婦にな
る人もいる。
それは、正看護婦の資格を取得した時点で、もう1年勉強するのに息切れがして、
看護婦でもいいかァ…と、自分の頭と相談した結果、そのまま看護婦になった人だ。

変わったところでは、看護婦になる気もなかった、でも意地でなってしまった、と
いう人もいる。その人は、姉が看護婦で、親から「あんたはノソノソしてるから、絶
対に看護婦なんかになれないヨ」などと言われ、そのひとことに発奮して、看護婦に
なった。もちろん、今では一人前の看護婦として立派に活躍している。
久保明子の周りには、ヤンキー出身の看護婦が何人かいる。
高校在学中、市内のディスコなどで、茶髪でブイブイいわせてたミキは、
「アタシさぁ、看護学校の試験では一次はOKだったのにィ、高校ンときの生活態度
悪かったから、内申書でマズって二次で落とされちゃったのよねー」
……と、告白した。
元ヤンキーだったミキの場合は、けなげにも病院で働きながら准看護婦養成所に2
年通って准看護婦になった。その後、大学付属の看護学校に3年間通って正看護婦。
今では、どっから見ても立派なナイチンゲールである。
同じヤンキーでも、面倒みのいい婦長の説得で看護婦を目指しているコもいる。
そのコは、某病院のその婦長に説得され、婦長のいる病院で看護助手として働きな
がら准看護婦養成所に通っているそうだ。

■地方で看護婦する理由


たまに患者さんから、「若いから東京のような都会で働きたかったンじゃない?」
…と聞かれることがあるが、地方の看護婦には、決してそんな都会志向はない。
ほとんどの看護婦は地元で頑張っている…というより、まァ自然な成り行きで、と
いうことだろうか……。
地元K市生まれの久保明子にしても、看護婦になるならば、親や高校の教師も薦め
る地元の看護学校へ、卒業したらそのまま学校付属の病院へ、もしくは近所の大きい
病院へ…という過程は、ごく当たり前のことだと思っていた。
看護学校の仲間や仲よしの友達と別れ、だんだん年老いてくる両親を田舎に残し、
今さら都会の病院で働くなんてトテモトテモ……。
だいいち、二十歳過ぎの女一人、見知らぬ都会へ行くなんてスゴク勇気がいる。そ
れよりも、親や看護婦仲間のいる地元で、のんびり暮らしたほうがイイ。
これは、全国各地の医療現場で働く、看護婦のほとんとどの人達も同意見だ。
「県の職員だし、厚生施設もいいから働いている」
……と言ってたのは、新潟の県立病院の看護婦グループ。
県立だから、県内数ケ所にある同じ県立病院や病院内の、3年ごとの転勤がタマの
キズ…。しかし、それは親の住む実家近くに、転勤希望を出せば済むこと。
彼女らにとって、県立病院は、忙しさを除けば都会の病院より精神的に落ち着ける
職場なのだ。

「地元をわざわざ出てまで、ほか土地で看護婦する気なんてないッ」
……とキッパリ言うのは、山口県の瀬戸内海側のY市にある、診療所の看護婦グル
ープ。静岡県のN市や、山梨県のK市の個人病院で働く、ほかの看護婦グループも同
じ意見だった。みんな、地元生まれの地元育ち…看護婦たちは、生まれ育った地域の
病院でごく自然の成り行きで看護婦をやっているのだ。
それでも地元の学校を卒業した人のなかには、都会に出て行く看護婦もいる。
最新医療は都会の大病院で学びたい…という、より上昇志向の強い看護婦にとって、
都会の病院は魅力的に映る。希望に燃えて故郷を後にすることになるのだ 。
しかし、そんな看護婦たちでも、帰ってこいコールには負ける。娘の結婚適齢期を
心配する親からの帰ってこいコールは、特に一人娘の場合だと強烈にこたえる!
恋人もいないことだし(別れた?)、仕事も忙しすぎるし、ここはひとつ、年老い
た親を安心させるためにも、田舎に帰って適当な男を見つけて結婚でもするか…てな
ことで、数年間働いた都会の病院を辞めて、故郷へUターンする。

新潟県出身で、4年間都会に出ていたUターン組のミユキの場合ーー。
故郷へ帰ったミユキは、1年ほど地元の個人病院で働いていたが、大反対する親を
振り切って、元の東京の私立医大へ戻ってしまった。
ミユキは、Uターンをしたものの、県立や公立ような大きな病院の中途採用もない
し、結局近所の個人病院に再就職した。そこには、当然のことながら最前線の医療設
備もなく、東京とは比べようもないほど給料も安かった。
ミユキには、眠ったような静かな田舎の町病院より、すでに4年間過ごした、騒々
しい都会の大病院で、忙しく働く生活のほうが性に合うそうだ。
ミユキが再度上京するとき、結婚適齢期の過ぎた娘を心配し、親は彼女に言った。
「出て行くからには、田舎へ二度と泣いて帰ってくるんじゃない」
ミユキは、上京する前の晩、親娘して一晩泣き明かしたとか……。


■お礼奉公


20〜30年前の准看護婦養成所は、中学卒業後、高校進学するには家計が厳しくて、
働きながらだとタダで学校に行けて、わずかながら給料ももらえ、しかも准看護婦の
資格が取れるから行く、というけなげな志望者もいた。
今は、高校卒業後大学進学するのもシンドイし、学費免除で学校に行けて一生モン
の准看護婦の資格免許がもらえるから行く、という人が多い。また、本人が望めば、
その上の正看護婦コースにだって学費免除でいける。
確かに一生モンの看護婦資格免許は、働きながらにせよ、学費タダの学校に行くだ
けでもらえる。
でも、学費免除っていったって、これは病院側がただ出してくれるわけではない。
准看護婦や正看護婦の資格取得後、その病院で数年間働きます、という雇用契約を結
ぶことになる。
働きながら看護婦になるには、当人の強い意思と体力がいる。
そして、一人前の看護婦になったとしても、当人には”お礼奉公”という恩返しが
待っているのだ。

准看護婦になるには、午前中病院の看護助手として働き、病院付属の学校へ2年間
通う。准看護婦になった場合、その後2年間はお礼奉公。正看護婦は、看護短大2年
間の進学コースへ進み、正看護婦の資格取得後、2年間のお礼奉公がプラスされる。
病院によっては、准看護婦が正看護婦コースに進学することを喜ばないところもあ
る。ひどいイヤミを言われ、時には正面切って進学を反対されることもある。
なぜならば、その病院では准看護婦でも十分戦力にもなるし、准看護婦は、正看護
婦よりも給料が安くて済むからだ。

もし、准看護婦や正看護婦の資格を取った時点で、やーめたッ…と、お礼奉公なし
で辞めようもンなら、即、授業料の全額返済。まず、ほとんどの病院は、院長や婦長
の嵐のような罵倒と共に、契約違反として違約金を請求してくる。
お礼奉公なしというラッキーな病院もあるが、それは例外だ。病院側の違約金額も
さまざまで、授業料全額プラス150万円請求された看護婦から、なんと600万円
という法外な違約金を請求された看護婦もいた。
その看護婦は、600万円という大金がとても払えず、当然、ほかの病院にも移れ
ずに泣く泣くその病院で働いた。
准看護婦養成所に2年、看護短大の定時制に3年、彼女は5年間働きながら学校へ
行ってようやく正看護婦になった。しかし、そのあと5年間ものお礼奉公が……。
結局、彼女は高校卒業後の10年間というもの、人生の中でも一番華やかな娘盛りの
時間を、そんな病院のために食い潰されてしまったのだ。
そんな病院でもお礼奉公中、当り前だが、給料は出る。しかし、年齢やキャリアが
同じでも、ほかの病院から移ってきた看護婦と比べると2〜3割は低い。ボーナスに
したって、ほかの看護婦たちが50万円もらっていたとしても、お礼奉公中の彼女は、
たったの10万円弱……。しかも、ほかの人より休日も少なく、夜勤が多い。
こうなってくると、このお礼奉公の慣習(制度?)は、女工哀史ならぬ現代版看護
婦哀史……!?

久保明子は、ごく普通の専門学校に行く感覚で、県立看護学校へ自宅通学し、県内
の大学付属病院に就職した。
就職してすぐに、先輩看護婦たちからコノ話を聞いた彼女は、近代医療の世界なの
に、未だ封建的なことが現実にまかり通っているのに驚いたそうだ。
働きながらの勉強が覚悟のうえとはいえ、看護学生はとても忙しい。
彼女たちは、午前中病院で働き、午後には学校で授業を受け、授業が終わったあと
も再び病院に戻って仕事という、過酷な毎日に耐えなければならない。
これを2年も続けていると、確実に慢性疲労と万年睡眠不足に悩まされる。授業中
の居眠りは看護学生のささやかな休息時間、これは優しい先生のお目コボシがあれば
こそ出来る芸当だ。

看護学生にとって、自分の職場でもある病院は、働く学生に理解のある婦長
や先輩看護婦がいるかどうかで、そこが天国にも地獄にもなる。
病院側としては、病院付属の看護学生は単なる雑用係、安い給料でこき使えるだけ
使おうとする。しかし、彼女たちは、授業時間以外のレポートの宿題やら、病院の雑
用の合間に医療関係をぶっつけ本番で覚えなければならない。何事にも細かく厳しい
婦長や看護婦がいれば、学生の逃げ場はどこにもない。
しかし、どこの病院にも一人は看護学生を温かくフォローする看護婦や、イビリ名
人の看護婦がいるので、だいだいは、天国と地獄が半分ずつ…のようだ。
病院のそれぞれの体質にもよるが、病院付属の看護学校の学生は、その病院経営上
のご都合看護婦として利用させられることが結構多いようだ……。
ところで、看護婦希望の女の子たちは、元々人間が好き!
看護婦になる途中経過がどうであれ、看護婦になろう、なってもいいかなぁ…と、
職種に看護婦コースを選んだコは、人のお世話をするのが好き、人に自分が何かする
ことによって相手に喜ばれることが好き…という人がとても多い。
たとえ、病院の看護婦たちの人間関係や、環境設備が劣悪でも、看護学生は根性で
看護婦を目指す…。同年代の彼女たちは、同じ教室で学び、同じような環境で働く。
時には、看護婦たちから厳しく怒られ泣きそうになる。それでも人間大好き・お世話
大好きの看護婦のタマゴたちは、お互いに励まし合って、同じ道を目指す。
人が好き、同じ道の仲間がいる……だから、学生をやっていけるのかもしれない。

しかし、お礼奉公に関係なく、病院に初就職した看護婦は、その病院へ入ったが最
後、辞めるに辞められないところもある。
それは、医大の付属病院……。
久保明子の就職した医大付属病院は、就職をしたが最後、婦長がとにかく看護婦を
辞めさせてくれない。これには、なかなかキツイもんがある。
全国どこの大学付属病院でも、看護婦は若くて独身者が多い。べつに大学病院側が
若い女の子好み…というわけではない、とにかく患者さんが多くて忙しすぎるのだ。
ちょっとした腹痛から頭痛…自分の病気に不安を持った患者さんは、小さい病院よ
り大きい病院が安心とばかりに、外来窓口へ怒濤の勢いで押し寄せてくる。そして各
入院病棟は、手のかかる難しい病気の患者さんで常に満床状態……。
そこでもって決定的な、看護婦の万年人出不足がある。
既婚の看護婦は、家族の協力なしではとても務まらない。入院病棟勤務の看護婦に
しても、1ヵ月の半分が準夜や深夜という仕事柄、核家族でなくても子育てするには
難しすぎる職場環境なのだ。それで結局、独身の看護婦が多くなるというわけだ。
大学病院で、看護婦がすんなり辞められる理由は、それは結婚退職。
特例としては自ら身体を壊し病気療養のための退職か、もしくは年老いた親が倒れ
たとき、看病のために辞めることができる。久保明子の場合も、コレで辞められた

なかには、辞めるために手段を選ばない看護婦だって出てくる。たとえば、看護婦
1年目のユミの場合ーー。
彼女は、大学病院のハードな仕事についていけず、婦長に辞めたいと訴えた。が、
何度かけあっても退職は受理されず、悩んだ末のユミは、ある決意を実行に移した。
ある日のこと、日勤の時間になってもユミは病棟に現れない。もしや、深夜明けの
あと病気にでもなっているのでは…と心配した先輩が、看護婦寮のユミの部屋を訪れ
た。なんと、部屋の中はもぬけの空……!? 洋服から家具や寝具まで、すべてがなく
なっていた。
ユミは、夜逃げしたのである……。彼女は、同じ県内にある実家へ、計画的に少し
ずつ家具など送り返したあと、逃げ帰ってしまったのだ。
思い悩んだうえでの職場放棄の行動とはいえ、彼女の看護婦としての復職は、今後
一生無理であろう。彼女の行状はその大学病院側からおふれが出て、大学病院の系列
を含めた病院、少なくとも県内の病院への復職は絶望的だ。
医療世界は結束が堅い、朋輩への守りも強いが、排斥も強烈である……。


