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タイ作品〜短歌れぽーと〜


「かばん」掲載作品、99年〜01年(未発表レポート付加)

    「観光」 (99年4月号)

雲に似た夢がたなびくわたつみの島ことごとく母に紛うか

同じ?ちがう!ちがう?同じ?ちがう、ちがう、ちがう、熱帯の神々は

猿は神と神は人間とわかち難くフェリー舷側に飛びつく子供ら

動くものすべて相似の魂として例えば坂を駈け上がる馬車

闇に火のことばを移す一瞬を猫目の美女のキラキラといて

千夜一夜の一夜のために顕れしうつくしき人よ、微睡みの中




   「アジアの昼と夜」(99年5月号・「かばん」15周年特別号)

                      くま
蛇と化す男と女 満月が頭上の闇を隈取って照る

生あるものすべて炭火で炙られて臓腑の闇へ消えゆくべし
                          とわ
ムエタイの姿態たちまち舞踏たらむ舞台を永久に照らせよ、月よ

真夜中の露店が仕舞う街角に蠢く熱病のキャッシングブース
                        なれ
夢に紛う雲がよこたうロンボクの島嶼は汝の妙齢の母

タントゥタントゥタントゥタタタみんなみのわたつみのリズム、船は刻みつ






    「わが旅の武勇?伝」(同号、エッセー)
  映画「ツインズ」の双子の片割れをコピーしたようなタクシー運転手ジュタを水先案内人として始まったバンコク深夜彷徨ツアー。その手始めはティーンエイジャーのエネルギーが炸裂するディスコエリアの見物だ。
 良家の子女どもが結集して踊り狂っている深夜のオープンスペースを、苦虫を噛みつぶしたような顔で睨みつけていたジュタ、我が相棒に向かってぼそっとひと言吐いた。
「あんたら先生だろ、あいつらに説教してやれよ」
 
 ツアー第二場はジュタの本領とするホテル地階の売春窟。
 「見るだけ」ツアーの約束通り百バーツ(約300円)のドリンクを飲んでほんとに見るだけの相棒とおれに、焦れきったジュタの奴、「買えよ、買えよ」と超うるさい。店からのキックバックを期待している様子がありあり。
「俺たち先生だぜ。女なんか買えない」
 と、すかさず「今はホリデー、まけるからどうかね」!
 ったくぅ、口の減らない野郎だぜ。
 
宿泊ホテルのあるパッポン通りへ帰還した途端、ジュタ「飲める店へいこう」とすたすた歩きだす。車で込み合う大通りを渡ったすぐの先の、路地にあるスナックのドアを開けるや、女の子がずらり並んでお出迎え!
 あす早朝、俺たちはバンコクを発つんだぞ!一体どうすりゃいいんだよ、しつっこいジュタの野郎め!




    「そぞろ神」(99年6月号)
「マイペンライ」(99年8月号)より4首

南国の街角から持ち越したお喋りと旗をなびかせる風

「一人食物連鎖」を語る男いて「メコンに繋がるお魚を食べた」
 
(チェンマイ点景)
日蔭にあつまり僧が端居する声はのどかな鴉に似たり

トンちゃんの笑顔の向こう涯しなく夕焼けの水田がひろがっていく





    「南からの伝言」(99年11月号)抄

                みお
わたつみを渡るフェリーの水脈のはて精霊を雲としてかむる島々

詩は悪を夢む氷雨の舞台にて殺す華やぐ無垢の魂

ひとを待つ春画の中の糸車かすかに雨の音が聞こえる

某月某日満員電車で帰還せり厠の中で知るリアリティ

南国の街角から持ち越したお喋りと旗をなびかせる風




「旅愁」(未発表) 
午後、タイ北部の街・チェンライ郊外にあるホテルに投宿した。
 相棒カズは私の仕事の同僚だが、英語ペラペラの手配師のような男。だだし、風体がかわいいのと、飽きっぽい性格のため、今までのところホントにヤバいブローカーのような仕事まで手が出せないでいる。
 今回の旅で、私はカズのお荷物。そんなつもりじゃなかったが、相手任せの気楽な旅と考えていたら、豈はからんのコンコンチキチキ、コミュニケーション無能のお荷物扱いに終始した。
 いと悔しいが仕方なかんべ…10才以上も年下のカズにいい様に連れまわされるのも初旅の醍醐味、と負け惜しんでおきましょう。
 夕闇が下りてくると、南国と言ってもタイの最北辺のこと。半袖アロハじゃ肌寒い。ホテル前で網を張っていたトゥクトゥクをつかまえて(捕まえられて?)車の少ない道路を走るとき、風が冷たく宵闇も濃く、ちょっぴり不安な出だし。でも、トゥクトゥクは10分走って街の中心・バスターミナル横のナイトマーケットに到着した。
 歩道の両側に広がるバザールにびっしりと露店がたち並び、そこかしこで民芸品やタイシルク衣料のバーゲン中。中央広場を炭火焼きの屋台が取り囲み、魚や鳥の串焼きを辛い香辛料で味付けした皿を肴にして、オープン・カフェの形式でビールやメーコンが飲めるシステム。
 もっぱら地元のタイ人連中がアフター5の飲み会に集まり、ステージの生演奏を楽しむのがチェンライの夜の娯楽スタイル。のんびりしたテンポの音楽が広場に流れ、うるんだような月光が差す円形マーケットの中で過ごすのは至福だ。
 ずっと以前の俺たちだって確かにこういう気圏を生きていた。
アジアの永遠の夜の姿だ!
 零時過ぎて、相棒とあやしいネオンが煌めいている一角を探訪す。
タイ・マッサージの店、コーゴーバー等はいまいち気がのらない。奥の方のさらに危うげなコーナーへ曲がる。
 と、電飾きらきら暗いピンクに煌めく二、三軒の密集した店の外に、明らかに十代前半と思える少女たちが肌も露わなドレス姿で客を引いている。私とカズがどの店に入るか決めるじゃんけんを始めると、少女たちがびっくりして笑った。
 店内システムはゴーゴーバーと全く同じ。中央ステージのストリップティーズを見ながら、一杯80バーツのドリンクを飲んでいると、そばについた女の子がドリンクをねだる。胸の平らな女の子が、たぷたぷした豊かな胸をもつ我が相棒に身をすり寄せて、必死で自分を売り込んだ。
 その夜の帰途、相棒は私に「メランコリーに沈んじゃったよ、クボちゃん」と呟いた。 




  「旅の途上にて」(00年4月号・チェンマイからEメール)

 
(メコン河畔)

蒼古たる大樹メコンに臨みゐる ふるふる揺るゝ夕日のこずゑ
  
(チェンマイ偶感3首)

あかあかと夕日這ふ壁やもり這ひバルコニーからギャアと異な声

螫す虫に足を盗られて南国の舞踏の夢にまぎれ入るかな

漆には漆のうれひ太陽に灼かれ久遠の石になりたし




                                  ナーガ
「水の神」 (00年5月号)
蜘蛛の糸で布織らば不死と伏し目がちに大河の国の僧は語りぬ

対岸の山に日が射す一日をメコン河に寝そべっていたい

(タイ国ピッサヌローク市の「浅草」)
                               ピー
南国のまひるパゴダの周辺にヤイヤイ集う地の民の霊

こんな暑い日盛りなんかに這えるもンかのたりくたりと昼を過ごせり

(バリ島・ヌサドゥアビーチ)
裂け目のない世界よ 裂け目とは抜き身を入れるところ

水難さまざまに生じたり 水に似る人間の裏の水路に
          おり
日本がアジアの澱の溜り場のように見えたる三月の夜




    「極東へ」(00年6月号・特別作品&エッセー)
兄たちの夢のまだらや青い花

時間は宿痾 空を火が支配している地の木蔭にて
             はちす
パラソルと見まがう蓮やはりパラソル

熱帯の高山に居て古寺院の雲の裾みて真昼なりけり
                               けは
真夜中に髭が横面撫でてゆく虫の途絶えた宇宙が化粧う





    「コンドーム」(同時掲載エッセー)

 
先頃、連れ合いとふたりで東南アジアを旅したとき、密かにコンドームを携帯した。
 別に女を買う気などさらさらなく、それでも何か危急の折りに必要かもしれない、いわゆるひとつの護符として持参しただけだが、当然連れ合いには内緒の備品だ。
バンコクから、タイ北辺の都市チェンライを経由してチェンマイへ。
 ずっと履き続けていた短パンをクリーニングに出そうと連れ合いがいうので、ポケットに隠しもっていたそれを、慌ててポシェットへ移した。
 暑い昼、伸びた髪がうるさい。タイ人流に昼寝してリッチにすごすより、時間貧乏な日本人にふさわしく一刻を惜しんで散髪でも行くか、と思い立ち、貴重品入りポシェットを細君に預けた。
 いっときを、路地にあるヘアーサロンで、ふんふんと気持ちよくシャンプーの快楽に溺れ切っていたら、ふっと背中に悪寒が走った。
その数時間後、友人と三人でカレー料理を食べているとき、細君ぽつんと一言、
「しっかり穴をあけておいたからね」
 天井のファンが立てる生ぬるい風が、ぞくッとわが肌を粟立てた。




    
 「宿痾」(未発表)

いまは絶交のまま不通になっている友人と温泉めぐりをしていた頃のこと。
彼のホームグラウンドである草津温泉の木賃宿に泊まり、無料の町湯に入った。時刻は昼まえ、もっさりした若者がひとり湯槽の前にかがみ込んで前を洗っている。湯に浸かり見るともなく見ていると、実に執拗に自身の男のものを剥いている。
 草津の湯質は強酸性、皮膚病ほか万病に薬効があるとして古来有名で、若者の患いは淋病かそれとも別の性病なのか定かにはわからなかったが、ただひたすらに前を洗っている姿が記憶に残った。
ニューギニアの部族の男は裸身にペニスケースを着けて、シンボルを誇示する。
 男または雄という存在の宿痾、というべきか。
ヌーディスト・ビーチに集う一見健康そうで実不健康極まりない欧米人たちの文明病をしばし連想した。




     
「散る」(未発表)

花散らしの雨が降る夜、西荻窪の駅で飛び込みの瞬間を目撃した。
 特急「かいじ」が急に大きな警笛を鳴らし、ふっと視線を向けると、一人の男が列車の先頭にダイブするのが見えた。あっと叫ぶ間もなく、悲鳴ひとつ上がらず、ホームの客は夢の覚め際のようにのろのろしている。
 物見高い連中が五、六人列車通過後の線路をのぞき込んだが、轢かれた形跡がない。
 特急は駅の少し先で急停車している。
2番線の各駅停車に移り、発車を待っている間、向かい席の若い男が興奮している。動き出した電車が特急のそばを通過するとき、ずっと窓の外を覗いていたその若者の興奮はピークに達したようで、大はしゃぎのままケータイを取り出しぺらぺらと喋りはじめた。
タイ国では、事故死体写真を満載した雑誌がコンビニでも売られており大人気を博している。人間のとめどない恐いものみたさも、自分の内なる猟奇性もよく承知しているつもりだが、この若者の興奮とは逆の、車内に満ちている気まずい沈黙に、自分の正直な気分が反映していると感じたものだ。





   「どこでもアジア」(00年9月号)
(チェンライのバスステーション)
ほそり切ったからだを厚底靴に乗せエイズの少女人なかをゆけり
                            ソン
その横をするりと制服少女ふたりすり抜けていく村のバスへ

だれが死んでも人は平気で生きてきた いまも生きてる チェンライ、チェンライ

左手の小指の麻痺はわが悪のひそかなかすかな祈祷のごとし

(チェンマイのチュディ・ルアン寺院)

大壁面に捉われついに崩るまで象たらんゆえに鳩を遊ばす

(チェンマイ、ディスコ「バブル」深夜の景)

いっさいの快楽系へ開放なタイの精神、スキップ・スコール

文明に病んだ我らを底なしのやさしさで包むような夜がくる




    「村へ(私はアジアの村である)」(00年11月号)
                        まじ
火を狃らす男がひとり突っ立ってツツーと呪なう、ちょっと収まる
  
  
(極彩色の氷水など吸って、紛れていたかっただけ、人ごみに)

