その患者さんは、エレベーター横に貼ってあった標語の紙をビリッと剥ぎ取り、私
のカーディガンの裾をグイッと引っ張ったまま、ヒステリックに叫んだ。
「さあ、声を出しで読んでみなッ! さあッ、早くッ!」
浅黒い顔は怒りで赤黒くなり、ガッと見開き血走った目が憎々しいげだ。
ボサボサ頭のパジャマ姿で、患者さんは車椅子の上からギャンギャン吠える。
ーーまるで、お祭りの夜店にある、ボールを投げるとウォーッと吠える赤鬼みたい
……私は、ついそう思ってしまった……。
コトの発端は、一枚のシップ薬だったーー。
私は、北関東地方でも結構大きな病院で、外科全般の入院病棟で働いている。
43歳になる主婦の広田さんは、赤信号の横断歩道に足を踏み出し、会社員の車に巻
き込まれるという事故で、うちの病院に入院してきた。
広田さんは幸い頭に何も異常もなく、ひどいムチ打ち症状態だった。そして、その
まま入院となった。
ムチ打ち症は時間が立たないと痛みも取れないし、季節の変わり目に人によって痛
みやシビレが残ったりする。
外見なんでもなくても、患者さんが痛いとかシビレがひどいと医師に訴えれば、医
師は、その障害を最小限に取り除く努力をするしかない
患者さんの自己申告の痛みには、強制退院はできない。
広田さんは、入院して2ヵ月半になる。
しかし、この患者さんには、外科病棟全員の看護婦が泣かされていた。とにかく、
広田さんの言動で、誰が一番先にキレるか…看護婦の中でも話題になるぐらいだ。
辛抱強い、アノ付き添いさんですら、「もう、やってらンないわよッ!」と、何人
が替わったことか……。時として、広田さんの理不尽な要求に耐えかね、付き添いさ
んの救いの目が、通りすがりの私や、ほかの看護婦に向けられたことがあった。
ーーゴメンよ。付き添いさん…実は、辞めるあなたは7人目ナノ…・
と、フォローできない付き添いさんに、心の中で何度詫びたことか……。
ここは、看護婦不足でいつも忙しいし、広田さん以上の重症の患者さんが何人もい
る。当然、急変する患者さんからのナースコールが優先することになる。入院患者さ
んたちにも、そのへんの事情については了解してもらっていた。
ところが、コノ広田さんだけは違っていた。
「ナースコール鳴らしてるのに、なぜ私のときはスグ来ないのヨッ!」
「すみません、305号室の患者さんが急変して、そっちにみんな行ってまして…」
ナースコールから5分ほど遅れて行った私に、広田さんはもう怒っていた。
「私だけをみんな特別視で見てるのね。上田さん、私に敵意持ってるでしょう。ほか
の看護婦もそうよ…! 加害者が(事故を起こした会社員のこと)私にお金を払って
くれないから、私にだけサービスがないのよ!」
ーーそんなぁ……! サービスって何よ。看護婦のサービスって何……?
一瞬ムカつくが、いつものコトだと腹立ちを押さえ、私は広田さんに尋ねる。
「あの…。それで、用事はなんでしょう?」
「シップ薬を7〜8枚ばっかし持ってきてよ」
「……事故から何ケ月もたってるし、そんなにたくさんシップ薬貼って利きます?」
「利かないヨ。いいから、早く持ってきてッ!」
「……じゃあ、先生に処方してもらいますね」
私は、広田さん担当の小松医師に渋々、シップ薬の処方を頼みに行った。
「何ぃ〜? また、広田さんなの? もうダメだよ。いくら貼っても効果は同じこと
なんだから、意味ないよ…。痛いとこに一枚貼れば十分なんだからね。ダメダメ!」
とは言うものの、結局、小松医師は、広田さんのベッドまで事情説明に行く。
小松医師がその場を立ち去ったあと、広田さんは私に恨みの目を向けた。
「あんたが言いつけたンだろう……!」
そして、一時間後ーー。
車椅子に乗った広田さんは、真っ赤な顔で怒ったまま、私を標語の貼ってあるとこ
ろまで引っ張って行ったのだ。
標語には、看護婦たちの患者さんに対する看護の心得が書いてある。
人当たり良くしましょう、とか…微笑みはウンヌン…看護はカンヌン……。
この騒ぎで、婦長が駆けつけて来た。
「こいつは、何もしてくれないッ! 看護婦のくせして、なんにも言うことを利いて
くれないンだよッ! ここに書いてある標語なんか嘘っぱちだぁーッ!」
「いったい何をしてほしいのですか?」
困り果てた婦長が尋ねるが、広田さんは興奮状態で言ってることも支離滅裂……!
