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骨折実録について
94年の3月上旬、遊びにでかけた伊東温泉の旅館の部屋で、滑って転んで骨折した実録です。
右の脛のちょうど真ん中あたりが捩じれてみごと真っ二つに!厄年おそろし。
どんなところにも魔がひそんでいるのでしょう。別に戦場や地雷原だけが危険なわけではありません。
救急車を呼んで、伊東市郊外にある救急病院へいったのですが、この病院がまた最悪。宿直医が
添木をつけて応急措置したが、松葉杖のひとつも置いてないお粗末さには驚きを通り越した。
トイレへいこうにも、傘の柄を杖代わりにして壁沿いに移動するしか手がありません。
とうぜん保険証など携行しておらず、治療全額を払い、結局差額を取り返せなかった。
あんまりひどいので病院名を忘れましたよ。
翌日タクシーを雇って、東京の自宅へ戻り、近所の病院に再入院。
一週間後そこで担当してくれた若い先生が所属する日本医大の多摩永山病院へ移り、膝頭から
足裏まで金属棒を入れる大手術をしたのですが、その間の感想などを短歌俳句にしたものを採録しました。
ひどい体験でしたが、ひどければひどい程得るものがある、というのが10年後の感想です。
3/1(火)
昨日から伊豆の伊東温泉に来て、競輪をやっている。記念前節の二、三日目。宿は市内
のビジネスホテルに毛が生えたような旅館。湯だけは温泉らしく一日中狭い風呂の浴槽か
ら溢れ出ている。朝食付き・夕食抜きで一泊七千円也。
本日は俺は競輪へ、Yは市内のパチンコ店へ出撃。
昨日は二人して郊外の山腹にある競輪場へ出掛けたが、準決の有坂→尾崎で決まったレ
ースが裏目勝負で結局五千円の沈み。夜は二年前に来たときに目を付けておいた小路の焼
き鳥屋に入り、先ずは景気付けに飲む。予想に違はず非常に美味い焼き鳥が出てきた。
大いに満足して次はお目当ての酒場「しんえい丸」の小路へ勇んで赴くと、何と何と月
曜休業の札が下がっているではないか。仕方なく「庄助」という大衆酒場に切り替えた。
ここはまァまァの店だったが、常連客らしき隣席のハゲ教師と女職員のべたべたしたや
りとりにYがあからさまな嫌悪を示し、いまいちノれない。適当に切り上げて旅館に帰
って休んだが、日本酒の酔いと効き過ぎた暖房のため夜中は寝苦しかった。
今日は午後の4Rから買い始めた。始めは快調だったが尻すぼみのジリ貧模様。ついに
決勝レースを残すのみとなった。懐は冷えたまま。ままよとばかりピンピンの鈴木誠を嫌
って若い稲村から頭勝負。買い目本線は稲村→鈴木の筋違い。山陰の日がかげり薄ら寒く
なったスタンドでレースを観戦していると、ジャン前から踏み上げた稲村がバックでまく
って4コーナー先頭。直線外から鈴木が猛追したが稲村はこらえて1着ゴール。筋の尾崎
を鈴木が差して2着を確保した。骨折から再起して記念を制覇した稲村はゴールを過ぎて
嬉しそうに手を振りながらファンの拍手に応えている。俺にもうれしい勝利だ。15倍も
つけたからトータルで2万ばかりの浮きだ。これで今晩の飲代は出るし、もう言うことな
し。力ある若者こそは信ずべき相手也、と言っておこう(うぉッほん)。
3/2(水)
最悪。深夜酔って暴れるYをやっとこのことで寝かしつけ、ホッと一息、さて俺も休
もうかと思った矢先、枕元の、畳の繋ぎ目に沿って蛇のように伸びた浴衣の帯紐に足をと
られた。ヤバイと思った瞬間、もう右足は変てこりんに捻れてその場に転倒していた。
痛ッと思ったら悪酔いも全部ぶっ飛び、捩った脛の辺を調べると中途から奇怪な具合に
ひん曲がっている。誰が見たって捻挫なんかじゃなく、明白な骨折だとわかる。
「おいッ、骨が折れたッ」と叫んで熟睡中のYを叩き起こしたら「うそッ」と寝呆け顔
してよろよろと起き上がってきたが、よろけた弾みに骨折部分の真上に転がりやがった。
「痛い!」と絶叫する俺の悲鳴を聞いてようやっと目を覚まし、これは異常事態だと察知
したらしく忽ち素面に戻り、以後はてきぱきと手順を踏み、宿の主人を起こし救急車を呼
び、俺を担架に乗せて、市の北部に位置する救急病院に担ぎ込んだ。
そこでレントゲンを撮った後、応急措置の添え木で固定したまま眠れぬ一晩を明かす。
ほんとに一睡だにできず、溲瓶を使う度に段違いベッドに眠っているYを起こして煩
わせる始末。病室内の対面のベッドには一人老人が寝ているようだ。他の2組のベッドは
空いている。足が折れた興奮のせいか、欲情が熾んに昂り、やりたくて仕方ない。
翌朝、市内の病院に移すといわれたが手術は確実。こんな遠方に長期入院したら、今ま
