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どんちゃいるど不思議な夜

深夜のオフィス街に妖しく開店するどん・ちゃいると゜

入り口に店主の愛車が…



こんな事態になった以上、もうすべて、洗いざらい、あの店のことを
明かさなければ、私は無だ。無以外の何者でもなくなるだろう。
だから、ほとんど現実を超えて、夜ごと繰り広げられた寓話めいた出
来事を、ここにはっきり書き残しておかなければ浮かばれない、と弱っ
た心に誓ったのです。
誰でも本気で自分の過去を想起したとき、あれはいったい何ごとじゃ
と思われるようなことが、必ずや一ヶか二ヶ(たとえあなたがまだ小さ
い子供であっても)、絶対に存在するはずでしょう。
それは私は断言できます。私も、目が破壊される前に、何とかこの店
のまぼろし以上の実在人物だけは、そこに生きた者の一人として伝承し
ておきたい。それが、いちばん切実なこの作品の動機なのです。

あれは、そう、もう十年以上も昔の或る秋の夜のことだった。
夜の塾の仕事を終え、帰路いつもその店の前を素通りする日々が続い
たあと、私はとうとう意を決してその店の扉を開けてみたのです。
すると、狭いカウンターだけの店内は、客一人見当らず、カウンター
の内に酔っぱらった小太りのタヌキのような男が坐ったまま、闖入者の
私をじっと見ておりました。
そして開口一番、
「もう、終わったよ……」
とわめいたのです。
「………?」
いちげんの客にこんなぶしつけな言葉を投げつけたあと、その酔いど
れは、もう帰れ、といわんばかりに私の方を盻んでおります。
「いや、あの、毎晩前を通り過ぎるとき、外から見ると酒場みたいで楽
しそうだから……」
そうしどろもどろに言い澱んでいると、くだんのタヌキは、
「で、君はチュウカクか、それともカクマルなのか?
どっちなんだッ」
と、答えに窮するようなまぬけな質問をぶつけてきた。
「どっちでもないですよ。
僕はここが面白そうな店だ、と思ったもんで…」
「そういう言い方が日和見主義者のカクマル流じゃないかッ。
ぼくの店を潰すために来たんだろう」
初対面の人間に向かって失礼千万な、信じられない類のいちゃもんだ
と思いましたが、タヌキそっくりの風態から発せられるその言い草には
どこやら憎めないユーモアが感じられたので、一瞬うろたえていた私も
やや体勢を立て直し、
「そんな変ないちゃもんをつけるけど、外に看板を出してる以上、酒ぐ
らい出してくれるんでしょッ」
と反論してみた。
「それは、うちは酒場だから客には酒は出すが、君はまだ仲間じゃない
し、いまぼくは酔っぱらってるし、おまけに金曜の夜だというのに女の
子の一人も来やしない……」
と、何だか支離滅裂な返事が返ってきました。
「ま、とりあえずビールを一本、下さい。
それと、ああ、そこのメニューにあるアタリメなんか、ひとつ…」
うむを言わさず注文した方が利口だと見抜き、どっちが客でどちらが
主人だか分からぬペースへ話を乗せていくと、
「うちのアタリメは北海道産だから、高いよ」