「こんな標語はデタラメだ! 看護婦は、私にダケ、何もしてくれないッ!」
と、広田さんは、ただコノ言葉を繰り返すだけだった。
そして、翌朝の7時半、広田さんの朝の電話行事が始まる……。
「モシモシ、おまえが金を持ってこないから、病院じゃシップ薬も出してくれないン
だよ! モシモシ、聞いてンのかいッ。何ィー? 会社に行く時間だぁ〜!? 会社な
んか、どーでもいいンだよッ。被害者の家から電話かかってきたから、会社に遅れた
って言えばいいじゃないかッ!」
毎朝この時間になると、ナースステーション横の公衆電話で加害者(今では、もう
被害者!?)へ、大声で怒鳴るコノ患者さんに、看護婦たちはくたびれていた。
ここの病棟看護婦たちは、多かれ少なかれ、広田さんの暴言被害者だ。
「私、広田さんとケンカして、病院辞めさせられても、絶対に後悔しない!」
と言う、若い看護婦もいる始末……。彼女は、点滴の薬の交換でさえも若いというだ
けで、広田さんに頭っから信用されていなかった。
看護婦だけではない、担当の小松医師さえもプッツンしそうになったーー。
「眠れないので、薬をくださいヨ」と言う広田さんに、小松医師が睡眠薬を処方する
と、翌朝、ムスッとふくれたままの広田さんは、小松医師を意地悪そうに見上げ…、
「ちっとも眠れなかった、ホントに利く薬だった? 先生、私をモルモット代わりに
新薬の実験台にしてンじゃないのォ〜?」
日頃から、コノ患者の言動にゲンナリしていた小松医師だったが、さすがこの言葉
には腹を立てて、カッとして言ってしまった。
「もう一回交通事故にあって、頭打てば治るンじゃないかい?」
患者の広田さん、小松医師のこの言葉を根に持って、以来、ずーっと恨んでいる。
ところで、広田さんは、ずっと車椅子生活だ。事故の影響で手足が痛かったり、シ
ビレがひどかったりして、始めのうちはベッドの上で生活していたが、その間、使わ
ない手足の筋力が弱ってしまった。ちょっと歩くだけで足が痛いと、広田さん自ら、
車椅子生活に入ってしまったのだ。
広田さんは、加害者への怒りや憎しみのあまり、幻覚や幻聴すらあったようだ。
やたらヒステリーを起こし、手当たりしだいに看護婦に命令し、気に入らないと怒
鳴る……。彼女は、看護婦たちに、八つ当りを立派に(!?)することで、精神のバラ
ンスを保っていたようだ。
食事中ですら、突然、加害者のことが頭に浮かぶと、食べている途中の食器を床に
投げ捨て、バシッと手に持つ箸を折る広田さんは、
「私が退院する頃、殺人事件が一件、増えてると思うわよ」
と言って、加害者を殺すことを想像し、ニヤリと笑う……。
「いいわよ。退院さえすれば、私達は関係ないから…。とにかくこの病院にいる限り
広田さんには、何も問題起こしてほしくないのよ、あなた!」
ーーとうとう、婦長までがキレそうね……。
それにしても、6人部屋の同室の患者さんたちこそイイ迷惑。さわらぬ神に祟りな
しでも、時には患者さんもたまりかね、彼女に抗議することもある。
ーーいいぞォ〜! ○○さん、もっとやれーッ! 広田をやっつけろーッ!
私達看護婦は、患者さん同士の口ゲンカに困ったフリしながら、実は、片方の患者
さんに拍手喝采、心の中で声援を送っていた。
結局、患者の広田さんは、ムチ打ち症で3ヵ月間病院にいて退院して行った。
退院のきっかけは、
「週末、一度くらい家に帰ってみたいねえ……」
という、広田さんの一言だった。私は広田さんの気が変わらないうちに、即、言う。
「そう? ためしに家に帰ってみますか。すぐ、小松先生に頼んできますネ」
ーーぜひ、ぜひぜひ! そーしてちょーだい。本当はもーいつでも退院できる身体
なのよ、広田さん。このまま、ずっと退院中でも、私、許しちゃうワ!