で辛うじて均ってきたバランスなど簡単に崩れ去り、生活は崩壊してしまうだろう(経済
的にも世間的にも精神的にも)。それでタクシーを雇って東京に戻って入院することに決
定した。それにしてもこの救急病院はいい加減な病院で、車椅子はおろか松葉杖すら常備
しておらず、トイレに行こうにも困難を窮める。こちらは当然保険証など持参していない
から全額を支払わされた上に、帰る際に宿直の医者から「なんならケンケンして帰れば」
などと暴言を吐かれた。憤慨、悶死せんばかりの思いを味わう。
Yが何とか市内からチャーターして来たタクシーに乗り込み、東京まで3時間余高速
道路をぶっ飛ばし、ほうほうの態で十条のマンションに辿り着いた。
洋傘を杖の代わりにして這うようにして部屋まで行き、椅子に腰掛けたらやっと人心地
がついた(玄関に車を横付けしたらスナック「あや」のママが店から出て来た。変なときには必ず
といってよい程常に出会う)。仕事先に電話し、近くの岸病院からYが借りてきた車椅
子に乗せられて診察後、直ちに入院。二階の奥の大部屋で二人付きの付添さんを頼み、今
は折った個所に氷の袋を当てて横たわっている(まだ24時間も経過していないのだ)。
救急病院代3万、タクシー代4万。競輪の浮きなどふっ飛び、今後どれくらい掛かるか
知れたものではない。当然、3月、4月の授業も不可能。何というていたらくだ!
3/3(木)
この部屋には6、7人は収容できるが、狭いベッドに寝かされ寿司詰め状態である。
付き添いのMさんは、盲目のNさんと俺の二人を世話する。Nさんは夜中はずっ
と起きていて、排尿のたびに付き添いさんを起こす。24時間看護は大変な仕事だ。
俺は患部を固定したまま動けないから排便もベッド上でしなければならぬ。見回したと
ころそういう患者は他にはいない。ブリキのお丸の中にうんこをするためには意識の大変
革が必要になる。まずおならが連発され(これはまァよい)、又この数年来の軟便状態を
クリアして出たとき散乱したものが敷布を汚さぬように注意しなければとか余計なことを
考え、普段なら密室で済ませるべき行為をいくら病室とは言えこんなパブリックな空間で
やらねばならぬことに非常に羞恥心を掻き立てられ、酷い屈辱感に虐まれるのだった。
小便の方は初日よりは緊張したが、出ることは出る。大便は腹が張ってが全く出ない。
Yが現れた午後4時頃、出ない大小を抱えて油汗たらたら。とうとう大便は出ず了い。
屈辱を乗り越えるのは辛い。優しいYに感謝。
3/4(金)
生涯の恥について。夜中じゅう(pm9時〜am3時)眠れぬままにあの事を考える。
あの事がオレの生き方を決定した。あの事は性の妄想に拘っている。青年の心を地獄に
して占領し続ける性の妄想……。
昔、Aが山で遭難したとき運び込まれた病院へ、四国の高松からAの母親が看護す
るために到来し、請われるままに尿の始末をしているのを目撃した。母親が息子のペニス
の包皮に残った尿の雫を拭くのをみて驚愕したのだった(内心、オレは絶対ああいう目に
会うまい、と誓ったのだが……)。
或いはMが教え子のアツシと腕相撲して右腕を骨折し、担ぎ込まれた病院で、困難な姿勢でひょー
きんな声を出しながら母親の前でうんこしようとしていた。オレは病室から外に出て、羞
恥ということについて考えた。そういう立場に今のオレは立たされている……。
岸病院が系列に入っている日本医科大の多摩永山病院に転院して、そこで手術すること
に決定。担当の成形外科医M先生(若いが丁寧に説明してくれる感じのよい医者)が
所属する病院である。先生に駈け込み訴えして、ギブスのままトイレで用足ししてよいと
の許可を得た。5時過ぎ、仮ギブスを巻き終え、早速車椅子を使ってトイレへ。2度出か
けて遂に大便が出た。便座に座って、その姿勢にやっと人心地を得た。これでスッキリし
た気分になり、ようやく連歌の返事を書く気になったものだ。
3/5(土)
この病院の看護婦はしっかりしている。見ると聞くとは大違い、噂とは正反対の内実に
驚き感謝している。24時間付き添いのMさんは神様のような人だ(50才ぐらい)。
オレの他にもう一人、1年前に失明し最近心臓発作を併発して入院した60才ぐらいの
Nさんを看護している。付き添いさんは朝5時半起床、湯を沸かして熱いタオルで患
者の身体拭きをすることが一日の最初の仕事である(オレはあれが恥ずかしい。Mさん
は淡々とワンオブゼムのように処理してくれるが…)。Nさんは失明後の絶望感を自
ら「死んだも同然の扱いになるんだよ、保険会社は皆そう考えるんだ」と言って嘆いた。