■初めてのこと……Part.1 死後処置場


看護学校では、患者さんの身になって看護をしましょう、という看護理念から実習
までをびっしり学習をする。しかし、習ったことは机上の空論…現場に立てば、ただ
オロオロと立ち往生するだけで、先輩看護婦に怒られるのがオチだ。
ハッキリ言って、ほとんど役に立たない!
看護婦は理屈じゃない、実際に現場で働いてナンボの世界、現実の看護婦は、現場
のキャリアが重視される世界……。

看護学生の実習は、患者さん一人だけを看ればよかった。たとえば、患者さんの体
を拭いたり、着替えさせたり、トイレの世話をしたり……。アタシって看護してるの
ネ…と、気持ちがナイチンゲールしていればよかった。
ところが、実際での医療現場では、多くの”初めて”をやることになる。
看護婦になって一日目の新米は、先輩看護婦から一通りの病院の業務の流れを教え
てもらい、治療・薬・検査・注射…実習しなかったあらゆることを、その日から挑戦
してこなさなければならない。

点滴打つのだって、昨日までは学生だから手を出すなと言われてたものが、今日か
ら看護婦だから1人でやるのよ、と言われる。
太い点滴の針でコノ細い血管にどーすりゃ刺せるのよォ〜…と、泣きたい思いだ。
管を挿入してオシッコを取る導尿だって、実習ではやったことがない。いくら先輩
看護婦がそばで指導してくれても、患者さんのナニをつまんで管入れるなんて…初め
てだとチョットコワイ……(でも、患者さんはそんな新米を見てもっとコワイ?)。

そして、初めてのキワメツケが、死後処置!
それは、入院中に亡くなった患者さんの遺体を拭いて清めたあと、口・鼻・耳・肛
門…身体の穴すべてに綿を詰め、白装束に着替えさせて死化粧を施すことだ。
新米看護婦たちが、初めての患者さんの死に遭遇したとき、気持ちはさまざま…。
「人間が目の前で死んだのを見たのは、生まれて初めてだったの…」
と言うのは、山口県の某老人病院で、寝たきりのお爺ちゃんを看ていた新米看護婦
のマキコ。
彼女は、人の死に目に合うのも初めてなら、死後処置するのも初めて……。
幸いなことに、患者さんの死は日勤中の出来事。
マキコは、先輩たちの手慣れた処置の前でただオロオロ、死んでカワイソーと涙ボ
ロボロ…。先輩たちに「アハハハ、このコ、泣きよる泣きよる」と、彼女は笑われて
しまった。

後日、マキコは死後処置をやることになった。それも真冬の深夜に……。
患者さんは、一人部屋の病室で長く入院していた80歳のおじいちゃん。マキコの深
夜勤務の相棒はベテラン看護婦で、テキパキと死後の処置を進めていく。マキコも先
輩の指示に従い、遺体となった患者さんの手足を持ったり、身体を裏返したり……。
生前、どんなに小柄で痩せっぽっちでも、遺体となってしまえば結構重くなる。
マキコは、冬の寒い夜更けだというのに、オデコに汗かきながらも全身の清拭から
白装束を着せるまで、ただ無我夢中で先輩を手伝った。
「マキちゃん、ココを持ってて。離しちゃダメよ」
先輩は、遺体の両手首を持っているよう指示すると、病室を出て行った。死後硬直
の前に胸の上で組む指が外れないよう、固定する包帯を取りに行ったのだ。
ーーハイとは言ったものの、なんだかコノ手首冷たいわ…遺体って冷たいのよネ…
遺体って…もしかして…死体なのよね……。
もしかしなくても死体なのだが、マキコがそう考えたとき、急に汗もひいて背中が
ゾゾ〜ッとしてきた。
それまでは、先輩の指示で死後処置も無我夢中。気が付けば、じーんと耳が痛くな
りそうな静まり返った深夜の病室。私と遺体はふたりっきり……。
「パシッ!」、「ギャア〜〜ッ!」、「何ッ! どーしたの?」
ーー死体が私を叩いた……!?
なんてことはない、組んでいた遺体の手が外れ、マキコの手のひらに落ちて触った
だけのこと。マキコは、ちょうどその時戻ってきた先輩にこっぴどく叱られた。
なぜならば、病室の外では、お爺ちゃんに最後のお別れをいうために、家族全員勢
揃いして廊下で待機していたからだ。この家族、死んだお爺ちゃんの病室から聞こえ
てきた、新米看護婦の悲鳴にさぞや驚いたことだろう。
しかし、実習で死後処置を行うはずもなく、こればっかりは先輩がやるのを手伝い
ながら覚えていくしかない。

初めての死後処置は夜勤のアルバイト先で、という看護婦マリコの場合ーー。
看護短大で学ぶ彼女は、学費稼ぎに、都内の50床ほどある個人病院で、夜勤専門の
アルバイトをしている。月に6〜8回の深夜勤務、アルバイト料1泊2万5千円也。
整形外科・外科・内科の病院だが、いずこも同じで老人の入院患者の多い病院だ。
明け方、突然の急死…と思ったが、実は前々から毎晩ヤマと思われていた老人で、
むしろ老衰死と言ってもいいくらいの、寝たきりの長期入院患者だった。
マリコは遺体を目の前にして、学校で教わってはいたものの、現実の手順が分から
ずパニック状態! とにかく、日勤の看護婦たちが出てくる朝まで、この老人の死後
処置をしておかなければ……。
そんなときに限って、あっちこっちでナースコールのお呼び出し…。いくら鳴った
って緊急じゃなければ、アトデネ…と患者さんに告げて、無視・むし・ムシ…!
幸いその患者さんの付き添いさんは、患者さんを何人も看取った超ベテラン。
ーーありがとう、オバサン! 背中から後光が差して見えるぅ〜…。
マリコは心で感謝しつつ、付き添いのオバサンに手伝ってもらいながら、アタフタ
明け方の病棟内を駆けずり回った。
「脱脂綿を忘れて取りに行き、割り箸忘れてまた戻り、もー患者さんが死んでカワイ
ソーなんて気は起こンない」
初めて死後処置したんじゃ、神経が立って眠れなかったのでは、と思ったが……、
「とーんでもない! 部屋に戻ってバタンキューで寝たわよヨ」
……アナタハ立派ニ看護婦シテマス!

しかし、死後処置も実習中の看護学生のときであれば、思い入れも深い。
信越地方の某県立病院の産婦人科で体験した、看護学生ミドリの場合はーー。
朝、彼女は、いつものように患者さんに会うため、病室に入ってギョッとなった。
患者さんが冷たくなっていたのだ。
「か、患者さんが死んでますッ!」
慌てたミドリは、自分の実習指導係の看護婦に報告に行った。ちょうど朝の配膳の
時間だった。
忙しいこの時間は、配膳のほかにもたくさんの仕事があり、どの看護婦もピリピリ
しながらも、キビキビと入院病棟の中を走り回っている。
「何ッ? そんなこと見れば分かるでしょ!」
ミドリからの報告に、看護婦は冷たく言い放った。
そんなの言われなくても分かってるワ、それより早く配膳を手伝いなさい……ミド
リをニラむ看護婦の目がそう語っていた。
こんな時間に亡くなった患者さんは、死後の処置も後回しになるのだ。
死んだ患者さんより、今生きている患者さんの朝食…それが”現実”なのだ、ミド
リはそう悟った。

同じ実習生でも、違う現実を体験したトモコの場合はーー。
兵庫県の某産婦人科で実習していたとき、手術中に亡くなった患者さんがいた。
その場で死語処置をすることになり、 トモコは手術室に呼ばれて、看護婦たちの
手伝いに回された。
初めての見る患者さんの死、初めての死後処置……。その最中、隣の分娩室で元気
に産声を上げる赤ん坊の声が聞こえてきた。
こちらの手術室では亡くなった患者さんがいる。壁一枚隔てた隣では、新しい命が
誕生した……。
当時19歳だったトモコにとってそれは、不思議な”現実”だった。
いずれにせよ、初めて担当した患者さんが亡くなる、ということは、看護婦にとっ
て感慨深いものがあるのだ。


初めてのこと……Part.2 剃毛

剃毛…テイモウとは、手術する前に患部をきれいにそることだ。
今は電気カミソリを使う病院もあるが、一般的には床屋さんが使うようなカミソリ
を使用する。
患者さんの産毛やスネ毛などをそるのならばまだしも、若い女の子が初めて、アソ
コをそるには、チョット抵抗がある。
初めてのアソコの剃毛は恥ずかしいと思っても、そこは看護婦、ヤルときはヤル!
ただ、夢中でやっていると、オチンチンも単なる物体にしか見えてこないから不思
議……。若い女の子が、上手に剃毛しようと、オチンチンをつまんだまま10センチの
近距離でジーッと見つめて、ひたすら夢中でジョリジョリ……。普通、剃毛するとき
は、ベッドの周りのカーテンを閉めてやるが、もしこれをはたで見ていたら、異常な
光景として映ることだろう。
しかし、そこは看護婦というお仕事、ましてや手術前のひとつの大事な段階だ。

ミヨコが実習で初めて剃毛したのは、神奈川県にあるT大医学部の循環器外科・心
臓外科に入院する患者さんだった。
30歳のその男の患者さんは、強心症の手術を受けることになっていた。手術前日、
ミヨコは初めての剃毛をすることになった。心臓病の手術では、首から下の全身剃毛
をすることになっている。
患者さんのパジャマを脱がせたとき、彼女はギョッとなった。
なんとその患者さんは、未だかつて見たこともないほど、全身びっしりと体毛にお
おわれていたのだ。胸毛からスネ毛まで、裏も表も毛ムクジャラ、熊みたいに真っ黒
な剛毛ではないか……。
ーーこの男、猿の惑星から来たヤツか…!?
その患者さん、背中にイレズミを彫っていたが、なぜかその部分だけはキレイ?
ミヨコは、心の中で、思わず深い溜め息をついてしまった。
アタシは立派な看護婦になるのヨ…、トモコは、果敢にもその剃毛に挑戦した。
始めたのは午前9時半、きれいにそり終わったのが午後の3時だった。
指導係の看護婦がチェックにきて、「いいんじゃな〜い」と、OKのひとこと…。
ミヨコは、へなへなと其の場に座り込んだ。慣れない剃毛、慣れない手付き、ミヨコ
が汗ダクダクなら、患者さんのほうは冷や汗ダラダラ……。もちろん、ミヨコも患者
さんも飲まず食わずの奮闘だった。
次の朝、手術前には浣腸したりいろんな処置をするのだが、その患者に手術着を着
替えさせるとき、再びギョッとなった。
ーー胸毛が、ジョリジョリいっぱい生えてるぅ〜!
ミヨコは再び、仕方なく剃毛を始めた。
その患者さんは、手術前に激しく緊張していたのか、強心症発作を起こしハアハア
しだした。それでも彼女は剃毛を続けた。ハアハア…ジョリジョリ…ハアハア……。
結局、ミヨコは、手術室に送り込む直前まで、その患者さんの剃毛をやっていた。
しかし、どんなに頑張って悪戦苦闘した”初めて”であっても、いずれは慣れる。
死後処置も剃毛も、慣れとは恐ろしいもので、何度か体験するうちに平気になって
くる。看護婦たちにとっては、遺体も、剃毛するオチンチンも、流れ作業の中の一貫
で、すべてが物体と化してしまう。
高齢の寝たきり老人の患者さんや、重症患者さんの多い入院病棟では、一ヵ月何人
ものの患者さんが亡くなっていく。看護婦たちは、一人ひとりの患者さんの死を悲し
んでる暇もない。亡くなったら亡くなったで、死後処置以外にも、やるべき仕事は多
いのだ。

もし、死にそうな患者さんがいると、朝のバタバタした超忙しいときや、人手の足
りない深夜のとき、お願いだから今は死なないでねと願ってしまう。
忙しいときに患者さんが亡くなったりすると、「もォーこんなときに死んでェー」
……と、心の中でチッと舌打ちしてしまうのも、不謹慎とはいえ正直な気持ちだ。
当然、慣れたオチンチンの剃毛は、単なる作業の一端でしかない。
病気で体力のない患者さんのオチンチンは、だいたいがフニャマラ。触っているう
ちに半立ちになるときもあるし、ピンッと硬く元気になるときもある。
なったらなったで、フニャフニャよりもそりやすく、作業する身としては楽だ。
「もー邪魔ねェ。ちょっと、自分で持っててよ」と、ピンと立った元気なオチンチン
を自ら患者さんに持たせ、剃毛するツワモノ看護婦もいる。
患者さんは患者さんで、剃毛してくれた看護婦に感謝する人もいる。それは、たい
てい老人の患者さんーー。
この10数年まったく元気のなかったオチンチンが、久しぶり元気になった。まだ男
として自信が持てる、アリガトウ、アリガトウ…などと、剃毛したときに言われたあ
げくに、深く感謝されたその看護婦は、なんだか赤面してきまり悪かったとか……。

■怖いコトって…!?