そう言いながら、ガスレンジの下に据え付けたちっぽけな冷蔵庫から
ビールを取り出し、シュポッと栓を抜くと、コップといっしょにカウンターの上に、
どん、と置きました。
「これ、お通し。ぼくの奥さんが手作りよ」
小鉢に入った煮物が出た。私はコップにビールを注ぎ、それを一口に
飲み干したあと、ほぉッと一息ついて、
「この店の看板に、踊る字体で、どんちゃいるど、って描かれていて、
それがこの場末の道端ではひじょうに洒落て目立つものですから…」
と印象を述べると、酔いどれタヌキはぱっと顔を輝やかせ、
「うちは文化的な店だから、何かひとつでも得意なものがなければ、客
は常連にはなれないの」
なんて頓狂なことをのたもうた。
「で、君の特技は何なんだね。店内を見れば分かるだろうが、どの壁に
もうちの絵描きの作品と、ポスターとが掛かっている。
仲間には登山を趣味しているグループもいる。君が何をする人かによ
って、以後ぼくらの仲間になれるかどうかが決まるんだ」
そんなこと勝手に決められてもいい迷惑というものですが、このタヌ
キ氏のしゃべり方に含まれる、いわばユーモアというのに魅かれ、
「いや、僕は学者のはしくれで…」
と、答えてみた。すると、
「何、学者?
なら、インテリなわけか。
とすると、ぼくらプロレタリアートの敵になる可能性もあるな。
今後は警戒しなければ…」
ちょっと引き加減に身体を引いて、酔眼ながら疑心暗鬼の眼差しをし
て私のことを見ています。これはまずい、と思い、
「インテリたって、フリーターの宿なし。
ギリシャ時代ならば、樽に棲むディオゲネスのようなフーテン学者に
なれれば、これは僕の理想というものですが、定職のない今の僕なんか
ほとんどルンペンみたいなもんですよ」
そうふざけて応じると、
「そうか、フリーターのルンペンね。
なら、ぼくらに近い。ぼくらの仲間は昔流に言えばルンペンプロレタ
リアがほとんどだし、都会の底辺でかろうじて生きてる若者ばかりだか
ら、君も仲間になる資格はありそうだ。
ところで君、彼女はいるのか?」
なんでこういうぶしつけな質問をいちげんの私に浴びせるのか、少々
腹が立ったが、目の前の存在はなにせタヌキの親戚みたいな奴ですし、
怒ったって仕様がないと思い直して、立腹を抑え、
「いませんよッ。
宿もないような男の所へ、まともな女なんか来るもんですか。
ちょっと考えてみればわかりそうなものだぜ」
強い口調で否認すると、くだんのタヌキは満足そうにうなずいて、
「それは残念だ。
だが、彼女がいなくてこそ、本当にぼくらの仲間になれる。
この店には、貧しい若い女の子が何人もいるが、それはカップルとし
ているのではなく、みんなという仲間意識で結び付いているんだ。
君もそういう形ならぼくらと仲間になれるし、ぼくも安心だ。
君はぼくの審査に合格した。
あとは相棒のシュウの眼鏡にかなえばよい。今後は別の日にも来て、
仲間たちとなじむようになってくれたまえ」
酒場に入って面接されたような妙な夜でしたが、これまでちと入りづ
らかった店に、今後は通ってもよいという許可をもらったらしいと了解
して、そのタヌキとの第一夜は過ぎたのでした。