Nさんは夜中眠れぬままに時間を告げる腕時計のポッチをしょっちゅう押し続け、
夜明けまでの時間を確かめる。そのメカニックボイスによって不眠のオレも、深夜の時刻
の経過を知ることができるのだった。(Nさん曰く「昼も夜も、僕には同じように真
っ暗だからいつ寝たらいいのか分からないんだよ」。夜中に時計と会話するなんて実にも
の悲しい)
2階の主任看護婦はKさんという人で、きびきびと厳しく命令を下す。その配下の看
護婦さんはよく訓練されていて、誠心誠意よく患者のことを配慮し、心のこもった言葉を
掛けてくれる。太めで声が可愛いIさんは毎朝、大部屋の患者の銘々に気の効いた言葉
をかけながら体調を尋ね歩く。オレも昨夜零時前、ギブスの包帯がきついので緩めてほし
い、と頼んで彼女を煩わせた。寝込みを起こされてイライラしながら「もう、きっと来る
と思ったわ」などと文句を言いながら、それでもてきぱきと適切な処置してくれたのは感
謝感謝(患者は卑屈になるものである)。この部屋には主任のKさんのご主人が、交通
事故による下半身複雑骨折のリハビリのため長期入院していて、なにかと骨折後輩のオレ
にアドバイスをくれる。「トイレは一日の仕事」という先輩の言葉が身に沁みた。
情けなや手足もがれて弥生来たる(暑月師匠への挨拶)
3/6(日)
相変わらず、排便が難事。大学病院での寝た切り生活はどうしよう?
今は車椅子があって救われた。後は前々からの心配事(軟便。2年ぐらい下痢が続いて
いること。直腸の切れ痔、又はもしかしたら癌か?)が「おまる」とどう折り合うか?
「あれ」についてはもう観念して昨日Yに永い告白文を書いた。書いている最中、或る
種の涙が湧いてきて仕方がなかった(真情吐露の、或いは深層に沈んでいた屈辱感の、或
いは自己憐憫の涙?或いはYへの虫のいい愛情と依存?)。ということは、この状態は
確かに我が心の危機に違いなく、それを凌ぐためにはメタフィジク(又は詩)が必要不可
欠なのだが、そういう平静な心の状態になるのは排便を済ませてからのことだ。
かくも人間は形而下の存在であること!
丁度テレビ東京の土曜競馬実況が始まって、9Rが発走というときに妹のJが来た。2月
末日に大阪の取引で取り込み詐欺にやられたとまくしたてた。派手な格好と珍奇な話題に
病室の雰囲気が少し変わったようだ。やられた金額は五百万ほど。旦那のS君が入院す
る直前に草津へ逃避行したことなどしゃべった後、「実は今度お兄ちゃんが入院する日野
の病院は遠いから、O君(同窓の医者)に頼んで近場のいい先生を紹介してもらうこと
に決めた。そうすればYさんも助かるし…」と言い出した。「Yは?」と訊くと「そ
れはもう大喜びだった」と答えたので、Yがいいならそれでもいいか、と思い「それで
どこの病院?」と尋ねたら「今日は土曜日だから知り合いの先生がつかまらないので、月
曜になったら分かる」「じゃァ俺は2日間宙ぶらりんの気持ちで待っているのか?」「早
く治るんだからいいでしょ」。話は有り難いが、それならもっと早くに言ってくれ。決め
たなんて強引な奴。日野まで車で運んでくれるだけで有り難いと思っていたんだから…。
そうすればオレも一旦集中した気持ちをほぐさにゃならぬ。一先ずOKすると「それじ
ゃ、一寸Yさんのところへ行くわ」とマンションに戻って行ったが、オレは思案投げ首
の態。Mさんも言外にこの変更はよくないような言いぶりである。リハビリはこちらの
病院でやる訳だし、日野に通ってくるYの手間だけがオレの気掛かり。
で、再び二人を呼んで、Jの話をキャンセルするとJの奴、目を吊り上げて「何と
いう頑固者なの!あたし帰るッ」「運転はOKだな」「あたしで嫌ならタクシーでも何で
も自分で勝手に行けばいいでしょ。こんなに心配してやっているのにッ」「そりゃ有り難
いが、手術は俺が受けるんだぜ」
と言う訳でJの親切はオジャンになり、JとしてはS君の逃避行キャンセルに続けて二度
までも友人のO君に迷惑を掛けたことを気にしているらしい。全く人の気持ちが分からぬ
女だ(Y曰く、オレも同じなのだそうだ)。
Yは仲に立ってひっそりと気配を消している。Jが怒って帰ったあと
「あたしはどちらでもいい。日野がイヤって訳じゃなくて、治ってくれたらいいの」と泣
かせることを言った。そんな一悶着があったJのお見舞いだった。
隣のベッドに今春卒業の高3の男の子が入院していて、髪が長くて太目の彼女が毎日見
舞いにくる。夜の8時までべったりくっついていて、仕切りのカーテン越しにいちゃつい
ている気配が伝わってくる。キスはおろかヘビィペッティングまがいのことまで確実にや