病院で恐いことと言えば、まず誰でも想像するのは、病院に伝えられる怪談……。
深夜、誰もいない霊安室の廊下で、患者さんのスリッパの足音がする…とか、毎晩
明け方近くになると、手術室の中からナースシューズの歩く気配がする、なんていう
お決まりのお話しだ。

千葉県のY病院に勤務するケイコも、そんな体験をしたーー。
深夜のこと、ケイコは、ポーンポーンという音を聞いた。CCU(心筋梗塞の急変
する危ない患者さんを診る病棟)からだ。患者さんの急変を知らせるポーンポーンと
いうその医療機械の音に、とりあえず駆けつけた。……しかし、何事もなかった。
「おかしいわねえ…?」
しばらくして、また鳴った。今度は同僚の看護婦が行った。
「聞き間違いよ。やーね、二人してボケるなんて…」
次の朝、ケイコは、ほかの看護婦たちに何気なく報告すると、実は私も聞いたワ!
…と言う看護婦が、アッチコッチから名乗りを挙げた。
よくよく尋ねてみると、みんな一度は経験していた。今まで気のせいだと思い込ん
で、各自それぞれ胸の中にしまい込んでいたのだ。
さあ、そうなると、ナースステーションでは蜂の巣を突っついたような大騒ぎ!
「急変の知らせが鳴ったのでCCUに行ったら、ある患者さんの目が光ってたの」
…とか、「CCUで亡くなった患者さんの魂がさ迷って、看護婦を呼んでるンだわ」
…と、噂は噂を呼び、さまざまな尾ひれが付き、Y病院の怪談として広がった。
Y病院としてもその噂は放って置けず、ある日、御祓いをしてもらった。ところが
不思議なことに、その日を堺に”CCU怪”は、ふっつり止んだ。
その謎は、未だ解明されていない……。

しかし、Y病院では、こんな不思議もあるーー。
「患者の○○さん、明け方に亡くなったでしょう」
山本婦長は、早朝のナースステーションに来て、いきなり言った。まだ朝の配膳も
始まっていない7時前のことだ。ひどく真面目な顔をしている。
「どうしたんですか、婦長!?」
深夜明けのケイコは、その婦長の言葉に驚いた。
確かにそのとおりなのである。明け方、患者の○○さんが亡くなり、同じ深夜の看
護婦と死後処置をやったのは、つい2時間も前のことだった。
「明け方の4時過ぎだったかしら、黒枠に縁取りされた○○さんの写真が、夢の中に
現れたのよ」
「ええーッ!?」
実は、この山本婦長には霊感があるらしく、亡くなる患者さんが必ずわかる。なぜ
ならば、亡くなるときの患者さんは、婦長の元へ訪れてあいさつをしていくからであ
る。嘘のようだが本当の話であるーー。
しかし、これはなんとなくわかる気がする。
病院は、常に”死”と隣合わせの位置にいる。仮眠中に金縛りに合う看護婦はザラ
にいる。山本婦長のように、亡くなった直後に、その患者さんのお別れのあいさつを
受ける人もいる。本気で怖い怪談話も、怖いけどイイ話も、みんなコレ病院では当り
前(!?)。なんとなく私たち看護婦は、”怖いコト”を自然に受け止めている。


■医療ミス

同じ怖いコトでも、こちらは医療ミスの恐さ……。
時々、医療ミスのことが新聞などに載って、社会問題になることがある。絶対にあ
ってはならないのが医療ミスだ。
しかし、そうは言っても看護婦だって人の子…。あの時もしかして? …というこ
とが、ごくマレにある。

ーーアノ患者さんに間違った注射を打ったかもしれない…? いや、打った…!?
これは、看護婦なりたての頃、沼津市の某個人病院でのアヤコの体験だーー。
アヤコは、日勤のときに患者さんに注射をしたものの、あとで、注射を間違えたか
もしれないという不安でいっぱいになった。
ーーどうしよう! 今頃、アノ患者さんは死んじゃってンじゃないかしら……?
その日、夜勤入りの彼女は早目に出勤すると、私服のまま病室をコッソリ覗いた。
死んだハズの当の患者さんが、ベッドで元気に生きていた!?。
ーーああ、良かったぁー!
アヤコは、大急ぎで制服に着替えると、その患者さんに何気ないフリして言う。
「○○さん、元気ィ? 今夜は私が深夜なのよ、よろしくネ」
アヤコは、患者さんへ極上の笑顔を向けつつ、内心、神様にふか〜く感謝した。

薬の種類、注射や点滴、そして同じ名前の患者さんを取り違える……途中で気付い
たとき、内心ヒヤリとする。
そんな時、実は内心大慌て! 患者さんの手前、表面上なんでもないフリして大急
ぎで薬を換えた…ということは、看護婦ならば一度ぐらい経験しているのだ。
しかし、サチコには、患者さんの命取りになりかねない、苦い経験があるーー。
それは山梨県にある総合病院の脳外科勤務のとき、サチコ看護婦2年目のこと…。
患者さんは、脳硬塞で入院していた80歳のおじいちゃん。サチコは、その患者さん
に慕われていたし、彼女もまた、どことなく愛嬌のあるその患者さんが好きだった。
おじいちゃんは、管から直接栄養を摂っていた。
胃の中へ直接に管を入れるときは、いつも先輩に見てをもらうことになっていて、
そのときもOKをもらい、サチコはお爺ちゃんとなごやかにお喋りをしていた。
「お爺ちゃん? ……どうしたの、お爺ちゃん!」
100〜200CCも打った頃だろうか、それまでサチコのお喋りに機嫌良く相づち
を打っていたのに、お爺ちゃんは、突然黙り込み、具合悪そうにしている!
ーー……いったいどうしたの?
あいにくその日は、日曜日で担当医師もいない。即、先輩に報告すると、ポケット
ベルで医師とレントゲン技師を呼び出した。
レントゲンを撮った結果…管が肺の中に入っていたのだ。……そして、お爺ちゃん
は肺炎を起こした。
ーーどうしよう、家族に報告しなきゃ…。ごめん、おじいちゃん…ごめんなさい!
「大丈夫よ。家族の方には、何も言わないほうがいいわ。管を入れるとよく吐くこと
もあるし、家族の方には、それが逆流して肺へ入ったことにしましょう」
先輩は、そう言ってくれた、先生も大丈夫だと言ってくれた……。
しかし、本当のところ、先生にもそういう症例は初めてのことだったらしく、ほか
の病棟の医師に「ダメかもしれない」と言っているのを、サチコは聞いてしまった。
サチコが、医学書の文献を調べてみても、死ぬだろうと書いてある。彼女は、酸素テ
ントをしているおじいちゃんを、見るのがつらかった。
ーーおじいちゃんにも、おじいちゃんの家族にも申し訳ない…泣いてお詫びしたか
らって済む問題ではない…看護婦を辞めよう…でも、おじいちゃんの命は……。
サチコの心は千々に乱れ、その後眠れぬ日々が続いた。仕事をしていても、常にお
爺ちゃんの問題が重苦しく頭にのしかかり、不安な日々を過ごした。
実はサチコは、おじいちゃんに管を入れた日から一週間後に、休暇で博多旅行する
ことを楽しみにしていた。だが、これではとても行ける状態じゃない。
サチコにとっては、つらくて長い数日間が過ぎた。
しかし、危機は脱した!
一週間後、お爺ちゃんはヤマを越した。結局、肺炎よりもおじいちゃんの生命力の
ほうが勝ったのだ。
サチコは先輩たちの勧めもあり、安心して予定通りに博多へ旅立った。
あの日から10日後、旅行から戻ったサチコは、おじいちゃんの病室を覗いた。
「あのね、博多に行って来た…」
おじいちゃんは、快方に向かっているらしく、いつものように機嫌がいい。
「なんだ、博多? サチコ、辛子めんたいの土産は?」
「買ってこなかった」
「あれでイッパイやると旨いンだがなぁ」
「アハハ…まだダメだよ。治らなきゃ何も食べられないよォ」
たわいのない会話だった。だが、サチコにとっては、しみじみと重い会話だった。
医療ミスを起こしたとき、先生や婦長、スタッフは、サチコに優しかった。サチコ
一人の問題で終わらせず、私も起こしていたかもしれない…と、スタッフ全員が話し
合い、今後の解決策を見いだしてくれた。
サチコは救われた……。
もし、そこでただ怒られるだけなら、サチコは、二度と立ち直れなかっただろう。
それどころか、普通やらないようなミスを次々と起こしていたかもしれないのだ。

サチコは、看護学校卒業のとき、先生が言われた言葉を思い出していた。
”小さいなりにも、大きいなりにも、必ず一生に一度は医療事故は起こす。みんな誰
でもそうだから、それを最小限にくいとめるようにしなさい”
ーー含蓄のある言葉だ……。
あれから5年、サチコはその病院の中堅看護婦として、元気に活躍している……


看護婦…ア・ラ・カルト
(先輩・後輩・新米…そしてお局様)

■なってよかったね、看護婦…。


注射をして、アリガトウとお礼を言われる……。仕事とはいえ、患者さんを痛い目
に合わせ、感謝されるのは看護婦だけかもしれない。
ところで、亡くなる前の数日間、食の細くなった患者さんのために、つぶしたイチ
ゴをシャーベット状に凍らせて食べさせた看護婦がいた。後日、亡くなった患者さん
の家族から大変感謝された。看護婦にしてみれば、ちょっとしたなんでもないことな
のに、看護婦にはとても嬉しいアリガトウをもらった。
また、寝たっきりのお年寄りでもう駄目かもしれない、と思っていた患者さんが、
全快して退院するのを見るのも、看護婦には、これもまたとても嬉しいものだ。
婦長や主任に打ち明けにくい、家庭内のことなど、年配の患者さんが小娘相手に、
看護婦だけには話してくれる。若い看護婦も一生懸命に、患者さんの語る悩みに耳を
傾けて応える。そんな時、看護婦は病気だけではなく、心の看護をするという使命感
が芽生えてくる。

看護婦は、OLの仕事と違い長く机に座ってる暇もなく、ほとんど一日中走り回っ
ている。患者さんのお世話をして、悩みを聞いて…病院の中には、患者さんなり看護
婦なりの、日々のいろんなドラマがある。
患者さんの看護には、治療する科によって看護の意味も大きく違ってくる。
たとえば、極端な例として、オペ室看護婦と精神科の看護婦がそうだ。
技術が優先されるオペ室看護婦と、心の看護が優先される精神科の看護婦とでは、
同じ看護婦なのに、仕事のやり方や悩みの内容が違う。



■仕事の内容…オペ室看護婦の場合


看護婦になる素質として、協調性・責任感・思いやり…強いて挙げれば、この3点
がある。してあげたいというのではなく、私はやる! …という強い意志で患者さん
への思いやりと責任感を持って実行することだ。
しかし、オペ室(手術室)では、悠長な思いやりなど通用しない。
看護婦の久保明子は、かつて大学病院のオペ室に5年間勤務していた。それは、看
護学校卒業後、いきなりのオペ室勤務だった。
彼女は、初めてオペ室に入ったとき、ピーンと張りつめた空気があり、ひどく緊張
したことを覚えている。

この大学病院内では、オペ室のことを別名”大奥”と呼ばれている。
どこの大学病院でもそうなのだが、オペ室が場所がら密室ということもあって、そ
こで働く看護婦は、看護婦の中でも違う世界の人のように見られがちだ。
また、開腹手術に慣れているため、オペ室の看護婦は、”鉄のような女”とも呼ば
れている。これは、何が起こっても冷静沈着にテキパキと動く、強い女のイメージか
らきているようだ。しかし、これは訓練のタマモノ、看護婦が手術があるたびに、血
を見てギャーギャー騒いでいたら、オペ室のプロとは言えない。
オペ室では、手術中の異常な緊張のなかで長時間耐えられるような、強い集中力と
体力が要求される。毎日が手術中の看護婦であれば、いやでも訓練される。
オペ室の婦長は、いかにも気力体力がありそうで、ビシバシと指示する姿なんか、
見るからにオペ室のプロフェッショナル婦長ーッ! といった感じだ。
その婦長を筆頭にオペ室には、総勢26名の看護婦がいる。そして、その看護婦たち
には段階がある。