「でも、大丈夫かねえ……。小松先生から、外泊許可が下りるかねえ?」
「大丈夫ですよー。小松先生もそうおっしゃいますよ」
ーー大丈夫! 万が一、小松先生が渋ったら、私、ねじり伏せてでも外泊許可を取
ってきてあげるわヨ。
こうして、広田さんは土日をかけて家に帰った。いざ帰ってみると、やっぱり我が
家がいいらしく、それがきっかけとなって、2〜3回外泊した後、退院していった。
今思うと、広田さんは、事故加害者の会社員を困らせるため、意地で入院していた
ような気がする……。しかし、もう彼女のような患者には、二度と会いたくない。
その夜、病棟看護婦だけの飲み会があったことは、言うまでもないーー!
■目を背けたくなる患者側の厳しい現実
病院に来る患者さんには、さまざまな人がいる。
ガス自殺未遂で運ばれ、一時は蘇生したものの結局は亡くなってしまった10代の女
の子……。彼女の場合、一応、死因を調べるためにオペ室で解剖するわけだが、もう
顔はむくんだように腫れて青っぽいシミだらけで、生前の10代の女の子だけがもつ、
ハツラツとした輝きの肌など見る面影もなかった。
こんなとき若い看護婦などは、2〜3日食欲不振になる。
同じ自殺未遂でも、こちらは中年の男性。妻に付き添われて運ばれてきたものの、
どこに隠し持っていたのか、妻の目の前で再び農薬を飲んで自殺を計った患者さんも
いる。家庭の中で何があったのか、看護婦としてそんな夫婦を見るのは痛ましい。
あとは野となれ山となれ…と、自殺で死んでいく患者さんはいいかもしれないが、
残された者の気持ちは持って行き場がない……。
そしてこれは、ある地方で起こった現実ーー。
ハワイの新婚旅行から帰って来て、ハネムーンベビーができた夫婦がいた。
しかも2卵性双生児らしく、夫婦はもちろん大喜び! 両家の親たちも初孫とあっ
てはなおさらのこと。大喜びで生まれる日を、まだかまだかと待ち望んでいた。
そして、生まれてきたのは、ふつうの日本人の赤ん坊と、黒人の混血児……。
出産に立ち合った看護婦も、これにはなんとも慰めようもなかった
いずれも看護婦が仕事と割り切るには、つい一人の人間に戻ってしまい、悲惨な気
持ちになり、落ち込んでしまったりする。
しかし、別の意味でも一人の人間に戻り、感情に走ってしまいそうなこともある。
それは、威張って、命令して、看護婦を指名する患者さんを担当する場合ーー。
そんな患者さんは、大学病院の教授の紹介だったり、どっかの会社社長だったり、
どっかの議員だったりする。
彼らは、医師や看護婦に大事にされて当たり前、検査も優先されて当たり前と思い
込んでいる。態度はデカイ、言葉遣いは命令口調……。
治療を受けるために、ひとたび病院に入ったら、偉い人や有名人であろうが、そし
て、浮浪者であろうがコレ皆平等ということが、なぜわからないのか……。
世間で評価されている肩書きが、そのまま病院の中でも通用すると、錯覚する患者
さんがなんと多いことか……。
ーーちょっとォ〜患者さん、世間の常識が、病院の中でまかり通ると思うな〜ッ!
……などと、お腹の中で毒突く看護婦は一人だけじゃないーー。
■人生の終焉に立ち会うとき
ターミナルケアとは、医師にあと数ケ月の命と診断された患者さんに、残された命
に対する医療のことだ。
人間は、生まれてきて、最後に死ぬ……。不治を宣告された患者さんに、看護婦は
自分の考えられる”看護”の中で、どれが最善なのかいつでも必死に模索している。
乳癌が肺に移転した患者さんがいたーー。
まだ若い主婦で、子供も幼かった。ご主人は、仕事帰りの毎日、病院の妻に顔を見
せていた。二人は仲睦まじく、いつも枕もとで長いこと喋っていた。
癌は、だんだんと患者さんの肉体を蝕んでいく……。
ある日のこと、患者さんはいよいよ息が苦しくなり、セデーション(麻薬)をかけ
てほしいと言った。
これは、患者さん自身、楽にはなる。しかし、セデーションをかけたが最後、意識
がなくなり、二度と現実の世界に戻ってこれなくなる。その間、癌はどんどん進行し
結果的に死期を早めることになるのだ。
患者さんは、”死”をそのまま受け入れ穏やかな顔で、静かに言った。
「夫には、最後のお別れをしましたから…もう、いいンです……」
セデーションをかける看護婦は、仕事である立場も忘れ、涙をボロボロ流した。
それからしばらくして、意識のないまま、患者さんは亡くなった……。
たとえば深夜勤務などので、患者さんの急変で亡くなった場合、これはもう仕方の
ないことだ。看護婦は、これまで自分の責任と思ったら、この仕事はやれない。
しかし、この場合の看護婦は、看護に最善を尽くし、何よりも患者さんとその家族
に納得してもらったという、看護婦という役目が全うできた。
困ったやつら……外来編
( 待合室は、一幕劇場!?)
