NO.1.2.3.4.5.6

 繁華街の中でも特に賑やかな場所にある、クラブ『舞』は、角刈りタヌキおやじの言うところの、天文館でも上品な一流クラブの店、だそうだ。
 本来なら三十過ぎの素人は雇わないところだが、税理士先生の口利きということで特別、特別に三十過ぎでも雇うんだ。
 角刈りタヌキおやじは、”特別”と”三十過ぎ”を二回も三回も繰り返しながら、恩着せがましく私に言っていた。
 鰻の寝床のような細長いフロアには、奥に向けて五つのボックス席が壁際にゆったり取ってあり、反対側にこれまた長いカウンターがボトルの棚を背に細長く伸びている。
 店の女の子は、オーナーの妻であるママを入れて十人。
 年齢を聞くことはタブーらしく、五十代らしきおっとりした雰囲気のママから、気の強そうな二十代後半のチイママ、AV女優のオーディションに落ちたような二十歳のカオルまで、年齢から顔付き・スタイルと、バラエティーに富んでいる。
 その夜一晩、私はチイママの指図通りに動きながら、あっちのボックスこっちのカウンターと、水割りを作ったりツマミを運んだりして、なんとかホステスらしく働いた。
 とにかく、早口で喋る客と女の子の会話に付いていけない。
 ジャッドン、タモッセー、ヤッデェー…薩摩言葉はむずかしい。私は、積極的にカウンターに入り、洗い物をしたり氷を割っていた。
  チイママである美香は、茶髪のポニーテールで、ちょっと見には”歳を食ったヤンキーママ”風。この道十年というだけあって、気性が激しそう。
 この女、客と店の女の子たちとでは、接し方がまるで違う。人格がガラリと変わる別人二八号だ。
 客の前では色っぽいトロける笑顔を見せるが、女の子たちをしょっちゅう厨房に呼んでは、早口で何かしら怒っている。要するにこの女、仕切りたがり屋のようだ。
 私も、さっそく美香に呼ばれた。
「あんた、イイ歳なんだから気を利かせて、ボーッと立ってるだけじゃなく、客の水割りドンドン飲んで、客に 新しいボトルを早く取らせンのよ、判った? 」
 美香は、キツイ口調のまま、私をニラミつけるように低い声で怒った。
 しかし飲むのはいいが、こんな調子で客のボトルの中身を減らすために飲んでいると、またアル中に逆戻りしそうでチト恐い……。
 美香から注意を受けた私に、カオルは何気無く私の横に立つと、人の好さそうな笑顔で、
「気にしゃんな、あンオナゴん趣味ンようなもんやっでぇ」
と、真っ赤な唇でニーッと笑って見せてくれた。
ーーへえ、いいとこあるじゃん。
 私はちょっとだけ心が和んだ。
 ま、この先この店で、私なんとかやっていけっかな……。