新米看護婦は、まず一般開腹手術…産婦人科や泌尿器科の、手術中の医師に手渡す
器械出し(手術に使う機器のこと)を覚えさせられる。(テレビドラマなんかの手術
のシーンで、医師が「メスッ!」とか言うと、そばに立っている看護婦がパッと手渡
す…アレね、あのシーンを思い出すとよく分かるでしょう?)
しかし、手術内容によって、そのつど違う種類の器械出しは、新米看護婦にトテモ
難しい。いくら新米だからといっても、手術中の失敗は許されない(当り前?)
オペ室1年目の看護婦が、緊張からくるストレスのあまりに円形脱毛症になった…
という話は聞かないが、ま、それに近いものがある。
それが慣れた頃、麻酔の介助などの外回りをやり、1年間そのことばっかり続く。

2年目になると、一つ段階が上がり、血管外科や心臓外科の外回りだ。
オペ室の看護婦は、1年目を通称フレッシュ、2年目をメイン、3年目以降からを
レギュラーと呼ばれ、研修を受けてリーダーとなっていく。
当然のことながら、看護婦の上下関係は厳しい。看護婦たちの世界には、どんなに
偉い執刀医師でも、口を出さないのが鉄則。婦長の指揮下の基、まさに軍隊の歩兵軍
の如くピシッと足並み(手並み?)が揃っている。
大学病院内の閉ざされた空間…オペ室。密室めいたその空間の中でうごめく、婦長
を頭に厳しい上下関係のある、鉄のような女の集団……!? ゆえに、大学病院の大奥
と呼ばれても仕方がないのかもしれない。

ところで、オペ室の中では、一年中空調が整っていて、看護婦たちもそこで一年中
白衣で過ごす。当然、外の天気も分からない……。
オペ室の前には、汚れた器械や手術中に出た汚物を持っていく回収廊下があるが、
そこに唯一、小さな天窓があり、そこから富士山が見える。
オペ室看護婦には、富士山の見える回収廊下がホッとする場所であり、
「あ…富士山の雪が消えてる……」
と、そこから見る富士山の風景で、彼女たちは今の季節を知る。
「ゲッ…世間じゃ、もう夏なのォ〜!?」
朝晩の通勤途中、周りの人々は半袖姿で、自分だけが分厚いトレーナーの格好をし
ていた…ってなことがよくある。
オペ室の看護婦たちが外に出るのは朝晩の通勤だけ、あとはずーっとオペ室の中。
昼間の外の温度など、知るはずもないし知る必要もない。朝晩の通勤時に肌寒い日々
が続けば、どうしても厚いトレーナーを着てしまう。
ーーもしかしてコレって、不自然な生活かもしれない。
そして、オペ室の扉の前で、オペ出し(病棟の看護婦が患者さんをオペ室へ連れ行
きオペ室看護婦に引き継ぐこと)に来た、同期の看護婦に久々に出会ったりすると、
「きゃ〜っ お久しぶり〜ッ 」
…などと行って、お互いに手を取り合い、大感激して再会を喜んでしてしまう。
その間、ストレッチャーに寝かされ麻酔モーローの患者さんのことは、もちろん、
きれいに忘れている。
ーーもしかしてコレも、不自然な交友関係かもしれない……。

久保明子はオペ室でやっていく中で、看護婦としてやる仕事内容に、ある不自然さ
を日々感じていた。
3年目からの彼女は、いろんな決定権を持つ、オペ室看護婦のリーダーになった。
オペ室では、科別に1週間の手術スケジュールが決まっている。
看護婦は、婦長の指示で、曜日別に配属される。その手術内容によって、リーダー
の看護婦を中心に、看護婦の人数も2〜3人から5〜6人と違ってくる。
今日は乳癌の手術、明日は肝臓の手術…と、オペ室では、毎日毎日、患部のみに穴
の開いた布をかけて手術する。看護婦の仕事は、手術の内容別で、単に器械出しの種
類が変わるダケ……。そんなとき、オペ室で働く彼女は、自分が看護婦というより、
職人に思えてくることがあった。
看護婦として接する相手は、患者の○○さんじゃなく、麻酔で物体化され布をかけ
られた患部のみ……。患者さんとのコミュニケーションは、皆無……。
ーーこれって、看護婦の免許なんか持ってなくても、器械出しに慣れれば、職人み
たいに誰にでもできるかもしれないわ……。
久保明子は、そんな錯覚に陥りそうな自分が怖かった。

彼女は3年目のリーダー研修のときに、自己看護を見つめた看護観のレポート提出
を求められた。
しかし、彼女は書けなかった……。
現実のオペ室の看護婦は、ただ機械的に動くダケ……。一日中、一年中、季節感の
ないオペ室にこもり、患者さんの患部のみを見て、器械出しをして、外回りをして…
…。これって、患者さんの世話をしているンじゃなくって、ただ医師の世話をしてい
るダケ。オペ室の看護婦は、看護するンじゃなく、単なる医師の介助役?
悩む彼女に、婦長が言った…、
「手術室に来る患者さんは、不安でいっぱいなのよ、看護婦の手がどれだけ支えにな
るか…。訴えられない患者さんには、あなたが手となり、足となり、声になって…」
ーーオーイ、婦長さぁん、患者さんは麻酔で眠ってるし、こちとら看護婦は、布を
かけられた患者さんの患部のみを相手にしてンだからァ〜……。
オペ室や病棟には、同じように看護婦がいるけれど、”看護”が違うンだよネ。
こうして、麻酔をかけられ意識のない患者さんを前に、オペ室の看護婦・久保明子
は、日々、悩んでいたのでありますーー。


■仕事の内容…精神科看護婦の場合


胃腸病や手足の骨折のような病気は、普通、病院で治療してもらえば済むことだ。
しかし、精神科の病気は、ケガのような目に見えて治る病気とは、まったく違って
いる。
精神科の患者さんは、病名が同じでも個々の心(精神)の状態が違う。当然、精神
科の看護婦も、患者さん一人ずつに対して、必然的に対応は違ってくる。
看護婦にとって、精神科の患者さんを”看護する”という意味はとても重い。
それだけに、看護婦として、やりがいはあるのかもしれない……。

「とにかく一般の病気と比較して、精神科の患者さんの看護は、重み・質・量…共に
深いものがあります。精神科というのは、内容もやりがいもあり、それはそれは素晴
らしいの!」
信越地方の元看護婦・中山スズは、ハッキリとそう言い切った。

61歳になる彼女は、精神科の看護婦として定年になるまで、入院ベッド数100床
ほどの個人病院や400床ほどの国立病院で、長年にわたり勤務していた。
彼女は始め、町の個人病院勤めだった。
看護婦は、ベッドの患者さんを抱える力仕事がどうしても多い、そこでは、小柄で
力もない彼女は、それが原因で腰を痛め、病院を辞めざるを得なかった。
その後、彼女の人生に紆余曲折があるものの、結局、力仕事をあまり必要としない
精神科に、看護婦として復帰したのだ。
「患者さんに、あんまり深入りしちゃダメよ」
当時、精神科で働き出した頃、彼女は、先輩の看護婦に忠告を受けた。
ーーどういう意味だろう……?

中山スズは、先輩の忠告を守り、普通の態度で患者さんに接していた。
「オハヨウ!」……彼女は、病棟を見回りながら、ごく普通の朝のあいさつをする。
ところが、ある患者さんから”コノ人は、ボクを愛している”…と、その日を境に
彼女は、患者さんの妄想の対象となってしまった!
「看護婦の中山スズは、ボクの妻なンですよ」
…などと、その患者さんが言い出したのだ。
さあそれからというもの、その患者さんは、彼女の一挙手一投足に熱い視線をなげ
かけ、彼女のすべてを自分のものにしたくて、どこにでも押しかけて来る。
患者さんの妄想の対象になった原因など、中山スズにはサッパリ思い当らない…。
もし、ムリヤリ原因を見つけるとすれば、笑顔でニコッとした時間が、ほかの患者
さんよりも0,1秒だけ長かったかもしれない。が、それも今となっては分からない。
そうなると、もう原因など患者さんにとっては、どうでもいいことなのだ。
「看護婦の中山さんには、もう旦那さんがいるンだよ」
と、誰かが言っても、その患者さんはニコニコしながら、
「ボク、平気デス」
などと、ケロリとして言う。
精神科の患者さんは、年が幾つになろうが、かつて何をやっていた人であろうが、
常に強い妄想を持っている。そして、他人からの強い愛情も、常に欲しているのだ。
彼女は、先輩の忠告した内容の意味が、その時初めて分かったーー。
そしてある日のこと、その患者さんは、中山スズに対する態度を一変させた。
”中山スズは、ボクに毒を盛ろうとしている”……!
その患者さんの、彼女を見る目つきが鋭くなった。
愛憎表裏一体とはよく言ったもので、今度は彼女を恨み、つけ狙ってきた。
これもまた、中山スズには、サッパリ原因が分からない。
もし、原因があるとすれば、その患者さんに呼び止められたとき、ほかの用事があ
って、彼を後回しにしたせいかもしれない……?
ちょうど思春期の子供たちの、家庭内暴力や家庭内殺人などがあった場合、いった
い誰を対象にするのか……? それは、決まって一番好きな人……!?
その患者さんは、遠くの物陰などから、彼女をいつも激しい憎悪の目で、ずーっと
ニラんでいる。
これは、ちょっと…どころか相当コワイものがある……。
そして、ある日突然、ついにその患者さんは、彼女に殴りかかってきた!
……その後、中山スズは病棟の配属が変わり、久しぶりにその患者さんと再会した
ことがあった。彼の症状は、その時期軽くなっていた。
「中山さん、その節はボクの勘違いで…申し訳ありません」
と、彼女にあやまってきたのだーー。

精神科の看護婦は、こんなに自分はやってあげたのに…などと思って、決して患者
さんからの見返りを期待してはならない。
精神科の患者さんは、いくつになっても未熟精神なのだ。
そして、小心で、優しすぎるほど心優しい患者さんも多い。
患者さんは、どれだけ看護婦から愛情をもらえるか、非常に敏感だ。しかし、心を
開きたいけどコワイ…。
いつも一番愛されていると思い込んでいる患者さんは、看護婦のちょっとした一言
や態度で、相手をとたんに憎みだし、心を閉ざしてしまう。
そうなると、たとえ今まで、苦労が何十億と看護婦にあったとしても、前以上に、
その患者さんの心を開けさせることは、大変な努力が必要となってくる。
熱心な看護婦は、そうやって心を閉ざした患者さんをいつの間にか特別視し、自ら
墓穴を掘ったあげく、悪循環に陥る……。
だから、精神科の看護婦は、どんなに熱心に看護するにしても、患者さんと看護婦
との間に、絶対一線を引いておかなけれればならない。
これは、精神科看護婦の鉄則だ!

ところで、精神科の看護婦は、いつの時代においても、”精神科”に対する周りの
あらゆる偏見と戦っている。
「家で困り抜いてから、病院に連れてきて…。もっと早く、軽いうちに連れてくれば
治るのに、悪くなって連れてきちゃあ、治りにくいのよ」
と、中山スズは憤慨する。
あそこの家には××××がいる……などと、口さがない近所の目や、病気であるこ
とを恥と思い込み、病人を世間から隠し、家の奥に閉じ込めてしまう…。
精神科の患者さんに対する、この偏見と迫害は、都会や地方に限らず、昔も今も変
わっていない。
たとえば、精神分裂症の患者さんが入院するとき、家族歴を書くことになっている
のだが、その患者さんの親兄弟や親戚には、学歴や社会的地位の高い人が多い。そう
いう家族に限って、患者さんのお見舞いに一度も来ないのだ。
そして、お見舞いには、いつも決まってヨボヨボに年老いた親が、ひっそりと訪れ
るだけ……。
家族がもっと早く連れてきてたら……。
一生、病院暮らしの患者さんもいる…という現実を前にして、精神科の看護婦たち
は、いつも胸を痛めるーー。

中山スズは、在職中、最初から最後まで、世間の偏見と戦ってきた。
精神科の医師は、それなりに苦労もあるだろうが、患者さんに対してほんのわずか
な時間、面接をするだけ……。
ところが、看護婦のほうは、現実の毎日を患者さんと一緒に生活し、一般病院で見
られないような喜怒哀楽を共有することになる。
「精神科と違って一般病院は、私でなくてもいいの。ただ決められた仕事をやって、
忙しい忙しいって機械的に動いて、あっという間に過ぎていったわねえ…」
中山スズは、約8年間、一般病棟勤務の経験がある。その間の思い出は特に無い。
「精神科の看護って、一般病院の看護と比べられないくらいに、看護の一つ一つが、
とっても中身の濃い仕事なの」
看護婦は、患者さん個人個人に思い入れがあり、”看護婦自身が考えた看護”を医
療に生かしていく。そうでなければ精神科の看護とは言えないのだ。
「その時その時、個々によって結果が出てくるのね。日々泣き笑いするンで、やりが
いは、あるわよぉー」
中山スズは、何もかも包み込むような温もりある笑顔で語る。その瞬間、彼女は、
現役の精神科看護婦の、キリッとした目つきになったーー。