だれが死んでも人は平気で生きてきた いまも生きてる、チェンライ、チェンライ

 
(大昼寝、力車夫また沈々)
                              そばえ
年中をゆるくとぶ蝶ゆるぅくゆるぅくなべて等しい日照雨のなかを
    いだ
包丁を抱きし少女と白昼をわたる迷彩服の少年

                          死を越えていくことはできない
象牙に二羽の鳩いる昼下がり少年たちの「マラニャム アナティト」

いっさいの快楽系へ開放なタイの精神、スキップ・スコール





      「 チェンマイの競馬場にて」(同号掲載エッセー)



↑競馬場

  ↑バンコク ヤワラートの路地にある茶店

【日時】 9月2日(土)昼過ぎ〜夕刻

【場所】 チェンマイ郊外

【交通】 トゥクトゥク(幌付きオート三輪 片道50バーツ。Bと略記)

【連れ】 カズ(同僚。前夜合流。6月下旬「レジェンダー・ダイニング バー」を開店)、コー(店の従業員)

【入場料】 10B(1B=約3円)

【競馬新聞】15B(ぺらぺら)

【レース数】10レース/日。毎週土曜日開催(仏教徒の日は開催なし)

【レース形態 】 左まわり・ダート1000m(らしい)。どのレースも向こう正面奥の同じゲートから出走する。

【馬券】 単勝、複勝のみ。2レース連続して勝馬を当てるダブルという馬券もあったが、投票数は毎回ゼロ(ただし、一名の例外を除く)

【オッズ】 電光掲示板に数字が点滅中。20とか30、99など2桁の数字がピコピコ変化している。

 馬券の下限額10Bに対する配当らしい。馬がゲートを出ても変わり続け、30が一気に18まで下がる。すると、その馬が勝つ出来レース。地元ファンも熟知していて、狙う。だから5倍以上の配当なら穴。

【飲食】 馬券売り場に沿ってテーブル席多数あり。店の前で串焼き、炒めものその他立ち食いの食い物がいろいろ並ぶ。
 その横で立ち飲みの客が地酒メーコンのソーダ割りなどを飲み乍ら馬券を検討中。
 我々3人は奥のテーブル席を確保、そこでメーコン1瓶と氷、ソーダをたのみ、酒のつまみをおばちゃんに注文した。
 擂り鉢で青トウガラシ(辛〜い、死にそう!)、玉葱、蟹などをすり潰したイサーン地方の名物サラダ・ソムタム、脂ぎとぎとの腸詰め串焼き、さらにエビのかき揚げ風(一見胃にもたれそうな色色だが、とても美味!)、同じくかき揚げ風のタガメ!(さすがに注文せず)等々。

【戦果】 4R直前はげしいスコールが降り、15倍の大穴が出る。カズ的中。ところが使ッ走りのコーが勝手に、単勝でなくダブルを購入していた!
 売り場近くで、こっちがよいと、どこかの悪魔に囁かれたらしい。
 的中してるのに換金できず!気を取り直して5Rの馬券を買い足すと、カズ、またしても的中。しかも、またまた8倍の穴。なのに、ダブルの大穴15×8=120倍はない!悄然とうな垂れるコー…これにて、カズのツキ消滅せり。
 8Rまで進み、残り2レースのみ。我が輩、気合を入れ直し、500B1点勝負。狙い通りばっちし的中す(ただし1,7倍)
 胸を張って払い戻し窓口へ行くと、1桁足らぬ85Bしか戻って来ない。文句を言おうにも通じず、ネエちゃんにタイ語でギャア、ギャア叫ばれてどうしようもない。身振り手振りを交えて、オマエが不正だと訴えても、一向に埒があかない。憤然とテーブル席に戻り、カズたちにごまかされた顛末をぶちまけながら何げなくポケットをまさぐると、なんと!そこに、投入したはずの500B紙幣があるじゃんか。
 払い戻しのネエちゃん、疑って、ごめん!タイ人を見たら泥棒と思えと、アホなことを考えた我が輩が大バカ者でござった。
 気を鎮めるべく便所で小用を足しているとケータイ鳴れり。ホテルに戻っていた奥方からうるさいTEL。
 だが、最後の突撃へ撃ちてし止まじ。日本人競馬ファンの執念を見せたる、と窓口へ急ぐ。空いた窓口に駆けつけて、1番に単勝500Bと筆談するも、いま締め切ったぞ、と係員の手が無情のバイバイ。振り向けば、馬ども地響きをあげて疾走中。直線に入り1番の馬が内をつく。横一線でゴールへ飛び込む4,5頭の馬のケツを、我が輩は茫然と眺めるのみ。
 写真判定のあと、1着、1番〜単勝60B…
 買えてたら、3000B!絵に描いたような大逆転だったのに…(因みに、チェンマイでは、一夜妻の相場は1500Bぐらいだとさ)





「突然、宇都宮」(未発表)

 9月最初の講師会があった日の午後、新宿の伊勢丹屋上で飲んでいるうちと急遽、いまから宇都宮へ行こう、という話がまとまった。
 メンバーは4名、音頭とりは帰国直後の、成田のホテルからジュラルミンケースをひきずって現れた同僚カズ、もう一人は私の昔の教え子でいま英語主任をやっているKくん、それと彼の舎弟で、今秋長期のインドシナ貧乏旅行へでかける予定の通称キム。
 Kくんの車をキムが運転して、東北自動車道を一路宇都宮へとばす。
途中、蓮田SAで休憩したとき、最近ついぞ耳にしたことのない蜩のカナカナカナと鳴く涼しげな声を聞いて、東京を離れたことを実感した。
 宵闇につつまれた目的地あたりに駐車して、客引きの兄さんから旨いギョウザ店についての情報を仕入れる。
 宇都宮のギョウザはいまや全国区で有名だが、客引きさんに教わった「ギョウザ館」なる店は地元の大人たちが酒を飲みながらギョウザを食する店として盛況。
 一卓を占めた腹ぺこ4人組は、1皿4こ入り蒸しギョーザ6種、焼きギョーザ10種その他いろいろと20皿あまりをペロリと平らげ、大いに満腹して外へ。
 この一帯はすでにカズが何度も来て調査済みの所だ。
 (カズはHP「日本のアジアを探せ」の調査メンバー。関東一円のタイ・スナックを自腹で調査してHPのネタを探す。入管の役人も愛読するHP)
 まったりした宵闇ネオンゾーンを冷やかすと、客引きが流暢な日本語で声を掛けてくるがその大方は日本人じゃない。(タイ人、中国人、韓国人)
 1軒目のドアを開けるとタイの女がいっぱい。
 ただし、ちと年増系...先客ふたり。ピンサロとちがうのであやしいことはしないが、セット料金で隣に一人ずつ女の子がつく形式である。(1人3000円/時間)
タイ語を自在にあやつるカズはたちまち店の人気者。やっぱりコトバ!コトバを話さなきゃ醍醐味に欠けます!
(ただし、女は日本語が達者だが、1杯1000円のビールをねだられるとややうんざり)
 ぽっちゃりの姐さんに気にいられた若いキム、姐さんから股間を触られ放題(話が逆のような気がするが)で、ボックス席の隅の方に縮こまる。
 なかなか良い店だが、さらにもっと良い店がある、とカズが言い、時間ジャストで店を出る。
2軒目、新築雑居ビル5F「パパラッチ」。エレベーターから店に入ると中が広くて照明が派手だが、女の子がメチャ少ない。照明ぴかぴかのカラオケ店の如し。
 Kくんの横についた女が「生乳モミ3000円!」と言って迫る。
 笑っていると今度は冗談のように「片乳なら1500円」とばら売りにかかり、まるでそこらの露店商のよう。
 意表を突かれたKくん、もう仕方あンめえ、と女の片乳要求を呑んだが、ハプニングはそれだけ。セット時間の半ばで店を出た。(1人4000円/90分)
 3軒目はカズが何度か入ったことがあるランパブ「ピンクレディ」。
 ここの客引き(日本人)の顔が凄すぎる。
 人斬り・平手御酒のようなご面相だが、接客態度はきわめて慇懃。カズは何度か出会っていて気軽に交渉後、ショータイムこみで1人5000円(ただし、時間制限なし)でまとまった。
 しょぼいエレベーターで2Fの店に入ると客と女の子でいっぱいの店は乱痴気騒ぎ寸前。
 ボックスは満席だが、俺たちと入れ替わりに1組お帰り。中央の小ステージのストリップティーズがショータイムの目玉。ランジェリーをぱっぱと脱ぎ捨てて全裸のダンスのあと(バンコクのゴーゴーバーはこんなのばっか。でも、日本で観ると妙に親しい)、客一人一人に特別サービス。
 Kくん曰く「頬っぺにペロッとタワシが当たったみたい」何か、マンガ的世界だ。
 客がひけて、残った俺たちの回りに女の子がくる。
 年齢謎のオカマ風姐さん、自分のことをチエと名乗り、機関銃のように下世話日本語を掃射するが、機転が抜群に利いている。何かの拍子に「あたしは、チエよ、じゃりんこチエ」とのたまったのがKくんの心を刺激したようで、Kくん「うーん、こんど暇をみつけて、このひとだけに会うために宇都宮に来ようかな」と大絶賛。
 穏やかなごやかな日タイ友好タイムだったが、明朝から後期授業がはじまる我らはこれ以上居残るとさすがにヤバイ。
かくて、深夜の高速をぶっ飛ばして東京へ。
 深夜3時過ぎ部屋に着くと、マンションのドアが内側からロックされていた……



 
 (01年新年号)
蛇である美しい街の夕まぐれ話す人みなアジアの語り
                            ナーガ
「さいなら」というのは蛇だ俺の中にいて一心に水神に祈る




   「タイ発Eメール」(01年4月号)

  
(メコン河畔)

                           
夕日中をみな子一人ことことと寄り来て小さき己を買へといへり

夕ぐれをメコンをわたる蝶ひとつひそかにバナナ叢林へ消ゆ

  
(ランパーン)
                               すえ
ハーモニカたどたどと吹く少年の真昼か我は敗軍の裔

  
(車中)
  黒犬は夕陽を背負ひ蹲みゐる かの黒犬の影のまばゆさ





   「タイから発信」(同号コラム)
   編集長机下


 
 国境の町で長距離バスに乗り込んでくるのは、もっぱらファラン(白人)。
 ラオスの旅から帰るバックパカーばかり。タイのバスはどこでも誰でも、客を見つけると停車して乗り降りさせますが、折りしも暑い昼下がり、乗ってきたのは大きな魚籠と細長い籠を抱えた地元のおばちゃん二人でした。
 乗り込んだ途端に、バスの中がけたたましい鳴声でいっぱいになりました。魚籠が震えんばかりに、シャアシャアと喧しい。
 ファランも私もびっくり仰天。実は魚籠の中身は蝉。どこかの市場まで運ばれて、そこで調理され今晩の惣菜になるのです。
おばちゃん、蝉いっぴきを掴み出し、ファランに見せた。ファランの男も女も身を乗り
出して蝉を見たが、にこにこ笑うおばちゃんに蝉を差し出されると慌てて身をすくめ、ノーノーと大げさに拒否しました。
 昔日の昆虫少年である私には、蝉など生きたアクセサリーみたいなもので、手に取るなどお茶の子さいさい。受け取ってじっくり観察すると、それは黒のボディにオレンジのラインが入った小ぶりの熊蝉といった感じの蝉でした。
鳴くのは雄ですが、腹のツボを押さない限り蝉は黙って観念しています。
 熱帯の生き物はおしなべて、この観念!という生死越境の術を生来身につけているのかもしれません。
 茂吉の「遍歴」の中の一首に、
 
塩づけの蝉をおもへばあはれあはれ蝉鳴かぬ国に三とせ経にけり  茂吉

という歌があります。その詞書に「(中略)磯辺氏はシャムに蝉の塩漬けあることを話しぬ」と書いていますが、タイ語不如意の私には、残念ながら詳細不明のままです。




「 三月往還 」(01年5月号 )

美しい金星のもと蝉声はシャムシャガシャガシャム宙顫わせて

  
(チェンコーン、メコン河のほとり)