っているのが息の殺し具合で分かる。傍で聞いていて切迫感があり結構感じるものだ。
夜やっと熟睡できた。鼾を盛大にかいていた、とMさんが言っていた。今朝はトイレ
で便が出たのがうれしい。
3/7(月)
朝、多摩の病院まで運んでくれるJの車を待っている。車椅子で排便を済ませたが、
向こうに着いたらベッド上の用足しに意識を集中せねばならぬ。
昨夕、Yが「かわなみ」から関サバ、トロ、ウニ、シマアジ等の握りを買って来てく
れた。「かわなみ」の主人はクリちゃんからオレの骨折のことを聞かされていたので、す
ぐに握ってくれたらしい。暫く旨いものの食い納めであるのだ。
耳の残っているのは美空ひばりの「お祭りマンボ」の一節 「おかめとひょっとこが般
若と鬼が………そぉれそれそれお祭りだァ。財布なくしたおばさんと家を焼かれたおじさ
んが……………後の祭〜りよォ」のメロディと歌詞の断片。又は八代亜紀の唄「こころの
ォ地獄をさ〜まよいながらァ」など。
一先ず岸病院を離れ、多摩丘陵にある日本医大多摩永山病院へ転院。(朝11時出発、
1時間半で到着)。Jは運転がうまくなった。入院手続きと各種検査を終え、B棟3階
の病室へ。ベッドが広くて、窓際だから眺望が佳い。
夕方5時、M先生の牽引措置。足のかかとに横からハリガネを通して重りを付けてひ
っぱる措置だ。折れた部分の筋肉の癒着を防ぐため(それと手術できるように脹れが引く
のを待つ)。ハリガネが骨を貫通するときが痛かった。今は何とか落ち着きの場を得て、
一山越した気分である。(あとは排便のことだけ)
入院の真実(日医・多摩永山病院へ転院、手術後の日録短歌など)
3/10(金)
起き臥しの自由ならざる暁の寝息の中に尿(しと)するあはれ
さりながら管(チューブ)の如き人間の意識はアヌスと一体にして
幾重にも心の古層を掘つてゐたら涙湧き出づる岩盤はありぬ
匿しおくもの顕はると聖言にあるを思へり眠れぬ夜は
よはりたる心に映る弥生ぞら見つゝ想へり遥かな孤独
少年の業苦の刻にさも耐へて忘れゐしまゝのものを見よとや
家畜以下に貶められし生を享けど目の澄みに映る神もあらなむ
たゞ餓ゑて力よはりて死を待てどその目に宿る神もあらむか
快適な看護を享けて人畜の収容所を思へりかくも痴(をこ)なれば
〜
霞んだやうな晝の空みておもふかな「下部構造は上部構造を決定す」
肉体の一切が意識といふことをゐ寝たるまゝに思ひ続けたり
糞蟲の豪奢な甲殻(よろひ) なべて世の不浄は燦然と美を競へり
やはらかき肉を纏へる人間に剛直なるは唯に意志のみ
多摩の春かすむが如き丘陵を横にながめてほうと息する
3/15(火)
暗雲のおほふ春まだ浅き地に横たはりつゝ待つ日々のあり
にんげんの身体といふはたは易き機械なるにや思ひのまゝなる
痛み即ち其処に激せり脳中の部位の知覚に依るにはあらず
管のやうな生体にして本性の羞恥の念はありやあらずや
3/18(金)
ゐざり車といへばさも言へ車椅子我をば乗せて思ひのまゝ也
一晩を喚き散らして我が眠りを奪へど昼は安らかに老人
大多数の安眠を奪ひ叫ぶ者よ死んでしまへと夜の声する
かくの如き呻きの声を夜々聞きて斎藤茂吉はかの人となれり
やゝ眠く弥生の午後の野辺をみる光のどけく我を離るゝ
3/21(月)
(朝のお散歩をする青柳爺さんと付添い看護婦の会話)
看「この帚で青柳さんのベッド、お掃除しようね」
ア「するよォ。これでヤキトリ作るの?」
看「こんなんじゃ作れないわよ……」
ア「いやァ、作れるよ。
(窓から外を見たらしく)あ、あそこで餅搗きしてる」
看「どこォ?」
ア「出初め式の餅搗き……」
看「出初め式って、もう終わったでしょ。今は三月よ。さァ青柳さん、
お掃除しよ」
ア「おたくの部屋を掃除してあげるよ」
看「………」
3/24(木)
(和して歌う心、出で来たりぬ)
直ぐそこの郵便ポストへ行かむとすされども遠し跛の我は
容易な行為と思へどはるかなり車椅子にて呆たる我には
スケボーの如くに車椅子を操ると我が妻は驚き我に教へし
三月はかくて過ぎけり我が生の検証に足る時間にはあらざれど
崩れたる心の底に露呈せし印刻されし日々の我はも
「母ちゃんはもの言はぬけど化物だ。日本棋院より凄い」といへり
(藤沢秀行、TVドキュメントの言)
3/28(木)
(あのヨォヨォ爺さんの青柳さんが転院して、束の間の平安を得たこの
三階整形病棟はやや気が抜けたようになった。それに三月はちょうど年
度の変わり目とあって、馴染みになった看護婦さん達も何人か辞めてし
まった。男の子たちは異性としての彼女たちに非常に関心を持つ。だが