■手術台から、自分の手術を指示する主任

大きい小さいに係わらず、どこの病院でも、婦長や主任は結構口ウルサイ。
この際、あえて医師ヌキにして考えれば、指示する婦長や主任の人柄で、看護婦た
ちは働く姿勢が変わる。それによって病院内部の雰囲気も自然と変わっていく。だか
ら、その病院のカラーは、婦長や主任しだいで決まると言っても過言ではない。
婦長や主任の人柄がよければ、不思議と質のイイ看護婦は集まる。
逆に、ヒステリーで、下で働く看護婦をその時の気分で怒ったり、患者さんの社会
的地位で態度が豹変する婦長や主任だったら、もー最悪。だいいち、そんな病院には
看護婦も長く居つかない。
たとえば、この彼女のように、なンか頼もしいだけでもイイのだーー。

上池看護婦は、可愛くてタクマシイ! 彼女は、都内豊島区にある個人経営の総合
病院で、主任看護婦としてオペ室に勤務している。
とても29歳に見えぬアイドル系の顔、動作テキパキ、言葉遣いポンポン、気性サバ
サバ…誰かれとなく面倒見がイイため、看護婦たちから慕われている。
特に、オペ室の看護婦8人は、主任の人柄の良さで集まったと言ってもいい。
この病院は、都心ということもあって、救急車で運ばれてくる交通事故の患者さん
も多い。そうなると外科手術も自然と多くなる。
だから、オペ室勤務の彼女にとっては、手術台からパーッと血が飛び散る、切った
張ったは日常茶飯事……。

さて、コノ上池主任は30歳を目前にメデタクもご懐妊。ただし、出産は帝王切開。
そして産み月となり、いよいよ出産の運びとなった。出産先は当然、職員ならば出産
費用も無料で済むという、自分の勤務先の病院だ。
なんと彼女は、自分の帝王切開の出産後、あとの処置に自らの指示を出した……!
「わかってるンでしょうね、上手に縫うのヨ。縫ったあとが汚かったら、私、承知し
ないから…」
手術台に寝かされたままの上池主任は、優しい声色で言いながらも、日頃きたえた
オドシを軽くかける。下半身は、もちろん麻酔がかかった状態だ。
「…………ハア」
と、気弱い返事の、執刀した産婦人科医はまだ20代。帝王切開手術は、そんなに場
数も踏んじゃいない。助手に副院長が控えていても、実際の手術より主任がコワイ。
「あ、センセー! 糸…それじゃダメ。もっと細い糸じゃなきゃ……」
今度は、若い看護婦に指示が飛ぶ。
「ちょっと、早く糸を持ってきてヨ」
「あのう…何番の糸を…」
いつもと勝手が違う手術台からの指示に、若い看護婦には戸惑いの色が隠せない。
「棚の引き出し見て、番号が書いてあるでしょう。だから早く覚えなさいって、日頃
から言ってンのにィ〜。○番? …そう…それッ!」
今度は少し優しい声。それでも、若い看護婦への指示は、ビシバシ飛んでくる。
「上池主任、じゃあ、縫います…」
手術に慣れないコノ産婦人科医、今や冷や汗で白衣ビッショリ……。
「きれいに細かくネ。院長みたいな、ツギハギ縫いの処置しないでよ!」
ちなみに、ここの院長は、75歳を過ぎた今も、やたらと自分で執刀したがる。しか
し、強い老眼のためか、はたまた高齢で手が震えるためか、院長が縫った跡は、傷痕
も大きくてボロボロ……。スタッフにひどく評判が悪い…。
オペ室の主任・上池看護婦は、彼女自身患者でありながら、ずっとこんな調子で、
手術台の上からアレコレと指示を与えていたのだ。
これって、珍しい……!?

3日後、産婦人科に入院中の彼女は、多くのスタッフから賑やかな祝福を受けた。
「カワイイーッ! この赤ちゃん、主任さんにソックリだわ」
「美人になるわ、ネ、主任さん」
「もしもし、このコは男の子なんだけど…」
「キャ〜ッ、ごめんなさ〜い!」
……てな調子。彼女は院内で大の人気者、人柄で好かれ、仕事で信頼されて……、
「明日の外科のオペなんですけど……」
と、オペ室の若い看護婦からも、ひっきりなしに仕事の相談を受ける。
そんなとき、新米ママは、オペ室担当の主任看護婦に戻る。
オペ室の若い看護婦に、整形外科で使う専用の道具箱を持って来させ、テキパキと
指示を与える。
ベッドの上で、新生児にオッパイを含ませる姿は、見るもまぶしい聖母マリア…。
ただし、赤ちゃんの足元に運ばれたその箱は、大工職人が使うような、見るもコワ
ソーな大小の電気ドリルや電気ノコギリ……。
母は強し…されどオペ室看護婦はもっと強し……!?
これ、ウソのようなホントの話です。ま、こんな看護婦、滅多にいないけど……。

■看護婦の困ったちゃん

こちらは、オペ室の主任看護婦と同じ病院に勤める、外科・整形外科の入院病棟の
困った看護婦のお話。
困ったといっても、一言で言えば仲間の大の嫌われ者…主任ゆえに始末に悪い。
岡本看護婦は、整形外科の入院病棟の主任看護婦である。この主任、仕事熱心と言
えば聞こえはいいが、単に融通が利かないダケ。困ったことに、本人だけにはそれが
わからず、結局、周りの人に迷惑をかけっぱなしという看護婦だ。しかも、患者さん
であろうが看護婦であろうが、意味もなく気分で怒るお天気屋ときている。
婦長より古参のためか、この岡本主任、看護婦の中でもお局様的な存在だ。
しかし、当の本人は、患者さんに思いやりがあり、若い看護婦に優しい、よくでき
た看護婦だと、自分で思い込んでいるフシがあった。
だから、何かあると必ず言う彼女の口グセは、
「私が厳しくしているのは、みんなのためを思ってやっているのです」……。
長時間リハビリ中の、車椅子のお婆ぁちゃんが、リハビリに疲れベッドにちょっと
だけでも横にさせてと頼むと、
「まぁ○○さん、これ一通りやらないといつまでも治らないわヨ。さ、もう一度!」
…などと叱咤激励をする。

この患者さんは、車椅子に乗るのも初めてなら、車椅子を動かすのも初めて……。
長時間車椅子に座っているだけでも苦痛なのに、ましてや、手術して日も浅かった。
「まだリハビリは終わってません、○○さんも早く退院して外に出たいでしょ!」
岡本主任は、もう疲労で泣きそうな患者さんを無視し、一段と声を張り上げる。
彼女の頭の中にあるのは、リハビリのマニュアルのみ…、患者さんの状態を診なが
ら休ませる余裕など皆無……。とにかく、リハビリのメニューをこなそうと、ムキに
なって励ます声も、どこかカン高くヒステリック。
「○○さん、私は○○さん自身を思って言ってるのよォ〜ッ!」
…と言っちゃったりする、慈悲深い岡本主任なのでありますーー。

彼女が怒って火を噴く姿は、ゴジラの小型版で、チンケでゴミのようなゴミラ!?
怒る内容もみみっちくて、ゴジラほどの迫力もないため、若い看護婦たちの間で密
かに付けられたアダ名だ。そして、彼女は、気にいらない看護婦を見つけたが最後、
ハタ目にもカワイソーなほど、徹底的にいじめ抜くスゴイ根性の人でもある。
45歳という年齢は厚化粧で隠していても、その意地悪根性までは隠せない。バツイ
チだという前歴も、妙に納得できる主任看護婦だ。
そんな主任のいる職場が、看護婦になってからの初仕事という、かなりカワイソー
な看護婦もいた。

それは、看護婦のカナコだったーー。
この病院は、毎日午後の3時半、お茶の時間になる。コーヒー飲んで、患者さんが
差し入れたお菓子を食べ、なんとなく医師も看護婦もユッタリくつろぐのだ。
2階の入院病棟には12人の看護婦がいる。お茶係は、新米看護婦のカナコがやるこ
とになっている。
カナコがここに配属されて2ヵ月目のこと、彼女の悲劇は、突然起こった。

ある日、カナコが全員に配り終わったとき、ナースステーションの雰囲気は、シー
ンと奇妙な静けさが漂っていた。…と、その時……、
「だぁれ? 遠山先生にコーヒー持ってった人ッ!」
岡本主任のカン高い声…。彼女は岡本主任のその剣幕に驚いた。
「あのー、遠山先生には、私が持って行きましたが…」
と言うと、岡本主任は、白い厚塗り顔のクッキリ弓型に描いた眉をピクッと動かし、
「ま…! どおぉ〜して、アンタが持ってくのヨッ!?」
と、さもトンデモナイことやってくれた、と言わんばかりだ。
遠山先生とは、医大から週2回派遣されてくる、32歳の独身の医師だ。午前中に外
来診療をして、午後から2階3階に入院する、担当の患者さんを診て回る。彼は、看
護婦にすぐHっぽい冗談を連発する、まあ、それなりに人気のある気さくな医師だ。
ーーそういえば私のお茶当番のとき、いつも遠山先生の机には、早々とマグカップ
が乗っていたっけ…アレ、もしかして……?
実はもしかしなくても、遠山先生に関して、お茶出しや身の回り雑用一切、岡本主
任がやることになっていたのだ。
岡本主任が、遠山医師を一方的に目を付けてことは、病院のスタッフ全員知ってい
た。ただ不運なことに、新米のカナコだけが、それに気付いていなかった……。
そうとは知らないカナコは、一度だけとはゆえ、その岡本主任の”たった一杯の恋
のコーヒー運び”という、大いなる楽しみを奪ってしまったのだ。

以後、カナコには地獄の日々が始まるーー。
その日の夕方、若い看護婦カナコに対する、岡本主任の一方的報復第1弾!
「アンタ、202号室と205号室担当ヨ」
カナコは、いきなり岡本主任から命令された。
言われた患者さんはどちらも外科に入院している、80歳近い寝たきりのお婆ぁさん
で、病状も重い。
「今日の深夜は、アンタよね。大丈夫なのォ〜?」
大丈夫もなにも、重症患者さんは日勤でも時間ごとに経過を診て、そのつど経過表
に記入して報告しなければならない。新米は、それでなくても雑用に追われて忙しい
のだ。なのに、まだ看護婦になって一年足らずのカナコには、重症患者さんを2人も
担当することなど、大変な重荷となる。
しかも、今夜からの担当だなんて……。
「アンタねえ、夜中、その患者さんたちになんかあったら重大な責任問題よ。私ね、
アンタのことを思って、心配して言ってンのヨ」
岡本主任は、カナコの何を思って心配してたのか、言うだけ言うと、サッサと帰っ
てしまった。

その日、深夜のカナコは、不安のあまり仮眠時間になっても一睡もできなかった。
深夜明け、岡本主任は、日勤との申し送りも忙しいふりをして、カナコの経過報告
の聞く暇も与えない。カナコは、仕方なく婦長のほうに報告を済ませ、帰り支度を始
めていた。そこを見計らっていたかのように、岡本主任が…、
「ちょっとアンタ、どーいうつもり? 経過報告表を提出してないじゃない!」
「あの、婦長のほうへ提出しましたが…」
「何言ってるのヨ、あたしに言わなきダメじゃない!」
「すみません……」
「これだからヤよね、若いコは…。独身の男の先生だと、色目遣って気ィ利かせちゃ
ってサッ」
「…………!」
以来、カナコへの岡本主任の攻撃は留まるところ知らず……。
とにかく気に食わないとなったら、トコトンいじめるのが岡本主任の主義(!?)。
顔を見るのも、同じ空気吸うのも不愉快らしい。岡本主任は、カナコの仕事ぶりを
遠く意地悪そうに眺め、小さなミスを見つけてサッと現れる。医師の前だろうが患者
さんの前だろうが、張り切ってカナコを叱った。そして、決まって同じセリフ……。
「何やってンのッ! 私は、早く一人前の看護婦になってほしいと思えばこそ怒るの
ヨ。私の思いやりがわからないの? …クドクド…ネチネチ……」
岡本主任のこんな状態は半年間続き、カナコがもう病院を辞めよう…と思った矢先
に、岡本主任の新しい標的が見つかった。
今度の標的は、2週間ほど前に外来にきた、看護婦3年目の新参者だ。
なんと、この看護婦は、恐れ多くもアノ遠山先生と酒を飲みに行った…らしい…と
いう噂が流れた。
岡本主任の嫉妬の矛先は、新参者の看護婦へと替わり、ようやくカナコは難を逃れ
た。ヨカッタヨカッタ……。