娘どち衣のまま河に浸りゆき「ソーンクラーン!」と叫びあそべり

音もなく流れを下る舟ひとつ魔除けの鉦はシャラシャラと鳴り

  
(チェンマイ)
河童のように傘が転がる夜の驟雨ぬれること皆すこぶるの笑み

奈良京都氷点下いまチェンマイの夜は雨降れり濡れる日本語

ヒケキョッキョッと鳴くニワトリの声きけばまさしく此処はタイの北都ぞ

  
(バンコク深夜)

アラビアンナイトひたすらタイの夜 あまりに刹那的にしてあはれ

アムールはいとも簡単アムールを知らず過ごせし三千年はや


 註・ソンクラーン=タイ新年を祝う水掛け祭。ほとんど無礼講状態で、水を掛け合う。観光客も容赦なくずぶ濡れにされる。




チェンコーン(国境の町)その一(同号掲載)
メコン河は二ケ所でタイとラオスのイミグレーションになっている。
 メコン唯一の架橋があるノーンカイは対岸の首都ビエンチャンに直通するかなり発展した街だが、今回わたしが旅したのはタイ最北端のチェンコーンという小さな辺境の町。渡船場にイミグレーションがあり、もっぱらファラン(白人)のバックパッカーたちがラオスへの出入国に使っている。
 その町に二日間ほど滞在した。(ラオス・ビザはすぐ取得できる。だが、週末に着いたため役所が休み。今回のラオスの旅は断念)
メコンに沿った2kmほどの道の周りに形成された典型的な宿場町だが、ホテルと呼べるような代物はぜんぜんなくもっぱらバックパッカーご用達しのゲストハウス類が宿の大半を占めており、日本の時間尺度で測れば戦前の田舎町のいるような時間が流れていた。
私が泊まった宿は一泊300バーツ(1バーツ約3円弱)、この町では良い部類に入るゲストハウス。
 二階テラスから目前にメコンの雄大な姿が見渡せる絶景の宿。部屋に入ると竹を編んだ天井が旅情を誘うが実際はシャワーがあるだけの簡素な作り。室内でくつろげる気分になれるような宿ではない。
 荷物を置いてテラスで一服する。ドリンク類は各自がノートに申告して勝手に飲むセルフサービスのスタイルだが、ただで飲んでもわからない。実にのんびりしており、呑気と言えばあまりに呑気な商売。
 私は自分でいれたネスカェをテラスのテーブルに運び、さて一服と思ったが、あたりに灰皿が見あたらない。
 ちょうど部屋の掃除をする男の使用人がきたので煙草を吸う仕草をするとすぐ持ってきた。で、私が吸っているマイルドセブン(現地生産。商標のみ日本。ちょっと辛い)をみて、一本くれよ、と手で合図した。
 一本あげるとにっこり笑い、それに火を点けて大事そうに喫った。
 この使用人にしても洗濯する女たちにしても、現在の日本から消えた(差別をなくす!という表層的なヒューマニズムによって追放された)下男下女召使、あるいは婢という言葉を思い出させる。近代化の遅れたラオスやミャンマーからの出稼ぎ人がタイ人より一段下とみなされ、様々な下請け仕事に就業しているのだ。
 メコンを眺め、原 石鼎の句集「吉野の花」を読む。
 チェンコーンの時間にぴったりの句が見つかった。

春の鷄孟宗竹のかたへより

簀日除を人馬潜らせて茶店かな

濯ぎ衣を肩に出し婢に蜻蛉かな

 実在する差別を隠匿した瞬間、詩は死ぬ。あらゆる場所に差別はみちみちているのだ。目いっぱい差別を利用し、享受している彼我の人間を直視することだけが詩に通じる道だ。そんなことをぼんやり考えていると太陽は西に傾きそろそろメコンになまぬるい風が吹き始めた。




  チェンコーン(国境の町)その二(未発表)
 ゲストハウスが密集するメコン河畔からバスターミナルまではおよそ2kmばかり。日中とても歩ける距離ではないが(暑い!みんな中古バイクに人力車の座席をくっつけたサムローという乗り物を利用する)、夜涼しくなると歩くことも可能。
 どの町も週末になると、露店がたくさん出てお祭りのようなナイトバザールがどこかに出現する。
 チェンコーンではゲストハウス周辺の道路に沿った100mくらいが宴の場。ぶらぶら冷やかしているうちに次第に露店の灯が少なくなり、そこから先は暗い夜道となった。
 郵便局、警察署という町で大きな建物が闇の中に現れ、その斜向かいにこの町いちばんのワット(タイの仏教寺院。きらびやかな外飾がほどこされて派手派手しい)が存在感たっぷりに鎮座している。
 サンダル履きで歩くのは難儀だしサムローを捕まえてバスターミナルまで行こう、と思っても、こんなときに限って1台もサムローが来ない。
 結局三十分かけて夜道を歩き、ターミナルに到着。
店で汁ソバ(クイッティオという。キシメンに似た幅広の米麺。自分で香辛料をまぜて味付けする。スープベースは鶏か豚。あっさりして旨い)を食べ、ターミナル周辺を観察していると道の向かいにキラキラ電飾マジックミラーの怪しそうなカラオケ店があった。
外で少年が暇そうにしているので入ってみた。まだ客のいない時刻らしく若い女の子ふたりがやる気なさそうに「カラオケ?マッサー?」と私に訊く。
 この女の子たちがタイ・マッサージやるのか、ほんとかよ?ほんとにマッサージだけなのか等々、様々な疑惑が内心に渦巻いたが、中に入ると五卓ほどの席がある何の変哲もないカラオケ店だった。
 奥にマッサージルームがあるようだ。怪しいなァと思いつつとりあえずメーコン(タイ・ウイスキー)のボトルをキープして、メニューを眺め辛いサラダをたのんだ。さっき店先にいた少年が奥の調理場へ行き持ってくる。
 客は私一人なので、少年と少女ふたりの合計四人で卓を囲み一緒に飲んだ。(ドリンクとしてコーラやジュースを彼らに奢る。キックバックがある筈)
 持参したタイ語会話本をひっぱり出してあれこれ質問しつつ、素朴な日泰交流をはかった。
 彼らはほとんど英語がダメなのでもっぱらタイ語に頼るしかない。
 少女ふたりの年齢は17才、少年も同い齢。少女の顔立ちはふっくら下ぶくれしてタイやラオスの典型とちがう。ベトナムか中国系の顔のように見えた。
 タイ国内の差別構造はいろいろ。商売のうまい華僑は蓄財して成り上がり経済の実権を握るが、それでもタイ人とは微妙な差別があるみたい。
 ベトナム系(難民。彼らも熱心に働いてその土地土地で財を築く)がタイではいちばん敵視される民族(ラオス、ミャンマー人はただ単に軽視され蔑視されるだけ)で、何かことがあれば途端に犠牲の火炙りにされる傾向があるようだ。
 風俗系の店にこういう差別民が働かされている場合が多いのは、世界共通のことだ。
 やがて店にタイ人客が何組か入ってきてカラオケで歌いはじめた。
 女の子が隣に座ってサービスする訳でもなく、まったく平凡なカラオケだけの店のように思える。
 少女のひとり(下ぶくれの娘)が本に興味を示し、タイ語発音をいろいろと私に教えてくれた。
 サラダが辛いので「ペーッペーッ(辛いッ辛いッ)」と言いながらトマトばかり食べていると(皿の中身は大半を彼らが平らげた)、私がトマト好きだと勘違いしたらしく少年は調理場からトマトだけの小皿を持って出てきた。
 こんな好意をみせられては仕方なく、好きでもないトマトを摘んでいると、少年はしきりに「アローイ、アロイマー?(美味しい?
とても美味しい?)」と訊く。コトバの話せぬおもしろ動物扱いに内心苦笑したが、彼らの好感も確実に伝わってくる(小瓶で十分だったのにまちがえて酒の大瓶をいれたため店にとっては少なくとも上客になった)。
 10時すぎにチェック。勘定のとき400バーツ払ったら後ろの席にいた男が「オー!ガール!」と呟く声が聞こえてきた。それだけ払えばこの町では女がひとり買える、という男の慨嘆&揶揄と解釈したが…
 外に出るとバス・ターミナルの灯が消え、1台もサムローがいない。
 またあの夜道を歩くのはイヤだな、と困って少女に訊くと、ちょっと待って、と言った後1台ゼロハンを持ってきた。
そのバイクの前に少女、真ん中が少年その後ろが私、という3人乗りでゴー。一家5人乗りのバイクを町中でよく見かけるが、実際こうやって乗るのは初めての経験。さすがに不安定、しかも少年が面白がって少女に運転させたものだから、涼しい夜風以上のヒヤヒヤ気分を味わいながらナイトバザールの灯が明るい地点まで送ってもらう。
 ステージでは男女の歌手がタイの流行歌を熱唱中。町の大人が全員集まっているんじゃないかと思えるほど賑わっている。真上の空に書き割りみたいな半月が出て、半袖短パンでは肌寒く感じる辺境の夜だ。

 翌翌日の朝、長距離バスに乗るべくターミナルまで来るとカラオケ店のドアが開いてあの少女たちが掃除していた。
 バス発車まで1時間以上ある。店内に入りビールをたのむとにこにこして運んできた。どうも、マッサージが気になってならない。
 「マッサーOK?」と聞くと困った顔をしたので、どうしようか迷っていると、すっとバイクに乗って出て行った。すぐさま後部座席に金髪に染めたタイのおばちゃんを乗せて戻ってきた。少女のマッサージならやってみるか、と思っていたが、おばちゃんでは本格的なタイマッサージになってしまう。バス発車まで1時間を切っていたので「いや済まない、バスの時間が迫っている」などと断りのジェスチャーをすると、何ァんだという顔をして笑った。
 結局ここはカラオケもマッサージも売春には何ら関係ない健全な店というのが、この二回の調査で明かになったのであった。(都会のカラオケ店はおおよそがテイクアウト売春の店だというのはよく知られているが、田舎はケースバイケースみたい。チェンコーンの本格的な売春宿はもっと別の場所にある)





 「タイ遊覧」(01年6月号・特別号)
 

タイ人のような燕が梁にいて尾をふり迫る雌ぷいと去る

送迎の門衛として侏儒ひとり立つバンコクのナナ・ストリート

果物かなにかを択ぶように択ぶ人身売買しぜんな南国

横むきに煙たなびく畑ありヤシの木の上へ夕日が沈む

とろとろの頭で思うとろとろの夜のことなりき南国の雨
                      はたとせちとせ
あの春の花に雪ふる池のこと過去は二十年千歳もまた





クレヨンしんちゃん(同6月号掲載エッセー)
 タイ中部の街ランパーンに泊まった。一日目の宿はタイ人向け中級ホテル。安いがエレベーターがない。フロント横の階段を三階までよたよた上がるのは結構つらい。 すぐ隣にワット(仏教寺院)があり、廊下左端から極彩色のワット尖塔が間近に見える。夜になるといろんな妖怪がじゃかすか飛んできそう。
 翌朝、ランパーんにもう一泊することに決め、少し上等なホテルへ移った。
 暑い午後はタイ人流にお昼寝タイムをとり、夕方、ソンテウ(乗合タクシー)をつかまえて郊外にある由緒ただしいビルマ風寺院・ワット・プラケオ・ドーンタオへ詣でた。が、拝観時間はとうに終了しており、高々と聳えるビルマ様式の尖塔を塀の外から眺めて夕べの読経を聞くだけだった。
夕暮れた郊外にはソンテウも来ない。街の方角へぶらぶら夕闇の道をあるくと、高床の家がありその前に露店が出ていた。
 老人がひとりで所在なげにTVを見ている。
 腹も減ったしクイッティオ(平たい米麺をいれたスープ)を食べたい、とジェスチャーすると老人が家の奥に呼びかけた。
やがていかにものんびりとした歩き方のおばちゃんが出てきて、鍋に残ったスープを暖めはじめた。
 麺を啜り氷入りのコーラを飲む。
 あたりは黄昏て暗い。ふとTVをみると日本版アニメ「クレヨンしんちゃん」が映っている。タイ語吹き替えのしんちゃんやみさえさんたちがTVの中で飛び跳ねてる。
 それを見るともなく見ているのは老人とおばちゃんと日本人の旅行者だけ。
 夕闇がさらに深くなり、一瞬どこにいるのかわからなくなるような不思議な時間だ。