経過が良ければすぐ退院するというのが大学病院の規則だから、彼らが
秘かに望んだとて患者対看護婦以上の関係にはなかなか発展しがたいよ
うである)
さくら咲かぬ三月末の丘陵は薄ぼんやりと曇る空かな
分業しメカニズムを駆使して治す者よ治らぬ世界があるとこそ知れ
医者よりも技術者として見るならばこの体制も少しは判る
人間はよく故障する機械にて修繕すれば治ると思ふや
例へば免疫機構に関はる出来事はいかに意を尽くすとも治す能はず
再入院記について
その一年後の、金属棒を取り出すための入院です。前年とちがい、予定が立つ入院なので余裕がありました。
この95年は1月17日に神戸の大震災が発生した年です。三月になって私が無事退院でき、ある日ふらふらと
松葉杖のまま出かけて一晩泊まり歩いた翌朝、東横線の駅にいくと、地下鉄が動いていない、という情報が流れていました。
奇妙にのっぺりした空気がまとわりついて「地下鉄で毒ガステロがあったらしい」とかいうひそひそ話が漏れる山手線でや
っとさ帰宅すると、連れ合いYが青い顔をして待っていました。まだ、ケータイなどもたない頃の話ですし、私の安否を
朝からずっと心臓ばくばく状態で待っていたと...
この、3月20日オーム地下鉄サリンの朝のことは、個人的入院体験と深く結びついて記憶されています。
(入院記そのものは、大冊の書物の読書録みたいなもので、お気楽なものです...)
2/14(火)小雨。
枯原ノ雨病院ヘ直行ス
純なれと一行ごとの祈りかな
春の雨丘の駅舎のうへの空
2/16(木)
8時過ぎ手術室入り。麻酔。
9時半手術開始。その前半は意識なし(L.Wは胆嚢手術の際鏡を使って自らの手術を
見たそうである。毛沢東は歯医者ですら外科的措置を嫌がった)。後半は金属の支柱を抜
き出すときカンカンと叩く音などが聞こえた。11時過ぎ終了。
〜
病室に戻って今日一日はベッドに寝たままである。排尿は溲瓶を使うが出ない。点滴し
ながら不自然な姿勢で排尿しようとしたが全く出ない(尿意はある。膀晄も張っている)
洋子が来た午後4時過ぎ、禁を破って車椅子に乗り強引にトイレへ。そこでたっぷり放
尿した。去年のことを無意識は覚えていて心因性の拒否反応となって現れたのであろう。
2/18(土)
隣のベッドに手首を骨折した少年(中2)が入院。この子の呟き癖に入院期間中ずっと
悩まされることになった。とにかく見たことそのままを口に出してしゃべるわけで誰かが
関心を示すとその人の傍へいく。そして一方的に自分のことをしゃべり、相手の反応には
耳を貸さずすっと引き下がる。どうも発語と内声の区別が壊れている心の病のようだ。
(自分を迂回する言葉にイラつくのは、人間=ホモ・パロールの証明であるか?言葉から
疎外された…それは全く耐え難いことだ、と人は感じるのであろう)
2/19(日)
「毛沢東の私生活」…長大な歴史と広大な領土を持つ中国のような国家を統一支配する人
物には、必然的に民族のプロトタイプが作用する。毛沢東という個人が自らを史上の皇帝
と同一視し、その残虐非道をも必須の資質として共産中国建国の事業へと邁進した。その
過程でおよそ歴史上発生したあらゆる種類の災禍がもたらされた。この書物はそういった
もの凄いプロトタイプの人物のリアルな日常を記した貴重な文書である。
著者の気高い精神と使命感に衷心からなる賛辞を捧げたい。
〜
苛烈なる戦場へ往きて戦士らは"Poor Hitler has no balls"と叫びたり
少年が自ら負へぬ苦悩をば負ふとき独り言を洩らさんか
この丘に見渡す限り建物の立つは此ノ世の外の如し
2/20(月)晴
フォアマンの語る復活の為の20年は、衝撃的だった。
それはあまりにも見事に宗教のメタファーを語っている。そのことを自らの生(精神的
身体的現実的)に刻印して成就したことが感動的だった。
それは自分自身の20年の検証を強いる。
あの歴史的なキンシャサの一戦をTVで見て、全く勝ち目のなかったムハメド・アリの8ラウンド
KO勝を見た渋谷のガード下の喫茶店。そのTVの前にいた24才の自分が、いまの自分へと
変貌したプロセスを客観視することを強いるのである。
〜
「毛沢東の私生活」で知り得た毛の古代的センス(或いは農民的無知、又は謀略と独裁の
魔etc…)
隣床に眠り続ける萎れたような少年の身体の異変がもたらした魂の破壊…
じっと横たわっていても知ることは沢山ある。
〜
美輪明宏が家について面白いことを言っていた。彼は次に住む家の改修が完了するまで
はその周辺へは近寄らない。前の住民の’気’が抜けるまで待って入居した方が良い、と
このように語っていた。