■外来待合室の風景
患者さんには、医師や看護婦との相性があるようだ。
そもそも病気を治すということは、患者さんが医師を信頼していなければ、治るも
のも治らない。
医師は、病名や治療法など、患者さんから尋ねられたらキッチリ答えなければなら
ない。もちろん、現段階でわからなければわからないと答えるべきで、いきなり怒鳴
って患者さんを脅かすなど問題外だ。
患者さんは、一度医師を信頼すると、医師と患者さんの相性抜群、”先生サマの腕
は黄金の腕、出す薬は魔法の薬”…ということになる。
しかし、医師への信頼…いえ、病院との相性(!?)がよすぎるのもコレ問題だ。
「先生、いつものヤツ…ぶっといの一発、やってくれ!」と、診察室に入ってくるな
り、いきなり腕を出す患者さんや、
「とにかく点滴を打ってくれよ。アレが一番利くねえー」
と、何がなんでも点滴という、点滴信仰の患者さんがいる。
点滴といってもブドウ糖だ。医師は、口から入れる食べ物で栄養摂ったほうがいい
と、なんとか食べる気力を持たせようとするが、そんな患者さんに限って、点滴さえ
打てば治ると思い込んでいる。
まァこんなことは、昔から何十年もやっている、田舎や下町の診療所などでよく見
られる風景だ。
診療所の待合室には、その土地の老人ばっかり、お茶飲み感覚で順番を待っている
ことが多い。その順番も、患者さんの間で、シッカリ取り決めがある。
「いやー、ここんとこ血圧が上がってねえ〜…ほれ、薬もこんなダヨ」
「アタシもほれ、血圧に神経痛もあるもんだから…」
「ワシなんか、血圧に神経痛に、最近じゃ腰痛までなっちまってねえー」
という、病気自慢から始まり、薬の種類を競い合い、薬袋の中身を膝にぶちまけて、
お互い医師にもらった薬の店開き。
患者さん同士、相手の薬の量に勝った負けたと、心の中で思ってたりする……!?
病気の話に飽きる頃、今度は嫁の悪口から近所に住むダレソレの悪口。そして最後
に孫の自慢話で、その日の地域老人懇談会はお開きとなるのである。
こんな調子で、いつも待合室が盛況なのは結構なことだが、肝心なホントに具合の
悪い患者さんが来たりすると、常連の患者さんたちは、自分の順番が狂うためか、あ
からさまに迷惑そうな顔をする。
新しい患者に熱があったり、お腹が痛かったりしてもお構いなしに、
「アンタ、どこが悪いの? どこから来たの? なぜ、ココに来たの?」
と、質問の矢を四方八方から浴びせたあげく……、
「ここのセンセーは、本当にいい先生でねえ…アンタ、大丈夫? 顔色が悪いヨ」
と、トテモ心配をしてくれるが、決して急病の患者さんに先を譲ろうとはしない。
ーージジィにババァ、ウルサイぞッ! 声をかけるな、痛いンだから……。
その患者さんの心の罵倒を知ってか知らずか、常連患者さんたちは、新参者に聞く
だけ聞いたらもう興味をなくし、再び自分たちの話題に花を咲かせるのだ。
看護婦は医師の指示で注射を打つが、これも患者さんと看護婦さんの"注射の相性"
”というのがあるから不思議だ。
患者さんの中には、一回で打って痛くないようにしろ…とか、ココが一番注射針が
入るところ…など、看護婦にプレッシャーかけてくる人がいる。看護婦は、そんなと
きほど緊張して失敗してしまうものなのだ。
それでも看護婦は、なんとかリクエストに応えようと、細い血管や太り過ぎでどこ
に血管があるかわからない患者さん相手に大奮闘する。だが一発で決まらず、2〜3
回…いえ、4〜5回注射針を打ち直すことも、たま〜にある。
そんなとき、決まってその患者さんは待合室に戻ったあと、
「いやー、今日の看護婦はヘタだったよ。3回も針いれてよォ」
と、顔見知りの患者さんに訴える。すると、相手も負けじと、自慢っぽく言う。
「いやいや、まだイイよ。オレなんか5回だぜ、5回ッ!」
で、どの看護婦が注射がウマイのヘタの、あの看護婦がいい、この看護婦が一発で
打ってくれるとひとしきり、お喋りをする。結局、注射を打つ看護婦と打たれる患者
さんは相性があるネ、ということで患者さん同士の結論が出て落ち着くのだ。
■軽い人ほど重病人を気取る?