 
 「 国境の町・続」(01年7月号)
 メコン河畔の町チェンコーンからタイ中部のランパーンまでバスで移動した。
 エアコン・バスに乗って三時間半でパヤオという中継地に着くが、そこからさらにファン・バス(冷房なし。ファンのみ)に乗り替え二時間半えんえんと走り続けると、ようやくランパーンに着く。
 バスの運転手は若い優男。サングラス姿がいなせで格好良く、客の女の子たちにしょっちゅう話しかけられている。ちょっとした地元のスターだ。
 午後四時すぎ、バスの右側からの日射しは強烈でも窓から風が吹き込んでけっこう快適。
 行程の半ばあたりで、タイ国軍の制服を着た男女がぞろぞろと乗り込んできた。三人掛けシートに座った女性兵士たちはまず窓を閉めた。そして手早くカーテンを下ろし日射しを遮る。次いで六名全員が一斉にスカーフを取り出し、ぐるぐるとミイラのように顔に巻きはじめた。顔を隠すイスラムの女性だって目元は隠さない。だが、彼女たちはK.K.K(クークラックスクラン)もかくや、といわんばかりに顔全体を覆ってしまった。
 風のたえた車内は暑い。赤茶けた土埃がもうもうと舞い上がる大平原の只中を、地平線の彼方へ向けてバスは猛スピードでぶっとばしている。
ふと前を見ると運転席の真正面に太陽があった。その強烈な陽射しがK.K.Kたちの顔に直射している。
 タイ女性の白い肌への憧れは凄まじく、TVを見ても美白化粧品のCMばかり。かっこいい制服姿の国軍兵士も、ごくふつうの女の子で、特異なミイラ姿はなりふり構わぬ日焼け防止策なのだ。
 ランパーン市街に近づくと日が沈み、くるくるとスカーフを解いたK.K.Kたちはさっさと身繕いを直して家の近くでバスを停め、さっさと下車して行った。




「紅い灯、青い灯」(01年8月号)
 北タイ随一の商業観光都市チェンマイは、濠に囲まれた旧市街から四方へだらだらと拡大発展した街である。
 夕刻になると一区画の道路両サイドに露店が賑々しく出現するが、そのナイトバザールと呼ばれる一角が観光の目玉。
 周辺には豪華なホテルが建ち並び、欧米またはオーストラリアから来た体躯のでかい白人、また日本人や台湾香港系の東アジア人が大挙して押しかけ、我が物顔にあたりを占拠してうごめく。
 地元タイ人が夜遊びするのはとうぜんこんな観光エリアではなく、郊外の大型スーパー周辺にあるバーベキューレストランとかディスコスポットで、そこは地元の熱気にあふれているが、観光客が期待するアジア的エキゾティズムからはほど遠い。
 一緒に踊っていても耳に聞こえるタイ語以外ほとんど東京にいるのと変わらない気分になる。
 こんな大都会だから歓楽街などどこでも見つかりそうだが、その辺はどうやらバンコクの専売特許。ここ、チェンマイはまだ未発展で田舎の素朴さが残っているようだった。
 トゥクトゥク(三輪タクシー)を北の方角へ10分ばかり走らせ、「サンティタム」という一見したところ何もないまるで無味乾燥な場所に車を着けた。
 目前の大型駐車場みたいな広場が夕方から野外焼肉レストランになるため、そこらがそういう怪しい一画だとはとても想像しがたい。運ちゃんはウインクしながら、「開店は7時だぜ」と言った。
 道路のそばにそれらしきバラックの平屋が並んでいる。でも、ほんとにここかよ、と思うぐらい情緒がない。
まだ西日が暑い時刻、一軒だけソーセージや鳥の串焼きを炭火で焼いている店が見えた。
 店番の少女に、手でビールを飲むまねをして「ビア、オーケー?」と聞くとにっこり笑ってうなずいた。カラオケのジュークボックスとテーブル4卓だけの簡素な店だ。どうも売春宿ではなさそう。
 氷とシンハ・ビア(タイの銘柄ビール。氷で薄めて飲むとなかなか旨い)、青パパイヤをプリック(辛い青トウガラシ)と淡水カニと一緒にすり鉢で和えたソムタムというサラダを注文。
 17、8才の少女ふたりがテーブルにきたのでドリンクを一杯づつ奢り「タイ語を教えて」というと、えっと驚いた顔をしたあと二人でいろいろ教えてくれた。
顔がナー、耳がフー、目がター、壁に飾ってあるモモンガや蛇の剥製が何々、といちどきには覚えられそうもない発音の名詞があふれた。どさくさに紛れH会話系の単語を口にすると、あら、という顔をして、やっぱりね、と済ました顔をしたのがおもしろい。
 どうも観察するに、ここは地元の男がカラオケを歌いにきて、女を買う前に一杯飲む店みたい。日本人なんかまず来ないので、こんなところに紛れ込んでカタ言で変なことを聞く日本人のおっさんに、少女らも興味を持ったみたいだ。
 こうして小1時間楽しくお勉強して飲んでいたが、夕闇が下りた頃、少女のひとりが「ガール?」と小声で聞いた。慌てて「ノー、ノー。恐いパンラヤー(妻)がホテルで待ってる」と答え喉を掻き切る仕草をすると、アハハと笑う。
 とにかくどんな経験でもするに限るが、ナイトバザール近くのホテルで私を待つ奥方をごまかしてまで日泰親密交流をする訳にも行かず、すごすごと「サンティタム」を後にした。
 道路両側の平屋の扉が半開きになり、内からブルーやピンクの灯りが洩れている。
 ソファーにチャイナドレスを着た女たちが何人も並び、これから来るお客を待っている様子が外から見えた。




    
 「世界標準01」(01年10月号)
水牛が水の溜りにひたすらに浸り切り水牛といふはあはれ

水の上に水ふる天の明るさよ

娘らは薄明川へ下りてゆく

この街の勝手を知って来たからこの街はぼくの秘密の姉さん

小犬と娘見ている先に赤い灯が、青い灯が、別の世界が燃える

裏にあるものぞ恋しき地の人のほのかにかげりあるあそこより

テトラポットに鼠きたりて船虫を食すは不思議な夏ものがたり

娘らが拒絶するもの虚偽虚偽虚偽の我らの世界ヴィジョンそのもの





  「ラオスから通信」(同号掲載コラム)
 編集長机下  01年8月12日、ルアンプラバーンにて


 いま、ラオス第2の街ルアンプラバーンにいます。昨日首都ビエンチャンから長距離バスで来ました。ここはメコン川沿いの旧王都。
 70年代半ばの革命で共産制になり王族が処刑され、一時寂れたようですが、90年代の経済政策転換のお陰で旅行者が来るようになり、いまではかつてのカトマンズのように欧米のファランどもが仏教寺院見物に大挙して押しかけ、復興しているようです。
 まあ、タイとちがってラオスは元フランスの植民地、それだけ雰囲気がヨーロッパ風で奴等ファランには居心地がいいんでしょう。
 走行時間10時間の長距離バス出発時刻が13時。途中、中国山水画そっくりの稜線が延々と続く雨でぬかった凸凹の悪路をとばすバスの前に、放牧中の牛の群れ、餌を漁る鶏連隊、はては仕事帰りの象まであらわれ、その度にバス運転手が警笛を鳴らして蹴散らし進むのですが、さすがに象が出現したときはぎょっとしたようでバスの方で遠慮してよけた気配が乗客の私にもよく伝わってきました。
 言い忘れましたが、このバス、私を除くと客が全部ラオス地元民。ファランも大半の旅行者も便利な飛行機を利用するため、好き好んでこんなくたびれる乗り物に乗る必要はなく、ビンボーバックパッカーぐらいしか乗らないよなあ、と乗ったあと痛感。
 昨日一日じゅう大雨で、山中の難路がいっそうひどい状態になっていたのですが、この全行程を一人のバス運転手がこなすのだからたいしたものです。車掌は男女ひとりづつ、荷物の上げ下ろしを男が仕切る。大荷物はバスの屋根上。ときおり天井から雨漏りしても乗客みんな笑ってやりすごす。
 前回の旅のときにもタイのバスに乗りましたが、女の車掌がぜんぜん働かない。切符きってそれでおしまい。途中、編み物なんかして時間をつぶしてる。
 今回のラオスの女車掌、なかなか働き者で見直しましたが(愛想悪かったけど)、それでも旅行作家・下川裕治が書いてるとおり、暇があったら睡眠とってる。みると乗客の女もおんなじように眠ってる。ちょっと眠って、ちょっと起きて、また眠る。そんななかでひとりバス運転手が悪路と苦闘しつつ働き続けるのを見て、凄い、男だ、かっこいい!と心底から思ったものでした。
 到着したのは深夜。駅のトゥクトゥクに高級ホテルを探させましたが、すべて満杯。結局ビンボーバックパッカー専用2ドル宿に落ち着いたのは我ながら苦笑、の顛末でした。



 
 「チェンライからの手紙」(01年11月号掲載コラム)

 
 Sさん、お元気ですか?日本を発って10日あまり、行き当たりばったりの旅が続いています。さすがに草臥れました。
 なかでも、ラオス第2の街、古都ルアンプラバーンから2日がかりでした船旅がすごかったです。
 雨季のメコン川を遡上するといえばいかにもおそろしそうですが、水があふれても悠々と流れる大河をゆっくり遡るだけで、そんなに恐くありません。
 でも、船がすごい。船というより映画などでよく見るランチのような舟なんです。
 乗客は20人強で満杯。しかも同量の荷物を隅から隅まで目一杯積み込んでいる(屋根の上までも!)。
人間も荷物みたいなもんだと痛感しました!
 この舟で、ラオスのおばちゃん達が、街から川沿いの村へ荷を運ぶのです。大きな袋入りの大量のフランスパンサンドイッチが目に付きましたが、それもお持ち帰りの荷のひとつ。旧宗主国がフランスなので、観光客は圧倒的にフランス人が多かった。
 で、舟に相乗りした外人の内訳ですが、まずフランス人老夫婦(60才前後。きさくでファラン的嫌味が感じられない)、2人連れのフランスギャル(日本人のねーちゃんどもと違い、そこそこ知性的にみえたのは私の偏見?)、グラスゴーで造船技師やってる30代イギリス人ロス(旅と人間について、いちばん経験と認識が深かった。アフリカ生まれでアフリカの部族語なら30ぐらいわかる、と言ってました。
 でも、タイ語は難しから覚える気がしないそうだ。
 それから、未知の国を旅するときは、周辺で最強の通貨だけ持って旅するのがよい。
 例えばラオスではタイのバーツだけ使い、現地通貨のキップとの両替なしで済ませる、という旅のスタイルが参考になった。やっぱ世界じゅう旅慣れてる奴はちがう。大麻持参のマリファナ通)、大阪の若い会社員、自己ちゅーアメリカ人青年(でかい体を持て余してる)それと私の合計8人。
 舟には、トイレなどという洒落たものなどございません。適当な浅瀬に舟を着け、そこの物陰で処理してもらう。ラオスの女たちは、手馴れたもので実に巧み。それをファランの女たちも真似して、なんとかこなしておりました。
 さて8時間の舟旅のあと川辺の村で一泊したのですが、それが圧巻。


↑メコン一泊目の宿:イギリス人Rosと宿主の2人(水タバコパーティー)

 大きな「ゲストハウス」の看板がみえるので期待していると、なんと、なんと、仕切りの板だけの箱みたいなスペース。それが5部屋(箱?)。そこにファランどもが泊まった。
 私と関西にーちゃんとロスは、高床式のオーナーの自宅で蚊帳吊って雑魚寝しました。
 夕食がすごくて、インスタントラーメンともち米ライスのみ。近所に商店など影も形もありません。日本の昔の村みたい。でも、これこそ旅の醍醐味でしょ?
 食後、水煙草で吸うオビウム(阿片)を亭主にすすめられました。1こ1万キップ=150円、2こ吸ってみましたが、ぜんぜんラリる気配がない。あとで体験者に当たってみると、8こ吸えば幸福感が押し寄せてくるそうです。ロスは大麻いっぽん。
 一緒にオピウム吸った関西のにーちゃんと同じ蚊帳に寝たら、夜中に何度も脇腹を蹴られた。
 私の鼾がうるさくて寝られなかったというのがにーちゃんの言い分ですが、鼾のコントロールなどできないし、一晩じゅうヤモリがギィギィ鳴く森の中で得体の知れない音に包まれ、にーちゃん半分ラリったんじゃないか、と想像しました。
 メコンの船旅、おもしろいけど、もう一度やれ、て言われると躊躇しますね。ラオスはタイの片田舎って感じで、人々はたいそう気がいいみたい。そこへ、商売上手なベトナム人や中国人が入り込み、中から食い荒らす。そういうアジアの図式が進行中だな、と感じました。
 そんな旅のあと、何回も来ているタイ北辺の街チェンライに来ると、いままではもの寂しい田舎町のように思っていたチェンライが急に大都会にみえてきました。それでほっとして気を緩め、なじみの場所で不覚にも足を挫いて捻挫してしまった。
 いま、大変なんだけど、まだ旅の後半が残っているし、この旅の骨の髄までしゃぶり尽くす気迫でいきますよ。