どんちゃいるど愉快な夜



一 店の名は〈どんちゃ〉

昼間、その店の前を通っても、そこはビルとビルの間にある狭い隙間なものですから、
知らない人は、そこに店があることをつい見落としてしまいます。
でも、夜になり街中に過剰な明るさの光があふれ出しますと、ターミナルから大通り
に沿って二百メートルばかり歩いたところにあるその店にも、壁の二階あたりに明るい
グリーンの灯が点り、そこに浮かび上がった〈どんちゃいるど〉というネオンの文字の、
一ヶ一ヶがてんでばらばらに、悪戯っぽく右に左に踊りながら……オイラ、小っぽけな
店だけど、ちゃ〜んとここに一丁前に存在しているんだぜッ……と誇らしそうに自分の
存在を主張し始めるのです。
傍を通り過ぎるとき何となく気になって、ヌードのマーメイドの絵が貼ってある扉の
ガラス越しに店内を覗いてみましたら、狭いカウンターの上には花瓶やら氷入れやら、
その他ごたごたした小物類が散らばっているのが見えました。
そして、室内は親密で魅惑的な空気が満ち満ちているように見えるものですから、チ
ラッと見て過ぎる人も一瞬、魅了され、“一度入ってみようかな。でもなんか入りにく
い店だなァ”と思ってしまう。でも、そのとき、「エイヤッ!」の気合いもろとも扉を
開けて飛び込まず、“今度、別の夜にしよう”など躊躇したりしますと、結局その人は、
永遠に店に入りそびれてしまうのです。
だけど、そこはスナックなのですから誰が入ったって文句はない筈です。
あなたが素姓の知れない一見のお客だからといって、入る早々にケチをつけられては
迷惑千万ですよね。
ところが、ところが、この店の主人はちがうのです。
ここの主人は実に堂々と、初めての客に向かって文句を並べたてるのです。
曰く、
「君は大企業に勤めているだろう。大企業は君の人間性を破壊した筈だから、君は、僕
たち弱者の気持ちなど分からない」
又、曰く、
「君には彼女がいるのか。それじゃ、僕たちのように失恋を繰り返してきた、もてない
男の苦しみなど全然、理解できないだろう」
又、又、曰く、
「地方から出て来たくせに、君は、バス・トイレ付きマンションに住んでいるんだな。
君は金を持っているのだろう。道理で、僕らみたいに狭い家から銭湯に通い、貧しく
ても連帯することを知っている者とは違う、汗をかかない掌をしてると思ったよ」
といった調子です。
とは言え、いつもいつも、誰に対しても、こんな風に、文句をつけてる訳ではありま
せん。
例えば、フラッと女子大生などが入って来た折などは、この主人は並みのおやじ以上
に舞い上がってしまい、普段の三倍増のお通しを出すやら、ただ酒を振る舞うやらして、
あたふた、あたふたと、歓待の限りを尽くすのです。
そうして楽しい時が過ぎ、夜遅くなって、女の子が「もう帰るわ」と言い出しますと、
この人は、傍目にも恥ずかしくなるくらいあせって女の子たちを引き止め、「タクシー
代を出すからもうちょっと居てよ」と哀願に及んだりするのです。
飲み逃げして二度と来ない女の子もたくさんいましたが、初めての印象が忘れられず、
又ただ酒を飲ませてもらおう、とのこのこやって来たりした子に手のひらを返したよう
な応対をしたこともあれば、その一方で、気に入ったタイプが舞い戻ってきた場合はさ
らに双手をあげて歓迎するといった調子で、アフタ・ケアは種々様々、それはそれは自
分勝手なのです。
当然、その付けは店に回ってきます。お金を持っていそうな客は追っ払い、貧乏な若
者だけを仲間に引き込み、女の子にはただ酒を飲ませる。そうして楽しい夜が永遠に続
けばよいという姿勢を全く崩さないのですから、これで商売がうまくいったら奇跡です。
毎年、青色申告の時期になると、泡を食ったように年間売上を計算し、期限ぎりぎり
に税務署まで持っていくのですが、職員は申告書と提出者の顔を交互に、まじまじと眺
め、
「あなたねぇ、これだけ赤字を出して、よく店が続けられますね」と呆れたように言う
のが常です。
でも、こういう店ってなんだか魅力的じゃありませんか?
いくら損が重なっても、主人は続けていこうとする。それはこの人個人の単なる意地
でも惰性でもなく、なにかとてつもなく面白い浮き世離れしたものがこの店にある、そ
れを嗅覚で嗅ぎ分けるから、みんなこの店へと集まってくるのです。
そのなかで過ごす時間はまるで軽妙な魔法がかけられたみたいで、あなたの子供っぽ
い喜びや悲しみが、ときによっては拗ねたような怒りや嫉妬などが、純な笑いや涙とな
って表現されてしまうのです。
では、
店の前に立ったあなた、私が案内致しましょう。
どうぞ、店の扉を開けて下さい。

〈どんちゃいるど〉の夜へ、ようこそ!