子供は親の気をまとう。それは当然のことだ。親の支配する場で生育する以外、子供の
生き延びる術はない。(だからその対偶命題として、みなし児が突然変異のようにヒーロ
ーへ化けるという稀なケースが生じるのである)
子供はその環境の一切を背負う。仕方あるまい。そしてその環境に由来する或る型が、
子供の魂にとり憑きそれを乗っ取ってしまうのだ…
2/21(火)晴
如月のマンション富士の嶺越しに
富士見ゆる空に雲ゐて晴れ晴れと
影冴えて風を忘れし二月の木
2/22(水)快晴
言魂をふくまぬ言葉多摩タウン
生命無く動くものを天に地に求めコトバを一人垂らす少年
〜
この少年のコトバの無機性はホモ・パロールの本質を刳っている。
少年の母親も少年と同じく生気に欠けた物言いをし、少年を看病するときはまるで他人
に接するかのように事務的な態度をとるのだが、そのような母親でさえベッドのそばに座って
母の存在を示し、それによって少年がいまここに母親がいると感じられたとき、そのとき初めて、
少年はわれわれ他人を苛立たせる垂れ流しの独り言を止める。
愛情の飢渇!この少年の発するコトバは感情を欠いているのだった。
彼は、TVであれ視界の中であれ、目に映った物をただコトバへ移し代えるだけの機能
に頼って、誰に言うともなく不毛のコトバを呟き続ける。
少年のコトバから感情のニュアンスが消失している。
思うに、彼のコトバは母親への(愛情の隙を見せない母への)切なる訴えであった筈な
のに、どういう経緯だか知らね、今やそのコトバは他人の耳にはふつうの感情の空蝉のよ
うに響くのだった。
受けとめることを知らずに生きてゐる十三才の呟きやまず
〜
「毛沢東の私生活(上)」読了。
結果的には毛は自分の最側近として清廉潔白な人物を択んだということだ。
筆者はまさしく政治からいちばん遠い卑小な立場にあったればこそ、彼の目に真実の毛
沢東の姿が明らかになったのだ。
2/23(木)晴
「ウィトゲンシュタイン・1」の方は、Wがオーストリア僻地での小学教師生活に見切り
をつけた時期まで読み進めた。「トラクタトス」へと結晶した生の哲学の理解者を求めて
彷徨するプロセスと一致している。(誰か一人でも理解者が欲しい。それは「論考」後哲
学を捨てたWが依然必要としたことである)
結局生涯を通じてWが欲したのは自分へ捧げられた「愛」であった。友人のピンセント
もエンゲルマンもそのような人間だった。(当然ラッセルは違ったタイプだ。RはWの師
ではあるが、邪悪な世界に住んでいるとWには思われた)
この本を読んで意外だったことは、Wが女性に恋して性交渉もあったらしい、という事
実である。(つまりホモではなくバイセクシャルな性向の持ち主だったらしい)
2/24(金)
(Wの伝記を読んで、25、6才の頃のことをぼんやりと思う)
見透し(durchsehen)といふ存念を喋々せし浅野隆志は何処にゐるのか
達磨面壁に焦れつつ自己より噴射する言葉によろけ暁の道
火葬場の丘の上なる夜の苑尺八を聞く何たる音色
完徹の明るむ路地を二人してあたたかき玄米パンを噛ぢりつつ行く
托鉢終へ尋常ならざる精悍な面貌なりしかど持続は適はじ
ジプシー大森ローズ伊東と揶揄したる先輩連は大学教授となれり
〜
(Wの名はラッセルの自伝ではじめてそれを知った。友人Miの本だったと記憶する。
RはWの死後も延々と長生きして世界的な名士となり、かって自分の弟子であった天才
哲学者のことを悠々と回想しつつこの本をものしたのだが、それはある種英国風のイロニ
ーをまじえて描かれた少し歪んだ肖像だったと今にして思う)
日本を離れんとして術なくて宗教団体の合宿所へ行きぬ
狂的な男がゐたり深夜二人あざけりあひて印を結びぬ
数学はわがことに非ず哲学は憧れの向かう火を吐く言葉
わが性の衆になじまぬ苦しさは逃場もとめて右往左往したりき
「数学の基礎」といへども根源に触れないソフィスティケートの魔物
精神を病む人こそは哲学に依拠すべし我は宙吊りにして
ほんたうのこゝろは詩作にあらはるとされど汝の稚拙なる詩句よ
蒼ざめて影のやうに書物の周辺を彷徨したりき血肉とはならぬ
赤々と終夜ストーブを炎やしつつ研究室に過ごす日々あり
〜
(代々木上原には高柳重信の寓居があった。ある晩小田急線の電車に乗ったとき、たぶん
重信邸からの帰途であろう吉岡実を見かけた。大きな眼、真っ白な髪…)
白晰といふべき詩人と乗り合はす詩人のオーラは其処に顕ちたり
「論理形式は表記できない」といふ文の意味すら不明の者にてありき
意味(Sinn)と意義(Bedeutung) その相違をば力説す されども汝の難題は何?