タイさまざま(「かばん」掲載エッセー)
トゥクトゥク運ちゃんとホテルの実態


昨夏のタイ旅行は行き当たりばったりでいろんな街のホテルに泊まったのですが、その際もっぱら当てにしたのが駅周辺に屯っているトゥクトゥク(オート三輪型タクシー)とかソンテウ(小型相乗りタクシー)、リキシャ(人力車です)の運ちゃん情報。
「どこかいいホテルがないか?」ときくと、どの運ちゃんもとりあえずキックバックがある宿へ直行します。
だが、その手の宿はほとんどが中級の下クラス。中にはとんでもない宿が混じっていたりします。その辺の事情について以下に私が体験した例を何例かご報告し、皆さんの旅のご参考に供したいと思います。

まずはタイ東北地方(イサーンといいます)の中心、コーンケンという街です。バスから降りるとぞろぞろ集まってきたのは例によってリキシャやトゥクトゥクの運ちゃんたち。かれらを前に一発はったりをぶちかまし碌でもない情報の収集に励んだ結果、奴らのもち札には200〜300Bの安宿しかないと判明しました。
でも私の今夜の気分は高級ホテル、バッグパックから「地球の歩き方」をとり出して「このコーサホテル、タウライ(いくら)?」ときくと、一人が「500B!」と叫び、まわりの連中も「そうだ、そうだ」と相槌をうちます。
内心おおいに疑問を感じましたが「マイペンライ、そこへ行け!」と一人のみすぼらしいリキシャのおっちゃんを急かせると彼はよたよたよたよた自転車を漕ぎ進み、やがて本物の高級ホテルの前に着きました。
運賃30B也を払い「おんな、おんな!今夜どうする」と叫ぶリキシャのおっちゃんを追っ払った後、ホテルフロントにいくとイサーン娘が笑顔で「サワディカ!」。
そして言うには、「 1泊最低825Bです」。やっぱりそうか、奴らゴマのハエの高級限界はせいぜい500B、それ以上ならすべてペーン、ペーン、ペーン(高い、高い)なんだ、と思いつつ825Bの部屋を下検分すると、そこは幽霊が出そうな暗い部屋。かくて1ランク上の950Bの部屋に決定。
がんばって商売上手なイサーン娘に宿代負けさせようとしても結構骨だし、こんなところでまァいいか、と納得しての手打ちです。
おりから降り出した雨季の驟雨を10階のナイスルームで眺め、泡風呂に入ると、サバーイ、サバーイ(きもちイイ!)。高級感あふれる午後の休息となりました。

次はタイの最北部チェンライの宿です。バスターミナルでチャーターバスを降りると直ちに何台かのソンテウが近寄ってきました。
運ちゃんに「お前の知っている400B前後の宿へ行け」と一任すると、2件周って着いたのはインド人マネージャーが取り仕切る非常に怪しげな宿でした。
2階のエアコン付500Bの部屋に入ると別に幽霊の出そうな暗い印象はないが、もろ連れ込み宿スタイルで中央にダブルベッドがでんと鎮座しています。
くたびれたし、もういいや、と投げやりな気でいると、件のインド人マネージャー氏いそいそと働き、絶好のカモをぜったい逃がすまじ、という顔をしています。しかし、いくらスイッチを押しても肝心のエアコンがぜんぜん作動しない。
マネージャー氏、大いに慌てて点けたり消したりしたが、頑固なエアコンはうんともすんとも言いません。半分荷を解いたあとだし「チェンライは暑くないし100Bバックすればこの部屋でいい」と助け舟を出すと、マネージャー氏、ほっとした顔で100Bを戻してきました。
さて、バッグの荷物を整理し、ここはチェンライのどこら辺りか確かめるべく暑い日盛りの戸外へ出たら出口の対面に棺桶屋が見え,その隣の建物が入院病棟のようで看護婦のナースキャップがちらほら見えます。
このすばらしくもあからさまな対比に、あー、としばし慨嘆。
そこから右往左往歩き回って、その辺がチェンライの市場裏手であると知ったのですが、どこをどう歩けばバスターミナルへ行き着けるかまだ不明のままです。
さらに行ったり来たりした挙句、やっと見知った通りに出ました。
ほっとしてバーミーナム(汁そば)をかっ込み一息ついたあと、インターネット・カフェでメール書き。
そして、もと来た道をふらふら歩いているとき魔に魅入られたようにやられてしまった。
だいたい,タイは街中どこもかしこも凸凹だらけ、油断大敵、一番安全そうなところが最大危機と、かの徒然草の兼好法師がちゃんと訓話しているのについそれを忘れてしまった。
ふっと踏み出した右足が前方の段差を探り損ない、着地の瞬間サンダルごとグワァンと捻っちまったのです! 
あわてて姿勢を立て直すも時すでに遅し。捻挫確実、それ以上いったかどうかは不明。右足甲の真ん中あたりが患部で足を上げると、ズキ、ときます。
のろのろ足を引きずってホテルへ帰る途中、通り抜けた市場の露店にはうまそうな惣菜が山盛り。
足痛〜い、でも食いた〜い。て訳で一つ10Bの春雨サラダ、揚げた魚の切り身をカブ,キャベツといっしょに酸味に煮こんだ惣菜、それとカウニャウ(蒸したもち米)の合計25Bのビニール袋をぶら下げ、びっこでよたよた歩く。
さらに市場隣のスーパーでビールやらなんやら買いこみ、店員のねーちゃんたちとタイ語片言コミュニケーションを図りました。
ラオスで聞いたタイ語と比べ発音が格段にはっきりしています。これまでチェンライをタイ北辺のいなか街とみていたが、実にりっぱな近代都市だと再認識しちゃったな。
買い物した食料一式をぶら下げて、西日中、とぼとぼと連れ込み宿のわが部屋へ。
お皿なんていうシャレたものなどなく、ビニール袋から直接スプーンで掬いがつがつ食ったら、これが何とバカうま! 
胃袋だけフル回転してたちまち全部平らげてしまった。
食後どっと疲れが出たので捻挫部分に膏薬を貼り、小1時間ほどベッドに横になっているとだいぶ気力が戻ってきました。再び巷へ。
足、いた〜い。でも夜の市場の賑わい見ると確かに、ここはいままで私の知らなかったチェンライです。
さて、バスターミナル横のナイトバザールまで痛い足を引きずって出かけて改めて驚いたのはステージの急激な変化。
舞台が横から縦になり、客席のテーブル数が3倍増になるように改善?されています。でも客数はまばら。
こっちのステージでタイの流行歌を歌い、バザール入口そばの狭いステージでタイ舞踊をやっていました。
当然、ファランや観光客は伝統的ステージの方へ集まってくる。
このようにしてチェンライの小チェンマイ化がすすみ、私たちがノスタルジーした昔ながらのチェンライはまさに消えゆかんとしている。でもそれが時代の必然。
リキシャで部屋に戻り、ビールを飲んで寝たら今朝は少し調子がよくなりました。
翌日の午後バスでチェンマイ入り。だが、油断はまだまだ続きます。
郊外のバスターミナルに着きバスの後ろ扉が開いたのでそっちから降車。
そのときステップに気を取られ、扉の角の尖った金属で右手中指を切ったのはおまけ、たいした傷ではありませんが、バックパックからバンドエイドを取り出すそばで客引きどもがヤア、ヤアうるさく付き纏っています。
奴らが覗き込む中流れる血をゆっくり応急処置しおもむろに、しつこく居残っていた女の客引きと交渉開始。
そして、ターペー門近くの550Bホテルでひとまず手打ちしました。
この中国顔のおねーちゃんが自ら運転して着いた先は旧市街のお堀近くだがナイトバザールにもほど近いなじみのあたり、タイ・マッサージ店密集地帯のど真ん中「トラベラーズ・イン」という名のホテルです。
が、案内されて室内に入るや「ああ、また連れ込みかよ!」とうんざり。ナンパディスコと悪名高き「ディスコ・バブル」付き定宿「ポンピンタワー・ホテル」でもよかったのですが、今回の旅ではターペー門周辺の中級ホテルに執着したため他を探すのも面倒くさくなって妥協しました。
ホテルを斡旋する運ちゃんどもはキックバックが貰えるのでかくも必死の形相で客引きに励む訳です。
中国系タイ女も私がチェックインするまでやきもきしながらフロントのソファで待っていました。
こんなふうにして数多くの日本人旅行者が葱しょった鴨となり、運ちゃんどもにいとも簡単に捕獲され美味しく舐められているのです。