医院の窓から、山田さんのおばあちゃんの姿が見えた。
ーーあ、定刻どおりにいつも来るわねえ、アノおばあちゃん……。
瀬戸内の海を臨む、この内科医院に勤める看護婦のテルコは、国道の向こうにある
信号の前で右を見て左を見て、シャキシャキと歩いてくる山田さんのおばあちゃんを
しばらくボンヤリと眺めていた。とても73歳には見えない元気さだ。
ところが、医院の待合室の扉を開けたとたん、フニャ〜となって元気がなくなる。
「あたしゃ、もうダメだよ。年はとりたくないねえ。血圧は高いし、あっちこっちに
ガタがきてるし……」
山田さんのおばあちゃんは、診察室に入ったらもっと元気がなくなり、医師に弱々
しく訴える。だから、医師も毎回同じセリフで、この患者さんを励ますのだ。
「大丈夫ですよ。薬飲んで食事さえ気を付ければ、血圧も心配ないし、ネ?」
「でも、あたし、もう年ですからねぇ……」
「山田さん、いつ見てもお若いですよ。どう見ても60そこそこ……」
と、看護婦のテルコも医師に合わせ、一生懸命ヨイショするが、
「何言ってンですか、あたしゃもう、身体の調子がホントに悪いンですよォ〜!」
と言いながら、この患者さんは、少し怒った声で”私ハ弱イノ、ワカッテネ”という
哀れっぽい顔を、毎回、医師と看護婦のテルコにむけるのだった。
そのくせ、薬をもらって医院を一歩出たとたん、また元のようにシャキッとなり、
しっかりした足取りで帰って行く。
ーーあれって、いったい何…? 医院に来たからには病気の雰囲気に浸りたいのか
しら…それとも弱々しく見せて、先生や私達に同情してもらって、大事に扱ってほし
いのかしら……?
21歳になったばかりの、この若い看護婦テルコには、山田のおばあちゃんが元気に
帰る後ろ姿を眺めるたびに、いつも不思議でしようがなかったーー。
コノおばあちゃんではないが、医師や看護婦たちに、とにかく、なんでもいいから
同情してもらいたがる患者さんは、結構多い。
「先生、この4〜5日、なんだか食欲がないンですよぅ」
「でも、お元気そうですよ」
と、医師が言うと、60歳になるこの主婦は、身を乗り出して腕を出して再び、
「見てください、ほら、こんなに痩せちゃって…私、癌かもしれない。顔色がとても
悪くなってる気がして……」
と、不満そうに訴える腕は丸太のごとく、むっちりパンパンと太っている。
「大丈夫ですよ、奥さん。顔色はツヤツヤしてて、健康そうですよ」
患者さんを励ますつもりで、看護婦のテルコは言った。とたんに主婦は、ムッとし
た表情で、ギロッと彼女をにらんだ。で、ついテルコのほうも思ってしまう……、
ーーあらあら、オバサン。癌を心配する前に、肥満を心配すればァ〜? どう見て
も、その体重は70キロを軽く越えてるヨ、ダイエットしたらァ〜……。
看護婦の見地からしても、ホントは声を出して言いたいテルコだったーー。
病院に来る患者さんは、気分が弱気になってるぶんだけ、強気に言い張って誰かに
甘えたいのかもしれない。それは、どんな患者さんでも年齢に関係なく、面白いよう
に、皆同じような行動形態を取る。
とにかく患者さんは、命に別状のない軽い病気の人ほど、強気で重病であるがごと
く主張したがるのだーー。