で、肝心な遠山先生は、岡本主任のことをどう思ってるかって?
実は、彼はなぁーんとも思っちゃいない。むしろありがた迷惑で、ほかの医師同様
に、触らぬ神にたたりなし……岡本主任の魔の手から逃れていた。
でも、所詮は男と女…この執念とも思える岡本主任の嫉妬深さは、今になって考え
てみると、もしかしてH関係が一度ぐらいあったのカモ……!?。
もちろん、ほかの看護婦が岡本主任に逆らってまで、カナコや新参者の看護婦をか
ばうなんてトンデモナイことだ。誰かがかばったが最後、次の魔の手は、その誰かに
伸びる。これは火を見るより明らか。

しかし、こんな看護婦のイジメに、院長は何してる、院長はどうした、院長はッ!
……と言いたいところだが、たとえどんなヒドイ看護婦がいても、医師や病院側は、
看護婦を辞めさせることができない。院内の困った看護婦に対しては、看護婦同士で
解決していくか、イヤなら辞めるしかないのが現状だ。
実はコンナ看護婦だけじゃなく、怠惰で仕事するヒドイ助産婦だっている。

困ったついでに、コンナ助産婦を付録として紹介しようーー。
助産婦は、赤ん坊を産ませるのが仕事だ。しかし、準夜の時間中に産まれたりした
ら、助産婦の仕事量がふえるばかりか、超過勤務になってしまう。
それがイヤな助産婦は、それを避けるため(産ませないため)に、どうするか?
助産婦は、自分の準夜中、絶対に妊産婦に浣腸をかけない。
本来、浣腸は産まれやすくするためかける。が、こんな助産婦は、どんなに出産間
際であろうと、浣腸もかけず、次の深夜に申し送りしてさっさと帰ってしまうのだ。
新人の助産婦は、コノ助産婦から深夜勤務を引き継ぎ、そのテでよく泣かされた。
そんな助産婦に限って、昔、看護学校の講義に来て臨床指導してたりする。
「産科って、ホントウに素晴らしいンですよ!」
などと言って、看護学生相手に、神聖なる感動的出産論をぶちかますのだ。
今、その助産婦は、信越地方の某県立病院産婦人科婦長にシッカリ納まっている。
医師も口をはさめないのが看護婦の世界。
どんな病院でも、看護理論や看護医療のレベルは、看護婦の個々の差が激しい。
看護婦も助産婦も、たとえどんな問題が起こっても、結局は女世界の縦社会、女同
士で解決するしかないのです
だから、看護婦は、気が強くなくっちゃ、やってけないテカ?


■病院内でのささやかなお楽しみ

看護婦は、お局様にいたぶるられ、先輩にシカトされ、ドジでガサツであったとし
ても、患者さんの前じゃ、あ〜ら不思議? 白衣のマジック…白衣さえ着ていれば、
古参も若手も誰もが慈悲深く優しく、立派に看護婦してる……!? それでも、看護婦
何年やってても、毎日、病院内じゃ気の抜けないコトばかり……。
そんな看護婦には、ささやかながらも勤務中の”お楽しみ”がある。
それは……おしゃれと夜食!

おしゃれに関しては、病院によっていろんな規則がある。
化粧・アクセサリーすべて無し…というところ。薄化粧、ピアスや細いチェーンネ
ックレス、結婚指輪などならOK。もっとクダケタところなら、看護婦自身が制服の
カタログを見て選び、ピンクやブルーの好みの色、好みのデザインを取り寄せるとい
う女性には嬉しい病院もある。
しかし、ま、だいたいは清潔がモットーの病院勤務なので、それなりに無難なスタ
イルに落ち着くことになる。

実際に結婚指輪をはめてる看護婦は、ほとんどいない。アルコール消毒液で変色し
たり、患者さんのオシッコなどで汚してしまうので、仕事中は外してしまう。
一見、おしゃれなチェーンネックレス…実は、磁気ネックレスだったりする。
具体的におしゃれしてみました…というのならば、ナースキャップを留めるピン。
アクセサリーの店で、可愛いピンを探して買ってくる看護婦もいれば、ちょっと凝っ
たところでは、注射針でわざと留めている看護婦もいる。
おしゃれな看護婦は ペディキュアにも凝ったりする。ナースシューズに隠れる足
の爪ならば、真っ赤なペデュキァだって分かりゃしないというものだ。ただし、看護
婦は、患者さんを抱えてベッドに靴を脱いで上がることもある。そんなとき、婦長に
発見されると……ちょっとヤバイ!?

駆血帯(静脈注射を打つときなど腕に巻く細いゴム)の色と、聴診器の色を赤や黄
色やピンクなど、お揃いの色で揃えたりする看護婦もいる。あと、ポケットに差し込
んでいるボールペンは、キャップがアニメキャラのグッズだったり、入院患者さんの
手づくりビーズだったりする。ただし、ベテラン看護婦の中には、手作りビーズが患
者さんからの人気バロメーターと思い込み、ジャラジャラ付けている人もいる。
白衣を着ていても、看護婦たちは、個々に創意工夫を凝らしたおしゃれを楽しむ。
これは、中学生や高校生が制服着ていても、それなりにおしゃれを楽しむ心意気と合
い通ずるものがある。

大人の女を自認する看護婦ならば下着に凝って、外国製の総レースってこと…は、
あんまりない。なぜならば、結婚指輪と同様に薬や汗で汚すと、せっかくの高級下着
がモッタイナイというものだ。で、そんなおしゃれは、休日のみのお楽しみとなる。
美容面でも、結構気を遣っている看護婦もいる。
深夜のときの仮眠前に、乾いた脱脂綿をちぎってきて、洗顔後の化粧水や乳液を、
「どーして病棟の中って、こう空気が乾いてンのかしら…」
…てなことを言いながら、お顔にペタペタということもある。
ところで、看護婦にとって深夜勤務と言えば、絶対に欠かせないのが夜食時間!
看護婦は、これを深夜のピクニックタイムと呼び、楽しみにする人も多い。

看護婦は、よく食べる。朝食・昼食・夜食(ただし、コレだけ3回)…睡眠不足と
慢性疲労に栄養を補うが如く、とにかく食べるのだ。
しかし、その割りには栄養のないものばっかり……だったりする。
病院によって違うが、だいたいが家から持ち寄ったオカズ類、カップメン、スナッ
ク菓子にチョコレート、患者さん差し入れのクッキー類…そして…etc……。
徹夜する漫画家じゃないが、夜食のカップラーメンやスナック菓子に関しては、新
しく出た商品にも詳しいし、味にもちょっとウルサイ。
深夜の楽しみはなんといっても、同じ深夜の看護婦同士が、夜食を囲んでするお喋
り…コレですよ、コレ!
おかげさまで、朝、私服のスカートホックがはまらないってコトもある。ま、一晩
でウエストが3〜4センチ太ったってコトでしょうか!?
それでも次の深夜までには、ちゃーんと元のウエストに戻ってしまう。これで看護
婦の仕事はトテモ重労働だ…ってことが分かるというものだ。
しかし、ウルサイ先輩や患者さんのことで悩んだり、新しい病院に移ったばかりで
周りに気を遣い過ぎて、そのストレスで過食症になり、アッという間に10キロも体重
オーバー…という看護婦もいる。ストレス太り…ってやつですか……。
でも、ま、ストレス太りといっても、結局のところ、元々食べることが大好きな看
護婦ばかり…仕事のせいだと一概には言えませんがネーー。


■看護婦…良いコ・悪いコ・危ないコ


看護婦と一言で言っても、看護レベルはピンからキリまであるし、看護婦のタイプ
もさまざまだ。
新潟県立の混合病棟には、仲間内でも評判の良い理想的な看護婦がいる。彼女は、
人を押しのけることもなく、同僚に対して平等だ。小柄な体ながら常にパワー全開、
何が起こっても明るくその場を盛り上げようとする、前向きな姿勢がある。看護士の
夫と築いた家庭は円満で、一緒に働く看護婦たちへ、その家庭の温もりがほのぼのと
伝わってくるのだ。
彼女と廊下で会っただけでも、こちらが幸せな気分になれる…若い看護婦たちは、
そんな彼女のような看護婦になりたい、彼女のような家庭を作りたいと憧れている。
まあ、そんな理想的な看護婦がいるかと思えば、ムムム…と考え込んでしまうよう
な、看護婦もたまには……いるーー。

根が真面目なコなのに、看護婦に向いてないと学校を辞めさせられた気の毒なコも
いれば、実習がヘタ、患者さんとのコミュニケーションがヘタ…でも、看護学校の先
生への要領だけが良かったコは、看護婦となった……。
また、看護学生のときの実習で、血を見ては必ず貧血で倒れるコもいた。
「看護婦は血に慣れなきゃダメだ。ちゃんと見ろッ!」
と、医師から強制的に見学させられ、見る見るうちに真っ青…そしてバタンと失神!
およそ看護婦を目指すには珍しいコだった。彼女は、看護婦の今も血にヨワイ……。
いずれにせよ、こんな看護婦がいる病院は、何も知らない患者さんにとって、かな
り迷惑なものがある。

ベテラン看護婦で看護技術も優秀なら、人柄も真面目、ただ本人自身がアルコール
中毒ってトコが、難点と言えば難点という人もいた。彼女は只今リハビリ中である。
ところで 中毒は中毒でもソセゴン中毒の看護婦というのも、困ったものがある。
ソセゴンというのは、痛み止めとして注射する薬のことだ。習慣性のある劇薬のた
め、現在、どこの病院でも準麻薬扱いになっている。
都内新宿区にある某個人病院に、そんなソセゴン中毒の看護婦がいたーー。
ふつう劇薬に相当する薬品類は、鍵のかかる場所に保管しておく。もちろん、薬の
出し入れにもチェックは厳しい。
ところが、この個人病院は薬の出し入れがルーズだった。そして、ソセゴンの減り
方があまりにも激しいために、改めて婦長のチェックが入った。
犯人は、ほんの数ヵ月前、この病院に入った32歳の看護婦。

実は、患者さんにプラッシーボ(偽薬)を使い、その患者さんに打つ分のソセゴン
を自分自身で打っていたのだ。彼女は、完全なるソセゴン中毒だった……。
プラッシーボとは、患者さんの常用習慣を避けるために使用するニセ薬だ。患者さ
んが眠れないというと、コーヒーに入れるクリープを睡眠薬と偽って渡したり、痛み
を訴える患者さんに、打っても問題のない生理食塩水(点滴の溶解剤として使う体液
と同様の液体)を注射したりすることがある。これは、医師や看護婦が渡すだけで安
心するせいか、患者さんによって薬が利いた気分になる。
彼女は自分でソセゴンを打ち、患者さんに生理食塩水を打っていた。こんな場合、
当然、看護婦は即刻クビになる。

しかし、東京という街は、病院数に対し看護婦数がかなり足りない。看護婦は免許
さえあれば、どこの病院でも即日に働けるし、ソセゴンも、どこの病院にもある。
ソセゴン中毒の看護婦は、その後、どこの病院にいるのか分からない……!