下町の飲み屋さん


チェンマイ市内は町じゅうどこもかしこもオープンなビアバーだらけ。トゥクトゥクの運ちゃんもしつこい客引きをしますが、ビアバーの前にいる女たちも相当しつこい(「シャチョさん、シャチョさん安いよ」などと日本人の男を見れば必ず袖を引く)。でも、私は散歩の途中に見つけた一見駄菓子屋ふうのタイ人専用飲み屋で、英語のしゃべれるきさくな小町娘やそこの常連のタイ人たちと楽しく飲んで過ごしました。
その店はチェンマイのダウンタウン旧市街をちょっと入った路地の交差点にあり、そこへ正体不明の飲んべいどもが昼間から集まってきてだらだら過ごしているのです。
日本ならさしずめ通りの酒屋がやっている立ち飲み屋といった風情。
私が前を通ると、「お兄さん、日本人だね。ちょっと寄っていきなよ、安いよ」と呼び止められました。
時刻は夕方、店の前にテーブルを出し5、6人のタイ人男女がコップ酒を飲んでいました。
呼びかけてきたのは昔長野の工場で働いていたと本人がいうところの、温泉と日本酒大好きな中年女。
私が椅子にすわってビールを飲み始めると、彼女を通訳にして彼女の姉貴とかトゥクトゥクの運ちゃんたちが私にいろいろと話しかけてきます。
私も片言タイ語で応戦すると、奴ら大喜びで杯を重ねる。
そうこうしていると、へそ出しルックの若い女の子がやってきました。店内でもひじょうに手慣れた動きです。
20才そこそこのちょっとグラマーな女の子なので内心(ああ、また女の斡旋かいな。でも結構いい女じゃんか)と思ってしまいました。
ところがいろいろ話しているうちに、この若い女が店のオーナーとわかってびっくり。
酔っ払った中年女どもの話を総合するに、見かけと違って30才を超えているそうです。コップ酒やつまみを給仕している若い男の子が彼女の弟で、だいたいこの二人で店を取り仕切っている様子。
で、当のマドンナ嬢、今夜はセクシーなへそだしルックですが、けなげに働いている様がとても魅力的、さらに英語もしっかりしゃべれるため、近所にたくさんある欧米人向けゲストハウスに長期滞在中のファランの男たちがマドンナの魅惑に負けてふらふら迷い込んでくるのです。
わたしも魅了され、チェンマイ滞在の3日間しっかり通いました。
この店、タイ人の地元値段で安いんです。
お堀沿いの大通りに出れば、旅行者からふんだくるビアバーが雲霞のようにあるのですが、そういう店とはまったく一線を画しているのです。翌日の夜も店先で飲んでいると、そこへなかなかハンサムなファランが2人来店してきました。
そして、それぞれ言葉を尽くして彼女を口説き落とそうと試みるのですが、落ちる気配など毛ほどもありません。
なぜ行きずりのメイクラブをしないか、堂々論陣を張ってしつこく食い下がるオーストラリア人を撃破したのはみていて愉快でした。
いい気分になったので1杯20B(1バーツ=約3円)の地酒をタイ人どもに奢りまくり、マドンナを口説きに来たファラン2人ともいろいろ話しましたが、もちろんファランには奢りません。
三日目の夜もチェンマイ競馬で儲けたので意気揚々と店へ凱旋すると、マドンナ今夜は地味なTシャツ姿で働いていました。
奥のテーブルにはチェッカーをやっているタイ人がいて、カウンター席では相当お年を召したファランの爺さんが中年のタイ女を連れてちびちびビールを飲んでいました。
つまみを何も注文せず、ちびちび、ちびちび時間をかけて一本のビールを飲みほすと、一緒の女に支えられ杖をつきながら帰って行くのですが、また少し経つとふたたび店に現れる。
「あのファランの爺さんは何者なの?」とマドンナにきくと
「ずっとチェンマイにいるドイツ人で、あっちこっちに女がいる」と憎らしそうな口調でこたえた。
退職してタイに永住し、タイ人の女に身の回りを世話させながら余生を送っている老人か。でもあっちこっちの女を満足させるようなエナジーなどぜんぜん感じられないし、おそらくドイツ流の万事にケチくさい対応ぶりがマドンナたちを不興がらせているのだろう、と推察しました。
その夜も店のタイ人どもに奢って、奢って、たったの300Bだけ。その晩不在だった日本語をしゃべる中年女と酔っ払いの姉貴どもに「酒飲ませてやって」と500B払い「あしたバンコックへ行くけど、手紙出したい。住所おしえて!」というと、マドンナ「じゃァ、あした飛行機に乗る前に店に来てよ、開けておくから」
チェンマイ最終日の正午すぎ、バックパックを背負って店までいくと、不思議なもので昼間みる店は魔法が解けたみたいに、実に平凡で質素なバラックの家です。
雨季とはいえ、真昼のタイは相当暑い。人間も動物もぐたーとして建物の陰でシェスタしています。
店に入るとなじみになったトゥクトゥクの運ちゃんが待っていました。
マドンナの弟がガールフレンドといっしょに、運ちゃんの卑猥なからかいにも負けず、いちゃいちゃ愛情表現たっぷりの振る舞いをしているのを見てマドンナが「あたし、ジェラシー感じるわ。でもあたしの夢は、この店をカラオケができるような大きな店にすること。だから一生懸命お金をためるの。それまで結婚しない」とけなげなことをいう。
搭乗時間まで間があるので、ビールとカウパット(タイ風焼き飯)をたのんだのですが、暑い盛りなので汗がたらたら流れる。
やがて時間がせまり、トゥクトゥクの運ちゃんに空港へ行こう、と促すと「じゃ、あたしたちもいっしょに見送りにいくわ」とマドンナと友人の女が乗り込んできました。
タイ人にとって昼下がりはお昼寝タイム、いつも暇をもてあましているのですが、3日だけの付き合いながら、わざわざ旅立ちを見送ってくれる、ていうのはちょっと嬉しかった。
空港に到着し通常50Bの運賃に「飲み代だよ」と少しプラスして100Bを運ちゃんに渡し、三人とバイバイ。ああ、これで俺の半月の旅が終わったな、と少しだけ感傷的になったものです。


↑前:弟カップルと、右奥:マドンナのお姉ちゃん


 
華僑ネットワークの旅 その1(MLメール)

 Mくん、みなさん、お元気ですか。
 10日あまりマレーシア、タイをひとり旅して帰った直後でして、日本と熱帯の温度差にとまどい足の裏やふくらはぎがこむら返りして困ってます。
 この3年間何度も行ってるので意識の上では簡単に季節チェンジできるのに、筋肉のほうはそう簡単に適応せずもっとバカたれ。水の中で足がつるような状態がしょっちゅう起こります。いまやっと屋外の春の光に目の焦点が合ってきたところであります。
 タイ語を一年間練習したのを実地で試してみようというのがテーマのひとつ。
 でも今回はクァラルンプールから入ったので最初は片言えーごしか通じません。
 空港から市内のチャイナタウンへ。
 イスラム教圏内でもやっぱり華僑の世界がなじみやすく、漢字を眺めるだけで心が和みました。
 以下なんとなく華僑つながりの旅で、⇒イポー(華僑の街)⇒ハジャイ(タイ南部)⇒バンコク(やっぱりチャイナタウンに泊)⇒チェンマイと回って帰国しました。
 タイの町はインターネットカフェなどどこでもあるのに、マレーシアでは見当たりません。
 イポーの町中で困っていますと「日本人ですか?韓国人?」(以下片言えーごコミュニケーション)の声あり。振り返るとペンギンみたいな女の人がいました。
 彼女はユンという名の中華系マレーシア人。一緒に探してくれましたが、町中には一軒もなし。単なる親切か何か魂胆があるのか、いろいろわが心中疑念だらけでしたが、話しが面白かったので好奇心が止まらなくなりました。
 彼女のステディはシモゾノという日本人。当地で仕事をしている55歳の独身男性。
 彼女はこのシモゾノという人と結婚するのが夢なのだそうです。
 その前にステディだったのがヒラシマという45歳の日本人。彼はマレーシアの仕事が終わるとさっさと妻子が待つ日本に帰っちまったのだそうです。
 でユン曰く「私がほんとうに愛したのはヒラシマとシモゾノだけ。日本人はハートフルだから好きだが、韓国人はケチでだめ。ファランはもっとだめ」なんだそうです。
 「ネットカフェないじゃないか」というと「郊外にジャスコがある。そこの周辺にあるはず」というのを信じてバスで新興住宅街の終点「ジャスコ」まで同伴。
 確かに地域のアミューズメントセンターとして日本の「ジャスコ」が建っていました。
 お腹がすいた、とのたまうユンに「ジャスコ」二階の店で麺をおごり、もう帰ろうかと思ったら、自分はいま夜のカフェで働いているのだが、そこのマスターがけちで好色。大っきらいだが、それしか仕事がない。いまお金がなくて実用品も買えない、と本音が飛び出してきた。
 要するに日本人の私は、ユンの押しかけガイドの絶好のカモにされたわけです。
 で、実用品っていったい何がほしいんじゃ、とユンの自由にまかせると、一階の売り場で歯磨きセットとフェイスクリーム合わせて15RM(1RM=30円)を購入。これがガイド料でした。
 ネットカフェがないんじゃガイド不発じゃんかよ、と内心思っていますと、
「ジャスコの外にずらりと店があるから、その中にあるはず」
というのでついて行きますと、昼間のだれた歓楽街のまん中にネット屋があり、中高生ぐらいの男の子たちがゲームに群がっていました。
確かにホットメールがあり、接続すると、ああ、なんと中国語と英語しかでません。
 結局ネット探しは不発。でもこの間ユンの複雑な生い立ちについていろいろ知ることが出来ました。
 父親は本妻と暮らしている。母親は3番目の男と暮らしている。ユンは郊外の集合住宅にひとり暮らしで、シモゾノという人が訪ねてくれるのを待っている。等等。
 それからこれがタイの出来事なら確実に援助交際パターンなので、私も警戒しますが、イスラム圏はその点なかなか禁欲的。
 ユン曰く「私はステディとしかメイクラブしない」んだとさ。
 いろいろ話すとヒラシマという妻子もちの中年が彼女を現地妻にしていたとき彼女に正統日本語のメイクラブ=マ○○、と教えたようで話しの最中に彼女が3文字を口走ったので「そりゃ俗語だぜ。使わないほうがいい」と余計な忠告をしておきましたが、なんちゅうても日本人中年男性ご同輩さま、なかなかやるもんでございますー! 長文失礼しました。




華僑ネットワークの旅 その1へのコメント(MLメール)
Tさま&Nさま


 池袋は最近行かないので不明ですが、もっぱら出かける大久保界隈について報告しますと、このところ入管の活動が盛んで、不法滞在者をたくさんしょっぴいたため非常にさびれた印象です。
 テレビなどによく出てくる屋台村(中国、タイ、ベトナム、インドネシアなどの店が隣接して営業する非常にアジア的な食堂)も、新宿区の検査が入り三月いっぱいで営業停止、そこでいままで「先生」などと呼ばれて大きな顔をして飲んでいたのに、これで行く店がまたひとつなくなってしまいました。
 日本人、寛容なのに、とても了見が狭い。鎖国根性がいまも連綿と続いている。華僑にのっとられた東南アジアをみても、私はぜんぜん危機感などもちませんでした。
 チャイナタウンの看板の漢字をみて、つくづく日本も中国文化圏の一端に過ぎないと実感したぐらい。
 華僑が何世代もかけてその地に住み継ぐ執念、というか生き延びることへの執着をみると、日本人のお国だいじ、という意識などたあいない寝言のように思えてきます。
 でも、上の言い方と矛盾するようですが、中国人については次のような管見を得ました。
 それはなぜ孔子の昔からかれらが「礼節」についてあれほど熱心に説いたのか、ということです。
 要すれば、礼節がいっさい存在しない環境にいると「礼節」は理想的な徳になる、という逆説です。
 現在の中国人も、大昔の中国人も「礼節」からあまりにも遠い生活をしてきたと実感したわけです。
 それに比べ、わが愛するタイ人は非常に優雅な立ち居振る舞いをして、そんなタイ人にちょっとぐらい騙されても不愉快になりません。西洋人のどうしようもない慇懃無礼さ、中国人の阿鼻叫喚的厚かましさに比して、ある種の気持ちの良い人当たりの良さがあります。
 でも、こんなふうにタイ人擁護の説をたてても、なかなか、どうしても隔靴掻痒の文章にしかなりません
ねえ、N教頭どの!

早咲きのさくら日本の眩暈です   明風




華僑ネットワークの旅 その2(未発表)