「沈黙」と「不立文字」に触れつつも饒舌といふ天の邪鬼の罠
2/25(土)
老いたらば紅不動も富士とならむ
〜
告白の儀式といふは奇妙なるパーソナリティの破棄の賜もの
「末は何処かで野たれ死にせん」バカらしき希望を述べる偽善の徒らよ
同一性(アイデンティティ)を遺伝子レベルで論ずとき思念の自己は何処にかあらむ
ゲーデルの論証こそは数学の誉れなり真の論理にはあらず
「メタ・ロジックはない」といふ断言は決め手なりリアルな「世界」を超ゆる
〜
「女とは?」言葉を交はすこともなく薄き空気の中を生きたり
(市川の塾で仕事を終え総武線で戻るとき荒川を越える。河岸にはずらりと水銀灯がつら
なり、それはこの世ならざる情景に思われた)
寂寥をやしなひ乍ら越える橋ふたたび戻る夜の東京
市川の真間の手児奈の堂の池に小さき亀はうじゃうじゃとゐき
竹薮の小道は痴漢が出るならし教師の皮をかぶつた狸
日盛りの夾竹桃の踏切を越えて何処まで永遠の氷屋へ
2/26(日)
朝から雪が降り続いている。積もりそうな雪だ。競馬はとり止め。
(昭和11年の2月26日は大雪の動乱だった。すでに半世紀以上の時間が経過している
ことに突然気が付いた)
動乱の春のさかりに見し花ほどすさまじきものは無かりしごとし 斎藤 史
2/27(月)
「思考の自殺」をキイワードのやうに唱へつつまこと燃え上がる迷ひの中を
この国の秩序の外に生きたしとただそれのみの悲願は業か
〜
隣の蛭子少年の発するカン高いメカニックなコトバはたまらない暴力だ。この子は親の
愛情からまったく遠いところで生き、感情の欠けたコトバを獲得した。それが少年の垂れ
流しのコトバの意味である。この少年を避けるため、あちらこちらへ避難の連続だ!
2/28(火)
如月やくれなゐ不動富士に映ゆ
〜
予定の大冊は両著とも八割方は読み終えた。様々な感想がある。
「毛沢東の私生活」
パラノイアが高じた独裁者は著者のような非政治的人間さえも自分のパラノイア世界へ
と引きずり込んで了う。著者は医者として新生中国に尽くすことを願いながら、結局毛沢
東個人に仕えることで生涯の大半を過ごしてしまった。(パラノイアは独裁者であるため
の必要条件のひとつだろう)
毛のパーソナリティはこの本のおかげで非常によく分かったが、毛の思想の本質は結局
不明のままである。それは権力の秘密にまつわる謎であろう。(魔的な言葉!)
中国共産党の支配とは毛沢東の絶対専制であり、国家の誕生から毛の死に至るまで終始
一貫(あの無残な文化大革命すら)それは毛の権力渇望の表現であった、ということに納
得がいった。そしてあれほど無慈悲に自国民を死に追い遣りながらスターリンとは違う歴
史的評価を今も受けているというのが毛の魅力を証明している。毛は巨大な中国史の20
世紀における体現者だったのである。
〜
「ウィトゲンシュタイン」について。
「論理哲学論考」が第一次大戦中、「哲学探求」は第二次大戦のさ中に成立したというこ
と。すなわちこの両著作ともニーチェのいう全き「危機の書」である、ということはよく
了解された。
LWのセクシュアリティの真実が分かったということ。
肉欲に駆られて夜の公園を彷う殺人鬼のようなイメージが払拭された。
(このイメージはコリン・ウィルソンが流布したものである)
「もしFが死んだら私は浄化されて本来の者になるだろう。そうすれば私自身の[愚劣な
行為]は私の内部から排除されるに違いない」(これがWの罪の意識の一例)
「LWが魅了された哲学的独我論と、後期の著作に頻出する独我論の否定(つまり蝿取り
壷から蝿を逃がす企て)は、LWのロマンスが感情の独我論から導かれたということに丁
度対応している」(本文p480)
現代数学的手法に立ち向かうドン・キホーテとしてのLW。
集合論には二方向ある。トポロジーの分野は豊かに発展した。基礎論は行き詰まってし
まった。それは無限論の不毛性に由来している。結局連続体仮説の独立というゲーデル・
コーヘンの証明によって、その学の頂上は征服されてしまったのだ。
LWは無限は表記できない(シンボルにならない)と主張している。彼は数学の記号化
にある意味で楯ついているのだ。彼の数学批判が現代数学ではなく藜明期の数学に(より