ヤケッパチの天使たち
(人間宣言……をしたい看護婦たち)

■ぷらいべーと

看護婦たちの私生活は、世間の人が思っているより、意外と地味なものだ。
日勤・準夜・深夜…毎日毎日これの繰り返し。たまの休みは掃除や洗濯に追われ、
気が付けばもう休日が終わっていた、なンてことはザラだ。
しかし、それでも一度っきりの人生、楽しまなきゃー…というわけで、看護婦たち
の私生活での楽しみ方は、まあ、個々それぞれにある。
大きいところでは海外旅行(これは、都市近郊の看護婦が多い)。そして2〜3泊
予定で、病棟の医師と看護婦たちとで行くスキー旅行、キャンプや海水浴に、スキュ
ーバダイビング…。
小さい楽しみなら、一人密かにやる競馬・パチンコ・宝クジ…。可愛い楽しみなら
仕事と関係のない友達とするウインドーショッピング、食べ歩きに週1回のアートフ
ラワーなどの趣味の習い事…。
酒……? 酒なら毎日チビチビたしなむし、結構、酒豪の看護婦もいる。
日によっては安い居酒屋へ、同僚2〜3人連れだって行くこともある。必ずそこで
始まるのは、先生・先輩・ついでに患者さんの悪口大会。そして、そのままカラオケ
大会へと流れ込むという毎度おなじみ、看護婦たちのワンパターンコースなのだ。
しかし、おなじみのコースであっても、これは確実に元気になれる。
その日、病院で自分一人落ち込むような出来事があっても、仲間に話してみると、
意外にも、似たような出来事で仲間も落ち込んでたりすることがある。
「そうだよネ、そうだよ!」…てなことをお互いに言い合って、慰め合うのだ。
居酒屋でひたすら飲みまくり、喋りまくり、食べまくる! あとはカラオケに直行
するのみ……。
口と身体をメイッパイに動かし発散させてこそ、次の日、看護婦たちは患者さんへ
の対応も、機嫌好くできるというものだ。

医大のような大きい総合病院ならば、3月の歓送会に歓迎会などの大きい飲み会。
そのほか、月に一度の病棟内だけの、医師と看護婦たちの飲み会などがある。
ところで、医師が混じった飲み会…特に2次会などは、なぜかクラブやスナックの
の店が多い。食べ物中心の看護婦と、飲むこと中心の医師の、女と男の違い……!?
しかし、こうやってザーッと並べてみると、結構、遊んでるじゃない…なんて世間
サマは思うかもしれないが、都会と地方では月とスッポン……!
都会じゃどんな深夜まで遊んでいても、電車は遅くまで走っているし、タクシーも
一晩中走っている。
都会で働く独身看護婦は、寮やマンションが病院の近くにある。女一人、何時に帰
ろうが、ヘロヘロに酔って帰ろうが、人目も気にせず一安心というものだ。

ところが、地方になると、どこの地域でもすべて車社会。
だから、準夜・深夜の勤務が終わった真夜中・朝方に、車は、自宅直帰するための
大事な生活必需品。車無しの日常生活なんて、地方の人間には考えられないことだ。
そこで、地方で働く看護婦の飲み会は、どんなに酔っていても、いじらしくも駐車
場の車の中で酔いを覚まし、女一人、必ず自分の車で帰る。
また、地方では、世間サマの目が何かとウルサイ。それも独身ならばまだしも、家
庭持ちの看護婦ならばなおのこと、病院の近所では飲めない。当然、飲み会の場所に
も気を遣う。
では、どうしても飲みたい時はどーするか? 隣の市まで車をブッ飛ばして遠征す
るのだ。これは、独身者も家庭持ちも関係ない。遊ぶ時は遊ぶのサ! だって、これ
が一番のストレス解消法だもんネ。
しかし、この地域の看護婦たちの飲み会は、2〜3ヵ月に1回だけ。これは、都会
の看護婦たちと比べて、少し淋しいものがある……。

ここで、グッと地味な、看護婦たちのストレス解消法がある。
ただし、これは、家庭持ちや子供持ちの看護婦の場合ーー。
彼女たちが仕事を終えて、一番ホッとする時は、なんと言っても子供の顔を見るこ
と。どんなに仕事のことで落ち込んでいても、子供の顔を見るだけで疲れもふっ飛ぶ
というものだ。このストレス解消法だけは、都会も地域も関係ない。
たとえ、病院でどんなに立派な看護婦や意地悪な看護婦であっても、家に帰ればご
くフツーの”母”なのだ!
ま、それだけに、母親看護婦にとっての土日の深夜勤務は、かなりツライ……。
一家団らんのあと、家族が眠る夜の11時12時過ぎに、彼女たちは、病院へ出かけて
行く。看護婦という仕事であるばっかりに、ヌクヌクした寝床と、可愛い子供の寝顔
に後ろ髪引かれながら、家をあとにするのだ。
これが地方の冬の雪深い地域だと、冬は車も出せずに悲惨な目に合う。独りぼっち
で、深夜の寒い雪道をトボトボと、何キロも何キロも歩くことになるのだ。
しかし、そこはプロの看護婦! いったん家を出た時点で、家庭のことは一切忘れ
てしまう。むしろ、今夜看護する患者さんの一人ひとりの顔を思い浮かべながら、病
院へ向かうのだ。だからこそ、帰ったときの子供の温もりが大切になってくる。

ところで、看護婦のプロを自認する看護婦たちが、将来、自分の子供を看護婦にさ
せるか? …と問うと、資格は持たせてもよい、ただし、看護婦にはさせたくない、
と言う人が、未婚・既婚に関係なく意外にも多い。
これは、看護婦の仕事が不規則で、何よりも重労働の割りには給料が安いというこ
とが起因している。自分自身、看護婦の仕事を誇りにしていても、子供だけには親と
同じ苦労をさせたくない…ということかもしれないーー。


■看護婦たちの密かな純情


患者さんが”看護婦さんは、いつも元気で、気が優しくて力持ち”…と、看護婦の
印象を、良く持ってくださるときがある。これは本当に嬉しい。
しかし、”私は看護のプロ…!”という誇りを持っていても、それでも時々、看護
婦たちは仕事がひどく空しく思えることがある……。
たとえば、飲み会帰りの、楽しそうに帰る若いOLグループとすれ違ったとき、
ーーいいなぁ…こっちは、これから深夜なンだぞォ。病院へ行ったら、患者さんの
オムツ替えが待ってンだぞォ、私のお仕事なンだからァ……。
と、まだまだ遊びたい盛りの若い看護婦などは、その華やかな一団を横目で眺めなが
ら、変にミジメっぽく思ったりする。

そして、気を入れていた患者さんが亡くなったとき、
ーーせっかくココまで快復してたのに…一生懸命看護してたのに……。
と、自分の看護婦としての非力さに、どんなベテランの看護婦でも、思わず深いタメ
息をついてしまう。

恋人にフラれた看護婦などは、どんなに泣きたくても、時間通りに勤務に入る。
ーーどうして看護婦には日曜出勤があるのッ…どうして彼は、看護婦が簡単に仕事
を休めないとわかってくれなかったのッ…どうして看護婦の仕事を理解してくれなか
ったのッ……!
しかし、そんなときに限って、その看護婦は小さなミスを犯し、患者さんに怒られ
たり、婦長に注意されたりする。今日は厄日か天誅殺…!? それでもその看護婦は、
ベッドの患者さんたちに笑顔で応対しなければならないのだ。

……いずれにせよ、どんな看護婦にでも、結構ツライときがある。しかし、病気の
患者さんは待っちゃくれない。みんな看護婦の手を必要としている。わかってはいて
も、フッと看護婦の心にもすきま風が吹く……。病院がほとんど生活の中心になって
いる彼女たちだが、いつも心は、私生活と仕事の間で揺れ動いている。
とは言っても、看護婦はやっぱり、明るく元気なのが身上……。わかって欲しいの
は、看護婦だって患者さんたちと同じ、フツーの人間…だということだ。
独身看護婦なら恋や結婚をしてみたい、既婚の看護婦ならトキメキだって欲しい。
彼女たちが私生活で”女”に戻ったとき、それは何かと問題が多い……。

これは、東京近県の某総合病院外科勤務の、25歳の看護婦マミの恋(!?)物語ーー。
ある日、外科病棟スタッフ恒例の飲み会があり、彼女は、一年ぶりの飲み会で、す
っかりデキ上がってしまった。
マミは、中学時代のB・Fと、正看護婦になると同時に結婚した。
恋人より友達感覚に近い夫と結婚し、甘い新婚生活に浸る間もなく子供が生まれ、
以来、家庭と仕事…マミは一生懸命やってきた。ときめきこそないが、夫は優しく、
仲のいい兄と妹、時には姉と弟…マミは今までそんな夫婦生活を過ごしてきた。
同居する夫の両親や、夫や子供の待つ家では嫁・妻・母の3役と主婦業をこなし、
病院で看護婦の仕事をこなす、まさにマミは八面六臂の活躍の毎日だ。
いつもならパスする飲み会に、マミが参加しようと思ったのは、子供も幼稚園に上
がり、家庭と病院の仕事に、ちょっぴりユトリが出てきたせいかもしれない。
そうなると久しぶりに参加した飲み会も、病院での顔しか知らないスタッフの酔っ
ぱらった状態が、マミには何かと楽しく珍しかった。
夜8時…ボリュームいっぱいのエコーを利かせたカラオケが店内に鳴り響く。いつ
ものならば、夜勤が無い限り、この時間には子供を寝かしつけている頃だ。
単身赴任の若い研修・佐藤は、無表情で無口の医療現場と大違い。ニコニコと冗舌
に話しかけてくる。病院の顔と違っているだけに、マミには意外な驚きだ。
「マミちゃん、25歳なンだって? で、結婚してて子供までいるの…驚いたなぁ!
ボク、マミちゃんのこと、てっきり二十歳ぐらいで、まだ看護婦になりたてだと思っ
ててサ、実は密かに憧れてたンだぜぇ〜…」
「センセーったらウソばっかりぃ〜。センセーには東京で妻子が待ってますよォ〜」
マミは、佐藤医師の言葉に嬉しくなり、無意識に甘え声で応酬する。
童顔の可愛らしいマミの顔立ちでは、確かに夫・子供のいる25歳の女に見えない。
小柄でピチピチした身体付きからしても、女子大なりたての女の子のようだ。
26歳のこの若い研修医は、マミの顔をジッと見つめると、彼女の耳許に少し真面目
な声でささやくように言った。
「いや、ホント! …本気で言ってンだゼ」
……ポーッと酔った頭に、佐藤医師の言った言葉が映画のセリフのように響く。
マミは、この瞬間、恋に堕ちた!

そして、マミは2次会の帰り、この佐藤医師とベッドを共にした……。
2ヵ月が過ぎた。まだ研修医の身である佐藤医師は忙しいらしく、彼との密かなる
逢瀬もままにならない。この間、それでもマミは、佐藤医師と3回ほど会った。
彼とは少しずつ疎遠になっていきそう……佐藤医師に恋をしてしまったマミは、毎
日、不安に駆られた。病院で顔を合わせても、当り前だか、彼は知らん顔。彼の部屋
に電話を掛けてもいつも忙しそうに断ってくる。
そんなとき、病院内で自由参加のスキー旅行が企画された。マミは、気分転換にと
夫の了解のもと、そのスキー旅行に参加した。
実のことをいうと、スキーが趣味の佐藤医師も、一緒に参加するかもしれないと、
マミは期待をしていたのだ。
ホテルの大きなガラス張りのあるラウンジに、マミは独りぼっち。ゲレンデは、ス
キー服のさまざまな色が白い雪に鮮やか映え、華やかなお花畑のようだ。
彼女はこの旅行に参加したものの、佐藤医師の旅行前日のキャンセルが痛かった。
「なんだか、つまらなさそうですね」
声を掛けてきたのは、医療事務の高山クンだ。
「夜の宴会が終わったら、地下のバーで飲みませんか?」
1階の外来受付ロビーで、たまに見かける高山クンは、事務の女の子たちからペッ
ト扱いされている。24歳の若さの割りには、事務の女性軍団に囲まれていることもあ
って、どの女性にもそつなくて愛想が良い。
そして、マミは高山クンに誘われるまま、宴会のあと二人だけでお酒を飲んだ。
始め、病院内のたわいのない噂話だった。いつしか看護婦の悩みを打ち明けるマミ
に、彼は真剣に耳を傾け、一生懸命に彼なりのアドバイスをしてくれる。
「ボク、ひたむきなアナタが好きです! ……前からずーっと好きだっんです!」
話が途切れたとき、高山クンは顔を紅潮させながら、真っ直にマミを見つめ、唐突
に告白した。ひたむきなのは、彼のほうだ。半年前から高山クンは、人妻であるマミ
に恋をして一方的に思い詰めていた。
そしてこの時、マミは、再び恋に堕ちた……。

ーー佐藤センセーのことは、終わったワ…。あれは、お酒の席のちょっとしたはず
みだったのよ。でも、今度は違う! 私も彼も、こんなに真剣に愛し合ってる!
二人は、スキー旅行以来、人目を忍ぶ仲となった。わずかな時間を見つけて、毎日
のように高山クンと一緒に過ごすようになり、マミにとってはまさにバラ色の日々…
甘い恋の実感……。
ーーこのままずーっと、彼と一緒にいたい…。彼は一緒に駆け落ちしようと言って
くれた…私…私、彼と駆け落ちしてもいいわ! ……私、子供を捨てても、彼と一緒
なら後悔しない……!
危ない恋の深みにはまった二人…。幸か不幸か、密会は周囲にバレていない。
そんな隠れた恋が一ヵ月も続いた頃、彼の口から突然の別れが……!?
マミの前で、ボロボロと子供のように泣く高山クン…。マミが何度聞いても、
「すまない…許して……でも…アナタのことは今も愛してるんだ……!」
と、泣いて答えようとしないばかりか、彼はマミを強く抱き締めたまま、一段と激し
く泣くばかりだった。
マミは泣いた。突然の別れの言葉に、マミは子供のように彼にむしゃぶりつく。
ドンドンとこぶしで彼の胸を叩きながら、彼女もまた、子供のように泣きじゃくる。
それでもようやく、マミは長い時間をかけ、彼から別れる訳を聞き出した。
高山クンには、ずっと片想いだった同級生の女性がいたのだーー。
彼は、高校・大学とずっとアプローチをかけていたが、2年前、自分自身で一方的
片想いにピリオドを打つことで、その女性との恋を諦めていた。そして半年前、彼は
マミに片想いをした。
ところが、ほんの一週間ほど前、その女性と偶然にも再会した。今度は、彼女のほ
うから交際を申し込んできたのだ。
彼にしてみれば、念願の恋成就だった。彼は、有頂天になり、即座にOKした。
……しかし、彼には今、マミという女性がいる。マミも愛している…でも、マミに
は家庭があって夫も子供もいる…。
「ボクは、アナタも、その女性も好きなんだ。二人を、本気で愛してるンだ!」
高山クンは、泣きながらも、絞るような声でマミに訴えている。
涙でかすんで見える高山クンの泣く姿を、マミはしばらくボンヤリ眺めていたが、
「もう、いいわ…いいのよ、高山クン……。もうこれ以上苦しまないで……。だって
高山クンは、私よりも先にその女の人を好きだったンですもの…。私よりもその女の
人のほうが早かったンですもの」
ーーそうよ、仕方のないことだったのよ。駆け落ちまで考えた高山クン…。私たち
出逢うのが遅かったわ。私の生涯を賭けた恋…もう…終わってしまったのね……。
マミは、病院の外来受付ロビーの前を通るとき、チクッとちょっぴり胸が痛む。

あれからのマミの生活は、家庭と病院の往復で、ときめきも何もない毎日だ。これ
からも、平々凡々として何も変わらないことだろう。
そう…たぶん、次の恋ときめきが現れるまでは……。


■フリンが先? それとも…結婚が先?