 マレーシア北部(といってもマレー半島のど真ん中...)の中都市イポーからタイへ、陸路入国する早道を知るべく超有名ガイドブック「地球の歩き方」をぱらぱらめくってみましたが、有効情報ゼロ。
 郷に入っては郷、マレーのことならマレー人!と生情報をもとめホテルフロントへ。
 だが、しかし、奥の方から出てきたターバン姿のインド人マネージャーは「?」と首を傾げたままさっぱり不得要領です。
 タイで覚えたいい加減モード(どうにかなるさ、マイペンライ)にスイッチを切り替え、あせるのをやめて一晩のんびり過ごした翌朝、鉄道駅までのこのこ出向いても人の姿はなく閑散としています。
 植民地時代のコロニアル様式の駅舎が朝の光を浴びて佇み、そのまわりを真っ赤なブーゲンビリアの花が取り囲んでとても南国的でうつくしい光景ですが、営業中の一階レストランを除くと他の駅機能などまったく停止状態でした。
 大通りでタクシーをつかまえバスターミナルへ。
 こっちは列車駅など目じゃない繁盛ぶり。ずらり並んだチケット窓口から頭にムスリムの薄布スレンダンを被ったもぎりのおねえちゃん、おばちゃんたちが顔を出し、異口異音に行き先の都市名を叫び自社のチケットを売りつけようと必死の形相です。
 手配師の太ったおばちゃんが寄ってきたので国境の街アロースター行きのチケットをくれというと即手配してきました。
 指定のバスに乗り込み奥の座席へ移動。すると三人掛けシート隣へ、マレー語を話す長身の黒人が座った。(ケータイでのべつ喋り続ける男で、喋り終わったらすぐせかせかとゲームをはじめた。ピコピコ音が超耳障り!)外見で判断したらまずいが、この隣人はそのまんま香港アクション映画に出てきそうな悪漢面。
 でも、だからと言ってべつだん強請り事件も暴力沙汰も勃発せず、4時間後無事アロースターに着いた。
 マハティール首相の出身地だけあって、ここのスマートかつクリーンな外観は筑波学園都市のバスセンターのようです。(こんなの、うそっぽい...でも、どっちみちアジア!国境越えなど楽勝さ!)と強気に構えたものの、ではどうしたらいいのか、チケットはどこで入手すべきか、さっぱり見当がつきません。
 将棋の格言に「下手の考え、休むに似たり」というのがあり、下手に考えるよりまず腹ごしらえと建物の裏へまわると、そこが雲助タクシーの溜まり場。
 たちまち男が近づいてきて「ドコイクカ」とスピークイングリッシュ。
 「タイのハジャイ」とアンサーすれば「ハジャイ、30RM」(1RM=30円)とにこにこ。国境などどこにもないような口ぶりです。やっぱり!マレー人が易々と越えられるならオレだって!)とひと安心して、ゆっくりグリーンカレーを食べもどってくると、さっきの運ちゃんの替りに別の運ちゃんが寄ってきた。
 「ドコイク?」「ハジャイ!」という鸚鵡返しのあと「28RM」。安いと喜び確認すると国境までの料金のようです!
 タイ入国後また新たにタクシーを雇い別料金でハジャイまで行かねばならないようだ。
 はじめの運ちゃんの30RMも国境までの料金で、ちゃんとハジャイへ行くには倍の値段がかかる仕組みでしょう。
 バスを使えば三分の一の料金で行けそうだが、時間を稼いで日の高いうちにハジャイへ着きたい気持ちが強く、けっきょく雲助どもの言い値を呑むことにしました。
 指定されたタクシーをみると、これ実に、おいぼれ運ちゃんの運転する超のつくオンボロ車で後部ドアの手動式ウインドウがぶっ壊れているような代物。
 おまけにエアコンが満足に作動せず中に入ると猛烈暑い! この先いったいどうなることかチョー不安でしたが、このボロ車でもゆうに時速100kmが出、開けっ放しの窓からわんわん熱風が入りけっこう涼しくなりました。
 小1時間ハイウェイをとばし無事国境着。そこで即、タイ側の運転手にバトンタッチ。こっちの運ちゃんは壮年で手馴れたふうにわがパスポートをもとめるとイミグレーション窓口へ行って出入国カードをもらってきた。そしてカードになにやらさらさらと書き込み私がそれにサインすると一丁上がり。
 乗り換えのタクシーはちゃんとした車だったがどこにもタクシー営業のマークがない。日本ならさしづめ白タク。ボーダー窓口で運ちゃんが入国管理の係官にひと言ふた言挨拶すると即通過できたので、これはやっぱり軍人や役人どもが非番に自家用車を使ってする小遣い稼ぎとしか思えなかった。
 かくて易々とタイに入国でき、あかあかと西日が照りつける幹線道路をすっとばす気分はひじょうに爽快です。
 この運ちゃん、人相が非常に悪くて過去に必ずや人間の一人二人は殺していそうな暗めの横顔の持ち主でしたが、ハジャイの街が近づくにつれ暗い表情がうそのように消え失せ「今夜ドコニトマル?」などと質問する声もひょうきんで愛想良くなってきた。
 「街なかで宿代が高くなければティナイコダーイ(どこでもいい)」というと「では、サクラホテルがぴったり」とのたまう。
 「日本人に会いたくないな」というわが要望に「マイミィコンイープン(日本人いない)」。
 こうなりゃ全部任せちゃえとあなた任せにすると、いまにも口笛を吹き鳴らしそうなご機嫌顔になりました。
 市内をぐるぐる回り(市内の道路はだいたい一方通行)、とあるオフィス前に停車。そこが運ちゃん御用達の旅行代理店です。
 ホテルを予約後、手持ちのマレーシア通貨の両替をたのむと万事スムーズに進行。あっという間にタイ国旅行者に仕立てられてしまった。
 タクシー代金35RM、アロースターから〆て63RM。相当ボラれたはずだが、段取りがてきぱきしてたのでそう損した気はしません。
 このサクラホテル、名前からして日本資本が入っていそうに思えるが、日本と無関係な中華系資本のホテルらしい。
 台湾や中国大陸の南部からきた団体さんが大勢でフロントロビーを占拠し、そこいらをたいそう喧しく騒がしい中国語が飛び交っています。
 ハジャイへはマレーシアから電化製品が密輸され(これは当局に黙認されている)、売価がバンコクの半値以下なので、それらを大量に買い込むべく国内外のあっちこっちから(主として華僑系の)商売人が押しかけてくるのだそうです。
 それと、ものの本によると、ハジャイはタイ北部、ラオス、ミャンマー、中国雲南あたりから売られてきた女たちが最後に流れ着く南の果ての都市らしい。
 で、禁欲のイスラム国家マレーシアからマレーの男たちが女を漁りにやって来る町でもあるらしい。
 現にさっきのタクシー運ちゃんがにやにや笑いながら「今夜、女は?」と私に聞いてきたが、それは今夜思う存分ハジャイで羽を伸ばそうという奴の魂胆がギンギンに浮き出たパッパラパーな口ぶりで、これ以上奴と一緒にいたら相当な毒気に当てられそうな危険を感じた。
 その辺のことを実地に調べてみたい気も多少ありましたが、旅の三日目で疲れがピーク。あえて危険を冒す胆力に欠けたため取り止め。
 街の中心セントラルデパート四つ辻の一角にオープンしていた中華食堂でいっぱい飲み、ホテル近くの「カラオケ」に入って太ったママに片言タイ語の稽古をつけてもらいママやボーイたちに好き放題にタイ語の歌を歌わせるなどして、ほろ酔い気分のいい気分でハラヒレホレとホテルに戻った。
 かくしてハジャイの街の売春実態は依然としてものの本の知識にとどまったままです。




華僑ネットワークの旅 その3(未発表)

全日程十日間の旅をずっと陸路でいくと旅の双六はバンコクでゲームオーバーになってしまいそうです。
それもいいかな、と思いましたが、せっかくの休暇だしいろんな刺激をいっぱい浴びたい。とくに明日は日曜、週末だけ開催されるバンコク競馬を体験し、その後なじみになった北都チェンマイへひとっ飛びして、去年の夏三日間通いつめたダウンタウンの飲み屋も訪ねたいなどと非常に欲張ったことを考えた結果、ハジャイから空路バンコクへ移動することに決めました。 
市内のホテルから郊外の空港へ移動するタクシーに乗り道筋の風景をぼんやり眺めていると、低い家並みがつづく市街地の境界あたりに近づいてきました。
この辺はトタン屋根掘っ立て小屋のスラムで、その中にぽつんぽつんと「カラオケ」の看板が点在し暑い日差しの中に白々と光っています。
たぶんこんな所がラオスやミャンマーからドラゴンルート(タイ国内を縦断する売春ルート)伝いに流れてきた女たちの仕事場だろう、そんなことを考えているうちに車は郊外へ出た。するといきなり視界が大きくひらけ、道の両側にしゃんしゃんと大きな椰子の木があらわれてきました。
ほんとのマレー半島の象徴のようなこの椰子並木を見て、とりあえずここらはタイだが相当ちがうみたいだぞ、という感慨がふつふつと湧いてきたものです。
何もない空港レストランで時間をつぶした後、タイ航空の国内線に乗り込み西日が照りつける旅客機の左翼シートで小1時間じっとしていると、日の高いうちにバンコクはドンムアン空港に到着しました。
チャイナタウン行きのエアポートバスが出ていないのでタクシーを使うしかないが、料金が高くて癪。といって、ファランが多いスクゥンビット方面を目指すのもいまいち。
ダウンタウン行きエアポートバスを適当なところでおり、そこらのトラベルエージェンシーで安ホテルを斡旋させようなどと考えた末に、実際にバスを下りたのが広大なルンビニ公園のまん前。旅行代理店など影も形もありません。
公園出口で暇そうにしていたトゥクトゥク(オート三輪型タクシー)運ちゃんに「どっかの安ホテルへ案内せよ」と命じると困っています。
ならばこの際ちょっと冒険してみるか、どうせならかねてより悪名高き「マレーシアホテル」がいい、そこへ行け、と指示を出すとトゥクトゥクの運ちゃん大きく頷き、直ちに交通量膨大な大通りを横切りはじめました。 
トゥクトゥクは非常に便利な乗り物ですが、地方都市の小規模道路がお似合い。バンコクのような巨大都市の交通機関としては危険すぎる。
だいたいトゥクトゥクの運ちゃん、排気ガスを吸いすぎていつもラリったような目をしている。でも、奴らが安ホテルガイドの最適任者なのです。
どうにかマレーシアホテルに辿りつきホテルのフロントで「一泊600Bだろ」というとなまいきにも「予約ガナケレバダメダ」と断ってきた。
どうも積年のうちに積もり積もった大不良ホテルという悪評を払拭しようと努力しているみたいです。
私が年くったアジア人バックパカーなので見た目クスリをやりにきたいかがわしい奴、と誤解された節がある。
満室なら致し方なし。近所の旅行代理店へいくと中に女が三人、どうやらファミリーみたいで中国系の顔つきです。
「近くに安ホテル、ない?」ときくと「ある、ある」と二つ返事。部屋代900Bですぐ近く、というが、通りかかったバイクを呼びとめ私に乗れという。
バックパックを背負ったままの二人乗りですが、行けども行けども行き着かない。トゥクトゥクも危険だがバイタクはもっとずっと危険。
後ろ座席でびびっていると、二十分間もあたりを走り回った末にようやく到着しました。こじんまりしたまあまあのホテルだが、周辺がさびしく繁華街から遠いことが大きなマイナスポイント。
でも行きがかり上やむを得ず、ホテルのだだっ広い部屋にバックパックを置きシャワーを浴びてヤワラート(チャイナタウン)へ。
タクシーで三十分もかかってしまう遠距離です。
夜九時すぎのヤワラートは大通りへずらりと露店テーブルがせり出し、観光客が大勢犇いて大きな海老や分厚い甲羅のワタリ蟹やその他南国の色鮮やかなシーフード類をわっしわっしと食い散らかし、飲み食いしゃべるエネルギーが満ち満ちています。
その圏内に入るとたちまち元気が出てきました。
大通りと直角な小路にある小汚い中華の店、そこは地元客専用の店ですが、そこに入り込んでビールと串焼きをたのみ一服。さらに別の露店の、大通りの真ん中近くまで出張ったテーブル席でパッタイ(やきそば)をたべ、そのあと以前から入ってみたいと思っていた大通り向かいの小路奥にある茶店へぶらり。そこも地元のタイ人ばかりです。
コーヒーやお茶などのドリンク類を給仕するのは十代前半のその辺の娘たち。
十時閉店なのであんまり時間がありません。
でも、カフェーィエン(関西の「冷コ」)を飲み、掃除などその日の後始末をふざけながらやっている少女たちの姿をぼんやり眺めているうちに旅の至福感が満ちてきました。
こんな時間に遭うために旅してるんだ、という思いです。閉店後タクシーで味も素っ気もない宿泊ホテルへ帰還。
翌朝、夜は何もなかったホテル近くの歩道に朝市と食堂が開かれていました。
こういうのが東南アジアの日常で、日陰のテーブル席に座ってレバーともやし入りのバーミーナム(汁ソバ)を注文し人生から引退したような爺さんと並んでソバを啜ると、いろんな思いがぶんぶんそこらを元気に飛び回る蝿のように去来してきました。
昨夜入った中華粥の店の、一晩中熱い鍋の前で粥や麺類を作り続ける中年の無愛想なオヤジにしても、その前の露店で大鍋を火炎で焙りながら炒め物を作る太ったオヤジにしても、中華系の男たちはひたすら働きづめの日々を送る。
そうして老人になり引退する年齢になると、日がな一日涼しい木陰に座って猫のような晩年の日を過ごす、適度に女の子をかまいながら…。
でも女はちがう。若いときはお水顔負けのお洒落に憂き身をやつすがその後死ぬまで働き通すのが華僑の女で、引退という発想はなくずっと何代も何代もその地に根を張って生き続ける。
これが世界に散らばる華人たちの基本的な人生観みたい。
そのあたりは「モンスーン気質」の飽きっぽい日本人や、宵越しの金を持たないエピキュリアンなタイ人には到底まねのできない徹底した華僑流の生き方だ、などとりとめないことをぼんやり考えることのできる朝の露店はこれまたひとつの至福の場所でしょう。
ここはこれで十分、ホテルの部屋に戻りそこからヤワラートにあるチャイナタウンホテルへ電話予約し、さっさと午前中に移動を完了しました。
そうして新ホテルの部屋へ荷物を放り込み、安い雑貨を売る問屋街=入り組んだサーペンレーンの路地で奥方へのお土産として肩掛けバッグを入手後、懸案の競馬場へ急ぎました。
ドウシット地区の競馬場トラック内の芝生で、開催日もゴルフ客がゴルフをやっています。
これ、日本ではとても考えられない光景ですが、それでもチェンマイのダート競馬と比べて芝の競馬場はずいぶん垢抜けて見えました。
日本人のファンもたくさんいます。
馬券の種類が単複の二通りだけでレース形態がすべて同じ、という単調な競馬ゆえオッズを眺めているとだいたい買い目がみえてきます。
謙虚に複勝だけ買っていれば負けなかったが、欲張って単勝で勝負したため2000Bやられ。負け惜しみですが、負け分は異国ギャンブルの見物料と考えホテルのあるヤワラートへ帰還。
昨夜の露店でフカヒレをたべ、別の中華飯店で美味しい(でも一見客ゆえちょっと高い)カウパット(タイ風チャーハン)をたべ、再び昨夜の茶店へ赴くと女の子たちが覚えていて、にこにこ顔でカフェィエンを運んできました。
閉店時間になり、写真ダイマイ(いいかい)?ときくと、みんなお澄ましして寄ってきて、はい、ポーズ!女の子たちの年齢はだいたい14、5才で、みんなこの近所の中国系タイ人の子供たちです。ポーズをとって笑顔になった瞬間が実にかわいい。
心地よい疲れを覚えつつ部屋のベッドに寝転がってテレビをつけるとタイ人の女性歌手が民謡を歌っていました。
彼女の、実に深々としたうつくしい声を聴いているうちにとろとろ眠気が寄せてきて、バンコクの一日も終わりです。