二 ひょーたん島

「いらっしゃい!
あれッ、初めての方ですか。
内、混んでますけど、入口の席でよろしかったら、どうぞ…」
店の狭さに面くらった私に、カウンターの中にいた小太りの中年男性が、こう声をか
けました。
そして、「みんな、一ヶづつずれてよ」といいますと、カウンターに並んで飲んでい
た人たちは話を中断し、一人づつ奥の方へ席をずらしたので、入口にいちばん近いとこ
ろに一人分の席ができました。
私は恐縮しながらその席に腰掛け、ビールを注文しましたら、
「お通しは何にしますか?」
と、その小太り男性が訊くのです。
「お通しにいろいろあるのですか?」
と、逆に私の方から訊き返しますと奥の方で、アッハッハと笑う声がして、
「ここの店ではチャームが択べるんだよ」
図体のでかい熊さんみたいな男性が、こう答えました。
店に慣れない私はちょっと狼狽して、「どれでもいいです」と言いましたら、目の前
に田舎風の煮物が一皿出てきました。
「これ、僕の奥さんが作ったものなの」
澄ました顔で、小太り男性が言いましたので、私は「マスターの奥さんが……」とオ
ウム返しに返事をしかけると、
「コダマさん、マスターって柄かよ。せいぜいハムスターがいいところだぜ」
熊さんの横で飲んでいた馬面の男が、私の言葉尻を捉えてこう言いました。
「そうよ。コダマさんはこの店の奴隷ッてとこがお似合いよ」
小太り男性はコダマさんという名前のようです。そのコダマさんを奴隷、と名指しで
侮辱した女性に向かって、
「なんだ、シャチ子!
僕は貧乏人の味方だけど、奴隷よばわりされる筋合いはないぞ!
僕を奴隷というのなら、シャチ子、お前なんか大企業の単なる一部品に過ぎないじゃ
ないか。そんなの、奴隷よりず〜っと下の下だぞッ…」
「失礼ね。あたし、今の会社で誇りをもって働いているのよ。年期の入ったキャリアウ
ーマンだッて、会社の人から尊敬されてるンだから…」
「年期が入り過ぎて恐がられてるンだろ。
コミック・モーニングの『実在OL』に出てくる主任さんみたいに……」
「違うわ。あンなんじゃないわ……」
奥の方でコダマさんと、シャチ子さんという女性が罵り合っていますと、突然、店の
扉が開き、汚いマントを着た少年が飛び込んで来ました。
驚いて激論を中止し、皆、その少年の方を注目しました。すると少年は、握っていた
拳を広げ、
「これだけで飲ませてもらえますか」
と予想外の言葉を吐くではありませんか。
「いくらあるンだい」
こう訊き返したコダマさんに、ぶっきら棒な調子で少年が、
「三百五十円」と答えましたら、
「それじゃ、ビール代にもならない」
コダマさんは渋い顔をしています。
すると、さっきの馬面の人が横から口をはさみ、
「なにか事情があるんだろ。足りない分、俺が出してやるよ」
先ほどの皮肉っぽさとうって変わった優しい口調で、少年に助け舟を出したのです。
「そうか、クコちゃん、なんかあったら、尻を持つンだな。じゃ、君、奥に入って、
“恩人”のクコちゃんの隣に座ンなよ」
店の雰囲気に慣れてきたので、私は改めてコダマさんの体型を観察してみました。
見れば見るほど、それは、ドン・ガバチョとムーミン・パパを足して二で割ったよう
な姿格好をしています。それで自然に、そのからだから愛嬌が滲み出てくるのでしょう。
奥の方では常連たちが、
「君、どうしたんだい?どこ出身なの?家出して来たの?」
等々の、遠慮会釈ない質問を少年へ浴びせています。
少年はちょっと苦笑を浮かべ、
「京都から来てェ、先輩のアパートに泊ってるンだけどォ、今、先輩の友達が来たから、
…お前、外で時間をつぶしてこいッ…て言われちゃってェ……」
と、身の上話を始めました。
「君の、その格好、見てたら、つい保護したい気分になっちまった。君、高校生?」
馬面のクコちゃんが、傲慢なもの言いをして少年の身分を調べています。
「高校中退して、バンドやってる」
「中退?そうか。で、君は、一人で東京に来たのかい?」
「親と喧嘩して飛び出して来たンです」
コダマさんがお通しとビールを少年の前に置きますと、
「未成年にお酒を飲ませちゃいけないわ」
いままで押し黙っていたシャチ子さんが、小姑もかくや、といった口調でコダマさん
の行動に干渉してきました。
初めて聞いた私にも少し癇に触る言い方でしたが、すかさずコダマさんが、
「いいんだ。うちの店に来たら年齢なんか関係ない。僕は、シャチ子の年齢だって問題
にしないぞッ」
と言い返しましたので、シャチ子さんはブスッとふくれて黙りました。
こうして一通り、少年の身許調査を終えた面々は、コダマさんも他の連中も普段の姦
しいおしゃべりに戻った様子です。
今や、座の中心に立ったコダマさんは晴れて話のスプリングボードを握ったので、
「京都から来るのは碌な奴しかいない。
この前、レイが連れてきたオバさんは、僕が店の応援歌『どんちゃだほい、どんちゃ