一層)当てはまる、というのは哲学として非常に本質的ということだ。
〜
この少年は幼児の泣き声や叫び声に対して異常に神経を昂ぶらせ「うるさい。出て行っ
てくれ」と要求するが、他人に対してそれらの幼児とそっくり同じ行動を繰り返している
ことに少年自身は気付いてすらいない。
蛭子往きて安堵の吐息洩るゝらん
(明日退院するらしい。ほんとに締め殺してやろうと思ったぜ)
〜
トルストイ「クロイツェル・ソナタ」20年ぶりの再読。
情慾の説はかつて驚いたほど驚くべきものには非ず。この白樺派の聖典もさすがに古び
てしまったようだ。ただし心中の妄想さらにその妄想が昂じた嫉妬に駆られてバイオリニ
ストと密会中の妻を殺害するシーンは迫真。さすが、ロシアの大文豪だ。(先頃、筑波で
妻子を殺害し東京湾に捨てた医師の心中をチラッと想像した)
3/1(水)朝、雪
今朝もまた雪となりぬる不可思議な一年を経て三千世界(みちあふち)へ
(釈迢空についてその旅の足跡を読む)
屋根のあるものみな雪をかぶりたり東京ははや幻のなか
いつまでも聖痕(スティグマ) のやうに身に捺され昭和動乱くれなゐの雪
〜
去年の今夜骨折した。今朝見ると松葉杖の片方のクッションゴムが外れていた。一年過
ぎた因縁の如し。
王将戦第5局は谷川制勝。羽生の7冠制覇へ待ったをかけた。カド番の羽生、やや苦し
くなったか?(後手矢倉で先攻して谷川完勝す)
3/2(木)晴
春の雪降り乱るるに丘陵に隠れし富士は顕つ幻と
〜
独我論はLWではないが、間違っているのは必定。といってユング流の集合的無意識の
説も大風呂敷に過ぎよう。
「私が今在るところから神の信仰へ至る道ははるかに遠い。
歓喜に満ちた希望、絶望的な恐怖、この両者は対立しながら相互に密接な結び付きをも
ちしかも相互に限界付けられているのだ」
(このWの述懐は、信仰喪失者・折口信夫の深い自覚となんと似ていることか!)
〜
計画的読書はあらかた完了。「毛沢東の私生活(下)」も昨日読了。
独裁者の政治的身体は、彼の排尿量が多い少ないなんてことすら異常な政治的(陰謀)
混乱の原因になる、等等のことがよく分かった。
彼の政治的身体は中国民衆の知恵(又は無知)の上に構築され、毛自身は殆どすべての
医療行為を(それが西洋医学的であれ漢方的であれ)嫌っていたというのが面白い。
(道教的思想の体現者は唯物論の信奉者であった。風土の魔、正真正銘の魔…)
「ウィトゲンシュタイン2」も9割方読み進めた。
これは又すべて哲学的身体と化した人物の物語、まさしく実存的に20世紀前半を生き
た哲学者の生の検証である。非常にバランスの均れた好著(訳のひどさは救いがたい)。
〜
男の患者として看護婦はチャーミングに見える。実際彼女たちの仕事は患者の生理的諸
行為の後始末ないしは医療のルーティン処置を行うに過ぎないのだが、若い娘が巧みな措
置と思いやりを示してくれるとうれしく感じるのは事実だ。(相手が男の医者又は看護士
だとなかなかそうは参らぬ)
だが彼女たちがナースの制服を脱いで年相応の娘に戻り街中へまぎれたとき、彼女たち
を追跡する術はもうない。
シンディローパー魔女に代はりて歌ふかなあまりにそれらしき老婆がゆくに
毛沢東周恩来の死ぬる年地震(なゐ)ふるひ天地はおらびをあげん
(現在に至っても中国民衆が崇拝するのは毛沢東であってケ小平ではない。毛沢東こそ
は天に択ばれし者であり、結局他の誰も優れた政治家以上の者ではなかった)
〜
この半月の入院生活は手術とその予後ということは別にして、病院内の現実的関係はひ
たすら軽く扱い、書物をとおして生の時間を過ごしたという実感をもつ。
だが、そういう姿勢は作品を生まない。(詩歌は生彩を欠いているのだ)
アリ対フォアマン戦以後に自分が送った生の検証は出来なかった。
哲学へ切り替えた3年間の諸事件を想起することも適わなかった。
(それは私にとって本当に大切なことだ。だが、この時期をそんなに後生大事なものと考え
たら、それは甘ったるいナルチシズムにすぎない。いま生み出すことができるもの、それこそが
真に大切なものなのだ)
背後からTVをみれば瞬間に闇をいろどる幻術の如
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