華僑ネットワークの旅 その4(未発表)

午前中、まだホテルの部屋をキープしたまま、ヤワラートの路地などを歩くとやっぱりそこらに朝市がたち、狭い歩道にずらりと食材関係の露店が並んで大ぶりの青みがかった海老などが無造作に笊の中でがさごそ動いているのが見かけられます。
タイ航空のオフィスがオープンするまで時間があるので、ラーチャウォンの船着場まで歩き、そこから有名な「ワット・プラケオ」のある王宮への船場まで水上バスに乗り、タマサート大学の近所の水上に張り出したぼろい店で朝昼兼用の食事をしました。
水際の席でみていると、タイ人が食事しながら飯粒を河へ投げ、それに向かって濁った川底から黒い、ゴリか泥鰌に似た雑魚がわらわらと無数に浮き上がってくるのが見えました。
皇居のお堀なんかの通称「ドンコ」という雑魚に似ているが、もっと貪欲そうでそれこそ無数に湧いてくる南国の生類、て感じでちょっと恐怖を感じました。

きらきらと白き腹みせ濁りより浮かぶ渦巻くメナムのドンコ
路上にて何あきなうや覗き込むファラン女は半尻さらし
いつの日も夏であるよな物憂さよ朝の売り声ほそくかぼそ

午前中にヤワラートに戻り、午後のチェンマイ便のチケットを入手後、チェックアウトしてタクシーで空港へ。
今回の旅ではじめて日本の新聞を購入してニュースを読むと、昨日発ったハジャイで、バスの爆破テロがあったという記事が載っていました。
マレーシアからのバスがホテルの駐車場に着いて無人になったあと、爆破が起こったため負傷者ゼロ。
なんともタイらしい間抜けなテロ事件ですが、ひとつ間違えると大事件だ。
イスラム分離派の仕業、といわれて、それならあり得るな、と思いましたが、当事者でないのだからすでに遠いところの出来事です。
一時間ちょいでチェンマイ着。
まだ三時前でいちばん暑い時間帯です。空港タクシーしか足がなく、100Bは高いが仕方ない。
で、昨夏に三連荘した「下町の飲み屋さん」へ出向くと、半年前にママやっていたヘソ出しキャーツはもういなくて、弟だかが暇そうに店番していました。
ああ、サイクル早いなぁ、彼は昔の彼ならず、と思いつつ、今度は昼寝していたトゥクトゥクを捕まえて「どこかホテルへ行けよ」というとファランの多い「チェンマイゲートホテル」へ案内された。
別に部屋代をケチる理由もないので二泊することに決め、部屋を確かめるとなかなか高級。一人じゃもったいない部屋で、このときばかりは日本にいる奥方のことをちょっとだけ思い浮かべたものです。
 夕暮れになり、歩いてふたたび「下町の飲み屋さん」へ行ってみたが、何かもの寂しい雰囲気です。簡単な食事とビールでしばらく座っていました。

 
たそがれてゆくチェンマイの下町や背高のっぽ影絵の自転車
鶏の骨与えし犬がわが顔を覚えていたり 黄昏の中

どうも旅の終わりに近づいてきたのに意気が上がらない、
何とかしなくちゃ、とそこへ通りかかったトゥクトゥクを止めて「サンティタムへ行ってくれ」というときょとんとしています。
去年の暮れ、タイ語教室の仲間の山本さんがサンティタムを訪れたとき、その辺の売春宿が軒並み閉店していた、と撮ってきた写真を見せられていましたが、どうも変だな、享楽派のタイ人がそんな道徳的なことするはずない、と信じられない思いで、このたび実際にこの目で確認すべくトゥクトゥクを走らせた。
すると、なんとほんとに店が閉まって赤い灯も青い灯もピンクの灯も平屋のドアの隙間から洩れ出ていません。
いい加減なタイの警察が、観光客の目をはばかってこういうエイズの温床のような安い売春宿を営業停止に追い込んだらしい、それにしてもウソっぽいな、偽善の匂いがぷんぷんするぜ、そう思いながら、前に何度も来たカラオケ露店に入り、メーコンを注文すると、半月前にはさびしげな表情で子犬と遊んでいた女の子が実に明るい感じで、タイ人若者としゃべっていました。
もう完全に店の主役、ていう成長振り。にこにこしながら氷とソーダを運んできたので、何か歌ってよと頼むと照れています。ナムというこの娘は十七才、けっこう上手いので4,5曲歌ってもらうとタイ人の若者たちも喜んでいます。すっかりいい気分になりチェンマイに来たことを実感して店を出た。
 さて、どうも腑に落ちない、と思いながら、その辺を歩いていると果たして、トゥクトゥクが寄ってきたので「この辺の店どうした?」ときくと「ポリスが悪い奴らで閉まった。別のところがある」とのたまう。
そりゃそうだろう、と思い「じゃ、試しにお前さんの案内に乗ろう」
一軒目の店はカラオケスナック風だが、閉まっている。
運ちゃん、それでは、と二軒目の店へ。
そこは日本の「タイ夜の歩き方」なんかに載っている典型的な外国人御用達の売春店。チャイナドレスの女たちがずらりと並びそこのママが「1500Bだから安いよ」なんてホザく。ちっ、舐められてるな、日本人は、と思い、まあ見物代のビールを半分飲んだ後「ダメだ。ちがう店へ行こう」とトゥクトゥクの運ちゃんを促すと憮然とした顔です。
「何だ、おまえ、こんな観光客用の店に連れてきやがって」と文句を言うと運ちゃん意地になったような顔をしてトゥクトゥクに乗れ、という。またぞろピン川沿いの道路を走り、どこだか知らない地下の店に案内された。
そこは先客がタイ人ばかり、なかなか広い店でステージの椅子に十人以上の女がならんで座っていました。右手が800B、左手が1000Bだと女みずから申告してきた。
なかなか興味が湧きましたが、暗い室内のテーブルの上でグラスに注ごうとしたビールを倒してしまった。しまった、と思ったが、別にどうということもなく、こちらも女を指名しないので、冷やかし客と思われたらしく(実際その通りですが…)そこもビール代だけで退散。
外で待っていた運ちゃん、のこのこ出てきた私を見て、ここもダメなのか、と唖然とした顔です。こうなりゃ、最後のとっておきの店、そこがダメなら知らない、という感じで連れてこられたのは、すぐ近所のやはり地下一階の店でした。こんどは室内が狭く、ステージなんかない店で、女の子も客のそばにつく店です。ビールを注文すると太った店のマダムが近寄ってきた。
いかにも女衒の女ボス、という風格が体形にそのままあらわれているこの女は「店の子はみんな600B。おお、この娘がいいよ、コンチンだ」と言った。
「コンチン(中国人)」という言葉に思わず反応して娘をみると、十八才以下ではなさそう。それにすんなりした体形で人の良さそうな女の子でした。冷やかしだけど、ここまで中華つながりが続くのだから、これも縁だろう、と思って商談成立。女の子に導かれつつ裏手に出ると、そこは小さな堀川に沿った店でした。仕事場は外の仕切りのある6畳間、そういう部屋が六つほど並んでいる。部屋の中には大きなベッドがひとつ、壁にはタイ人のアイドルやスターのポスターが張られ、細々とした化粧台とかいろいろ女の子の必需品があちこちに置かれていてなかなか小奇麗な部屋です。
「べつに仕事しなくてもいいから、タイ語で話をきかせてよ」とその娘に告げると、ぱっと目が輝きました。持っていたマールボロの箱に「名前を書いてよ」というとたどたどしい漢字で「李英小」と書きました。英の字の草冠が真ん中のところで切れている正統の草かんむりです。
私もじぶんの名前を漢字で書き、読み方を教えて交流。
彼女は16歳のときミャンマーから国境のメーサイを通過してここチェンマイに売られてきた。それから4年間、ここで働いている。
自分たちは中国の雲南からミャンマーに逃れた中国人だ、などと生い立ちを語るのでした。
いくらこちらが拙いタイ語でも、話す気があればだいたい通じるものでちゃんと拘束1時間で開放。満面笑みの女衒ボスに600B渡し、外にでるとさっきのトゥクトゥク運ちゃん、どうだ、と自慢げな顔です。また乗るか、というが、もういい、適当に歩く、と追っ払い、ふらふら歩いていくとフードセンターがみえた。
腹ごしらえしてさらに百メートルばかり歩くと「メーピンホテル」という立派な大理石のプレートが目に付いた。
あれ、郊外にも「メーピン」があるのかな、と思ったら、それはナイトバザールに近い正真正銘のメーピンホテルでした。
あのテレサテンが客死したチェンマイで一二を争う高級ホテルのすぐそばに大衆料金の売春店がある、というのは盲点をつかれた。
位置を確認したので、別のトゥクトゥクでホテルへ帰った。30Bでした。
 翌日は市内をぶらぶらし、夕方になるとまたぞろサンティタムへ赴いた。
で、昨日の店でビールを飲み、もう一回この辺りを調べてみよう、と歩き出すと道路の向こうで女がおいで、おいでをする。近づくと、
「どう?あたしの店に来ない?」
「でも、この辺の店、やってないんだろ?」
「そんなことない。灯が洩れないように二重ドアにしただけよ」
とおもしろいことをいいます。
「いくら?」ときくと
「あたしは200B。300Bの若い子もいるわよ」と答えた。
好奇心全開、彼女について店に入ると、そこはまさにタイ人専用の店。オープン直後で女の子たちが前後三列で並んでいます。
例によってビールをたのみ、女の子を観察。ここはさすがにヤバく、女の子の年齢も10代前半らしいのもいる。一人、しもぶくれの顔のちょっと稚ない感じの子がそそられるな、取材してみようか、と思いながらビールを飲んでいると後からきたタイ人が「あの子」と指名し、彼女はタオル他ワンセットを腕に抱えたまま二階の仕事部屋へ上っていきました。 
その瞬間、興味消滅。
さっき私を案内した女が「私、200Bだから指名してよ」と言ったが失せた関心は戻ってきません。
 外でトゥクトゥクを拾い、昨夜のメーピンホテルそばの売春店の近くへ行き、見ているとその店の隣が食堂です。
おばさんが一人、店の女の子や従業員のために麺やごはんを作っています。
今回の旅ではソムタムを食べてないなぁ、こういうおばさんのソムタムはきっとうまいぞ。そう考えて店に入り、ビールとソムタムを注文した。
ソムタム専用の深鉢でおばさんはせっせと青パパイヤの千切りを叩き続けています。
私のそばに年を食ったタイの女がきて「こんにちは。日本人?」と日本語で話しかけてきました。彼女とはあたりさわりのない話をしたのですが、(日本蕎麦がまずい、とか日本の男はスケベとか)隣の店の太った女ボスのまねをすると、あはは、と笑い出した。
 こんなふうに更けていくチェンマイ最後の夜もなかなか乙なものだ、と思いながら、酔っ払っていくのでした。

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