早いか遅いか極端に別れるのが、看護婦の結婚適齢期だ。
看護婦が結婚するのは、20代前半か、30歳過ぎた頃。
20代の早い時期に結婚する看護婦は、中学・高校のときの幼なじみがトテモ多い。
一人前の看護婦になるまで、幼なじみの彼をとりあえずキープ君。もし、23〜24ま
でに本命の彼が現れなかったら結婚しましょう、というセンだ。
万が一にも、理想的な本命の彼が現れたりしたら、もちろんソッチへ乗り換える。
では、幼なじみや本命の彼などいない看護婦は…というと、元々若い頃から、仕事
を覚えることだけに熱中している人が多い。
そんな彼女たちが、仕事と気持ちにユトリができた頃には、30歳前後。しかし、こ
の年齢ともなると、頃合いのいい相手は、もうすでに結婚していることが多い。
この年頃で、結婚したい看護婦は、既婚の先輩看護婦を頼みの綱とする。で、頼ま
れた先輩看護婦は、アッチコッチの知人を紹介する…ま、お見合いのようなモンだ。
あとは、看護婦自身が結婚を意識して、ただひたすら自分で探す。
手頃なところから、独身の医療事務員・看護士・レントゲン技師・検査技師という
病院関係者…。ま、職場結婚ですネ。
あとは、学生時代の女友達が誘ってくれる、合同コンパにマメに顔を出すとか…。
ご縁があれば、たまーに担当患者さんとか、もっとたまーに医師とか…。
いずれにせよ、看護婦は、病院中心の不規則な仕事のせいもあり、どうしても交際
範囲が狭くなって、結婚相手と出会うチャンスが滅多にない。
しかし、それでも看護婦たちは、チャンスがあれば一生懸命、恋はする!
たとえば、婚約者のある身でありながらも、妻子ある中年の医師を愛してしまった
サトミのように……ーー。

関東地方の某大学病院院の脳外科外来に勤務する、看護婦のサトミには、2歳年上
の婚約者がいる。しかし、同じ脳外科の医師と、この3年間というもの、ずっと男と
女の関係を続けていた。
サトミが脳外科勤務の当初の頃、仕事に慣れない彼女に、その医師は何かとフォロ
ーしてくれた。彼女が、大人の包容力を持つその医師に魅かれるのは、早かった。
一ヵ月後、脳外科を含む混合外科のスタッフの飲み会があり、サトミとその医師は
2次会の帰り、ごく自然に結ばれてしまった。
43歳になる脳外科医には、当然のことながら妻子もある。サトミにもまた、当時婚
約したばかりの、高校時代からのB・Fがいる。
そして3年たった今も、サトミとその医師の関係は続いている。
途中、サトミは、何度も別れようと試みた。こんな不自然な男士女の関係を、一日
も早く精算したかった。いくら好きだ愛していると言っても、しょせん、フリンはフ
リン……医師のほうは妻子と別れる気も全然無い、サトミも婚約者と別れる気はこれ
っぽっちも持っていない。
そして、医師のほうは、若いサトミのほうとも、決して別れる気がなかった。
東京で学会があるとサトミをこっそり連れ出し、その帰りに2人で旅行をした。
サトミが別れ話を持ち出すたびに、これが2人の最後の旅行にしようと医師が言い
出し、サトミは医師の言葉に折れる。そんなやりとりが3年の間、何度も続いた。
サトミが彼に対して抱いているのは、もはや愛情ではなく、”情”だけだ。
誰に知られるということもなく、3年間の歳月を、ふたりだけが密かに共有してい
た…ただ、それだけのことだ。
夏、サトミは休暇を利用して、医師の家族をキャンプに誘った。サトミには、婚約
者の彼が、喜々としてついて来た。
サトミは何も知らない彼の妻と会うことで、彼にへの”情”を断ち切りたかった。
「サトミさんって看護婦さん、イイ娘さんね。うちの子供たちとあんなに一生懸命に
遊んでくれて……。秋に、あの婚約者の方とご結婚なさるんでしょう?」
と、河原で子供と水遊びに興じるサトミを眺めながら、医師の妻は夫に言う。
「アノ先生、脳外科の偉い先生に見えない、くだけた話しやすい人だね。アノ先生に
仲人頼めばよかった。ね、サトミ」
と、サトミの婚約者は、無邪気に彼女に言った。
ーーこの人は、私を信じ切っている。私の愛をこれっぽっちも疑っていない……。
後日、サトミは医師に別れを告げた。そして予定通り…この秋、結婚をするーー。

■どっちもどっち!?


大学病院は、恋のお年頃・20代の看護婦が圧倒的に多い。そして、そこで働く彼女
たちのハートはいつでも恋愛にスタンバイOK。だけど、神聖なる職場での大っぴら
な恋は、絶対にご法度なのが大学病院の掟……。
大学病院内では、深く静かに水面下で咲く、恋が花盛りなのだ。
サトミと同じ某大学病院に勤務する、看護婦メグミの恋の場合はーー。
23歳のメグミは、看護学生時代からコッソリ付き合っていた31歳の外科医と、この春
に結婚した。…というと、これはメデタシメデタシの単なるお話で終わってしまう。
が、実は、メグミは結婚するまでに、外科外来の主任看護婦から、さまざまな迫害
を受けた。

メグミは、大学病院付属の看護学校を卒業したあと、運がいいことに愛する外科医
のいる、外科外来に配属された。
そこには、なぜかメグミにだけ特別厳しい主任がいた。30歳で夫も子供もいる、コ
ノ主任は、メグミのささいなミスをやたらネチネチ叱ったあと、
「一人前の看護婦になるため、あなたのためを思って言うの」
と、イジメているのか特訓しているのかわからないときに、先輩看護婦が遣う常套セ
リフを必ず連発する。
始めメグミは、新米の身なればと耐えてもいたし、時には恋人の外科医にグチって
もいた。恋人である外科医の「今はとりあえずガマンしろ」という言葉にも、メグミ
は優しい慰めを感じていた。
しかし、主任のメグミに対する行為は、日に日にエスカレートするばかり。
そして同時期に、なぜかメグミのロッカーから、靴を消えてなくなったり、私服が
ゴミ箱に捨ててあったりと、古典的な嫌がらせが起こった。
ーーなぜ、私だけがこんなに意地悪されるの? 私、誰かに何かした……?
「メグミ、あなた誰かに何かやって、その人に恨まれてンじゃないの?」
同期の看護婦たちは、メグミを心配して言う。
そんなある朝のこと、ロッカーの前にデカデカと目立った貼り紙……!?
”新米で仕事もロクにできない外科外来の看護婦と、独身とはいえ若い女に手を出し
た外科医は、神聖なる病院の風紀を乱してウンヌンカンヌン……”
このスキャンダラスな貼り紙の一件は、アッという間に病院内部を午前中のうちに
駆け巡った。
恋人同士であることがバレてしまった二人は、さっそく婦長に呼ばれ、事の真相を
究明された。
病院の今までの例だと、たいていの看護婦は、医師と別れて(捨てられて!?)病院
を辞めていくのがフツーだった。ところが、この二人の場合は相性も良かったのか、
災い転じて福となす…一気に結婚への運びとなった。

そうなると、周りの証言からいろんな事実が判明した。メグミへの仕事上のイジメ
から察しするに、あの数々嫌がらせは当然、主任の仕業……。では、なぜ主任が…?
……なんと、主任と外科医の二人は、長い間、愛人関係にあった!
夫・子供がいても、女盛りの主任にしてみれば、独身の外科医はせっかくの”美味
しい恋のオモチャ”だった。
それがいきなり、途中から割り込んできた若いメグミに、この外科医を横盗りされ
るなんて…と、愛人を盗られた主任の、メグミへの怒りと嫉妬が爆発…というのが、
コトの真相だ。
つまり、独身の外科医は、家庭持ちの主任と愛人関係にありながら、看護学生にも
手を着けていたってことになる。そして、主任にしてみれば、愛人の外科医の新しい
恋人が、単に邪魔なだけだった。おっぱらうつもりが、主任にはヤブヘビになってし
まったわけだ。

看護学生時代からの恋人に、愛人がいたと知ったメグミは、さぞや心にキズを負っ
たのでは…と思って、彼女に同情するのには及ばない。
なぜなら、メグミだって恋人の外科医のほかに、複数の医師とも付き合っていたの
だから……。結婚できてモウケた気分なのは、当の被害者メグミかもしれない。また
案外と、独身の外科医は、遊び足りないままメグミに、まんまと捕まってしまったの
カモ……!? ま、どっちもどっちってコトでしょうかーー。
で、その後はどーなったか…って? べつにどーもなってはいない。メグミは結婚
退職したし、外科医は大学病院で忙しく働いている。もちろん、主任は、外科外来か
らほかの科への転勤があったものの、これだって3〜4年に一度の慣例の転勤だ、今
も院内でバリバリ働いている。大学病院の水面下にあるものはともかく、水面上いつ
だって、医療現場はフツーに機能している。これが大学病院というものだーー。

■白衣を脱いだら一人の女

大学病院や都立・県立などの総合病院は、病棟の医師と看護婦の飲み会が多く、2
次会3次会と流れていくと、医師も看護婦も乱れに乱れ収拾がつかない…と、病院内
部が特殊な男女関係の世界(!?)と思っているかもしれないが、ゴク一部の話だ。
恋愛関係では、民間の大きな会社から小さな事務所まで、それなりの恋模様がある
はずだ。社内恋愛があり、職場結婚がある。時にはフリンだってあるはず。
しかし、男と女が同じ会社で働くというだけで、すぐにアヤシイ雰囲気の男女関係
になるわけがない。それは、看護婦と医師も同じで、決して特殊な世界ではない。
病院で働く看護婦は、白衣を脱げば0Lと同じように、フツーの女性だ。
ただ、働く場所が病院…世間から隔離され、変に禁欲化され、神聖化された医療現
場というだけだ。しかし、世間は、病院の裏側に”特別な何かがある”と思い込んで
いる。何もない、コレ本当だ。フツーの会社世界と似たようなものだ。
看護婦は、たまたま看護婦学校で学び、それを医療現場で応用しながら働いている
にすぎない。ま、医師だって医学を学んで同じことをやっているが……。
もし、一般の会社と違っているとすれば、それは、患者さん一人ひとりの命を預か
っていることだ。

病気で高ぶった感情を持った患者さん、身体が弱って気力を失った患者さん…さま
ざまな患者さんに対し、看護婦は医療だけでなく、グチを聞いたり励ましたり、時に
は理不尽な八つ当たりをされたり……。
看護婦は、患者さんの感情面も看護するときもあるし、どうかすると子供を保護す
るお母さんのような役割を患者さんにすることもある。
それは、同じ医療現場で働く医師も同じことだ。医師と看護婦は、方法は違えども
同じ医療現場の同じ土俵で戦っている仲間だ。強いて言えば、患者さんの命を、医師
と看護婦が一緒になって預かっているという同志の意識はあるかもしれない。
しかし、看護婦は雑多な忙しさに追われ、フツーに働く社会人よりも、ストレスも
ハンパじゃなく多い。ゆえに、飲み会などでは、看護婦も医師もドンチャン騒ぎでス
トレスを解消する。その時、看護婦と医師が意気投合してオトナの関係になることだ
ってある。
誰にもバレなきゃいいし、迷惑かけなきゃいいのだ。
白衣を脱いだ看護婦は、ごくごくフツーの感情をもった、一人の女なのだ!