  この店の客層は、サラリーマンでも接待に利用する社用族、そして、医者に弁護士、自営業…。後は、たまに来るのが、小金持ちの若い肉体労働風のアンチヤンたちだ。
 真夏でもないのに、みんな一様に赤銅色に日焼けして、酒が強く、それも焼酎が大好きで、やたらと大声を出す連中だ。
 彼等は錦江湾が目の前ということもあって、カツオ船やマグロ船に乗っている男たちかもしれない。
こんな風に、店の風景が見えてきたのは、このクラブに勤め出して十日も過ぎた頃だったーー。
「リンコさん、ちょっと」
 私はボックス席で、とんでもなくヒワイな不動産屋風のオヤジからベタベタ触られて、危うくプッツンしそうな時だった。
 おっとりママからカウンター越しに呼ばれ、私はいそいそとカウンターへ回る。
 このお客さんの相手してねと言われ、私はだいぶん慣れた営業スマイルを、カウンター客に向けた。
「いらっしゃいませ、リンコです。お客さん、こちら初めて?」
「ボカァ、出張で初めて鹿児島に来たンだが、もっと田舎と思ってたら、天文館つてケッコー都会じゃん。
ま、博多にゃ負けるケド」
 仕事バリバリやってるゾッて顔をした、三十前ぐらいの若手営業マンらしき男は、遊び慣れた風に言う。
「ま、出張? 天文館の中、いろいろ廻ったみたいね」
「まぁ、ね。…きみ、市内のコ?」
「いいえ」
「じゃあ、もっと田舎のほうだ。枕崎? それとも、島かなぁ?」
 男は、酔客がよくやる、店の女の子の身元調査を始めた。
ーーこんな客ほどしつこい客なんだよナ…。
 私は笑顔のまま、コップにビールを注ぎながら、内心ゲンナリする。
「こン人は東京ン人」
 横からカオルが口を挟んできた。
「田舎モンのあたいにゃ、博多も東京も大都会じゃっど。お客さん、東京は行ったこたァあっとう?」
「い、いや…」
 せっかくアカ抜けた都会男を気取っていたところなのに、カオルにいきなり横から茶化されて、博多男は鼻白む。
「キミ、どうしてこんな鹿児島なんかに?」
 それでも、まだ追求してくる。今度は単なる野次馬根性だ。
「オナゴにゃいろいろあっでぇ、な、リンコさん? まァ…お客さん、呑んみゃんか呑んみゃんか」
 カオルは二十歳の年に似合わぬ婆様臭いことを言って、ビール瓶を持つと、スッと何気なく位置を替わり私をフォローする。
ーー有り難うね、カオルちゃん……私は心の中で彼女に感謝する。
 カオルは、男に大きなオッパイが見えるよう、カウンターに身を乗り出す。
 男がカオルの豊満なオッパイに見とれた瞬間、彼女は盛大にビールを注ぎながら賑やかに喋りまくる。
「ありゃ、ビールがなかネ。もう一本よかネ? あたいも一緒によかネ。そうそう、乾杯したあと、あたいと
“銀恋”でもデュエットせんね。お客さん、喋っとる声ンよかもんね〜。渋かねぇ〜」
 ウッとたじろぐ博多男に、さっさとビールを追加し、どさくさに紛れて自分のコーラも注文するカオル、客へのヨイショもしっかり忘れてはいない。
 さすがはバイトとはいえ、そこら辺はプロ?
 カオルは、博多男を店の奥にあるカラオケ台に引っ張り込み、
「リンコさん、隣りのコンシはよぉ、東京ン人じゃっどぉ。単身赴任で来といやっどぉ。
話ン合うよォ」
と言って、私にウィンクを投げてきた。
 彼女が相手をしていたその中年の男は、私と博多男とのやりとりを聞いていたらしく、少し笑いを含んだ目で私を見ていた。そして、訛りのない、懐かしい標準語で話をしてくる。
「東京のどこらへんなの?」
ーーあ…東京弁だ………。
「あ、あの、杉並です」
「そう、ボクは世田谷のほうなんだ。なんだか懐かしいな」
 男は自ら倉田と名乗り、リザーブのボトルを私に差し出す。
 このところ亜熱帯夜が続いていることもあって、店内の男達は、半袖のポロシャツか、上着もかなぐり捨てネクタイもゆるゆるに弛めた腕まくりのワイシャツ姿の客が多い。
 倉田は、背広の上下をビシッと着こなしていて、それが南国の夜の歓楽街の店では、妙に浮いて見えた。
「どお? リンコさんと呼ばれていたね。飲めるんでしょう?」
「はい、いただきます」
 生まれも育ちも東京だという倉田は、都内の大手企業に勤めていたが、事情があって鹿児島支社へ部長職扱いでやってきたとか。
 世田谷の自宅に妻と大学受験を控えた高校生の息子を残し、単身赴任も三年目になる、五十前後の孤独なサラリーマンだった。
 東京と鹿児島の距離は遠く、帰省する旅費だって馬鹿にならない額だ。そのために、男が東京の妻子の許に帰るのは、盆暮れの二回だけだと笑って言った。
 倉田と小一時間ばかり、アレコレ東京と鹿児島の食べ物や習慣の違いでお喋りしていると、フロアに居たチイママの美香が、すーっと寄ってきた。
「東京モンは、よう気ィ合いよンねえ。何を話しちょっと?」
 美香が私をギロッと見る。私、ナンカ悪いことしたっけ?
「いや、たいした話じゃないさ」
「よかじゃなかね。あたいは、生まれてから鹿児島ン外にゃ一歩も出とらん田舎モンじゃっど。なぁ、東京ン話でもせんねぇ」
 ニコニコしながら倉田に言うが、美香の目元は笑っちゃいなかった。
 そんな美香から視線を反らしつつ、倉田は急に気弱そうに答える。
「じゃ……また来る。リンコさん、またね」
 倉田はどこか落ち着きのないまま、そそくさとカウンターを離れた。
「あの、お勘定は?」
 倉田の背中を見ながら、私は小声で美香に尋ねる。
「ふん、ツケたい! なンが東京モンね。金も払わんで、よかぶっせがァ!
「………ヨカブッセ?」
「よかぶっせ…ちゅうとは、見栄っぱりンええカッコしいで…あン男ンがよか見本じゃっどぉ。あン男は、東京で酒ン席で失敗したとよ。出世コースの外れモンたい!」
 美香は吐き棄てるように、倉田の消えた扉を憎々しげにニラむ。
「東京はなんでんかんでん良かちゅうて、東京が一番って言うとうが、そん東京に捨てられて、こン鹿児島に流されて来やったとぉ」
ーーよかぶっせ…か、なンか、切ないネ。
「東京で生まれたちゅうだけで、なんでん東京もンが上と思うちょっと、あン男は。よかぶっせがッ!」
美香は、倉田の代わりか、東京モンの私にあてこするように、オレンジ色の口許をゆがめ、激しい口調で続けていた。
 その夜、私はいつものように店が終わって、天文館からタクシーを拾う。
 店に入る夕方は、谷山市内から電車で来る。が、帰りは、いつも電車のなくなった時間にしか店が終わらない。それでいつも、私は谷山市内までタクシーで帰って来る。
 私は、行き帰りの途中の鴨池あたりで、必ず桜島を見上げるのが習慣になっていた。
まだ明るい夕方、行きの電車の窓から見え隠れする桜島は、谷山市内から遠くで眺めるより、もっと見上げるように大きく、懐深く見えた。
 夜の桜島は、黒いシルエットでしかない。それでも私は、いつもの鴨池あたりで、暗闇で見えないはずの真夜中の桜島を毎晩見上げる。
 私は、帰りのタクシーの中で、今夜店で初めて会った客、倉田の顔を思い浮かべた。
 ホロ苦く笑ってた倉田……。
 彼はこのまま、この鹿児島の土地で定年を迎えるのかも知れないなぁ。
 都落ちか……私と一緒だね……。これって、同病アイアワレムってヤツ?
 私は、今夜もいつもの習慣の、いつもの場所あたりで、見えない桜島を見上げた。

(つづく)