だほい、どんちゃだほい、ほい、ほい…』を歌うのを聞いて、それに対抗して詩吟を唸
ったじゃないか!」
「コダマさん、それ、詩吟じゃなくて朗読だぜ」
「どっちでも同ンなじだ。歌うンじゃなくて唸るンだからな…」
「違うさ。詩吟ってのは、漢詩に節を付けて唄いあげるもの。彼女のは、中原中也の
『サーカス』ていう詩だったぜ」
どうもクコちゃんという人は、自分の学識を誇りたい人のようです。
「あのオバさん、なんか変な節を付けて、
ヨ〜ラン…ヨ〜ラン…ヨォヨォヨォ…って唸ってたよなあ」
「ゆあ〜ん ゆよ〜ん ゆやゆよん、だろ」
「そうだ、その節だ。あれは変な女だった」
「うん、たしかに変な女だった。
聞いた者がどんな気分になるかなんて、何〜ンもかんがえない自己陶酔的なオバンだ
ったなあ」
「レイは京都に行ってさびしいから、あんな変なのと親しくなるんだ。
悪いのは、コヌレ君、君だぜ!
レイはコヌレ君に惚れてたのに、コヌレがレイの恋心を悟らなかったものだから、可
哀そうに、レイはひとりで結婚して京都くんだりまで落ちて行ったんだ!」
すると、今まで熊さんの右隣の席でもの静かに酒を飲んでいた、あたりの柔らかそう
な男の人が、
「コダマさん、また、バカ言って。そんな昔のことを蒸し返すなンて、無視よ」
「あッ、コヌレさん、外したッ」
笑いながらそう指摘したのは、二階への狭い階段の途中に座っていた若い女性です。
コダマさんは援軍を得て、喜び勇み、
「コヌレは、攻撃されて感情的になったら、大外れの駄洒落をいう。店の黒子は女性関
係を責められると、弱い。黒子っていうのはほくろのことだ。知ってるか?」
乱数みたいな言葉を吐きました。
「コダマさん、訳の分からん調子で個人攻撃するときは、強いなあ」
「クコちゃんだって、裏で何やっているか分かったもンじゃないッ」
「コダマさんほどじゃ、ないよ」
「僕には最愛の奥さんがあるから、浮気がばれたら離婚されちまう」
「コダマさんと浮気したがる女なンて、いるわけないでしょッ」
沈黙を強いられていたシャチ子さんが、ここぞ、とばかり鋭く切り込みました。
「いや。いるんだが、僕は言わないぞ」
「あの人だろう」
「クコちゃん、分かったような口振りじゃないか」
「そりゃ〜分かってるさ。お見通しだよ。
おや、おや、坊や。お通し食べちゃったのかい?俺、腹は減ってないから、坊や、よ
かったら俺の分、食べなよ。
どうだい、ここ、変な店だろ。おもしろい?」
「実は、僕、詩人なんです」
すると、カウンターの中いたドン・ガバチョ氏が詩人という言葉に過剰反応し、
「ここのお店は、皆、何かをやっている。
絵とか音楽とか、登山とか本を書くとか、ここは、文化的なことに興味を持っている
者がやってくる店なんだ。君が詩人なら、常連になる資格は大いにあるッ」
と、偉ぶった風に御宣託を下しました。
少年は別に気負う様子もなく、
「おごってくれたお礼に、ぼくの詩を聞いてください」
と言いますと、コダマさんは驚いて、
「えッ、君も、ヨァ〜ン、て唸るのか?」
「いえ、唸りませんよ。ギター、ないから、メロディ、つけませんけど…」
「試しに聞いてみようぜ」
と、クコちゃんが面白がっています。
コダマさんはちょっとイヤな顔をしたのですが、すぐ少年が少し舌ったらずの声で朗
読しはじめたので、諦めて、「学生、注目!」と、奇妙な号令を発しました。
……
ぼくが小さかったとき
母さんが家出した。
がらんとした大きな家のなかで
ぼくは泣いた。
母さん、行かないで!
ぼくを置いて行かないで!
なのに、母さんは
後ろを振り向きもせず、出て行ったんだ。
ぼくが大声で泣いたのに
母さんは出ていったんだ!
それから、
あたらしい女が家にきた。
あたらしい女を、母さんと呼べ、って
男は言ったけど 唇を噛んで
ぼくはなんにもいわなかった。
ある日、目覚めたぼくは
女の胸をまさぐり、固い乳首に
唇を押しつけた
そうして、女の、乳の出ない乳首に
思いっきり噛みついてやったら、
「痛い!この子は。なんてことをするのよ!」
そういって、女はぼくを折檻した。
はだかのぼくはちんぽこを立て、
 びゅんびゅん振り回しておしっこ飛ばしたら
おしっこを浴びたあたらしい女は
狂ったように笑いだした。
その日、ぼくの家出がはじまった
その日、ぼくはほんとに母を捨てたんだ!
お母さんなんて、いない
お母さんなんて、いない
………
朗読し終えた少年は、放心したような顔になりました。コダマさんは大きな眼をいっ
そうまん丸くして、うるうる涙をにじませています。
「き、君は、実に哀れな人生をしょってるんだなあ。でも、この店にも哀れな人間がた
くさんいるってことを忘れちゃいけないよ」
「だれが哀れなんだよォ。変なとこで、対抗するなよな」
と言ったのは、にこにこ顔の熊さんです。
私、さらに観察しますに、どうもコダマさんという人は、とりあえず何にでも対抗し
ないと気が済まない、典型的なお山の大将タイプらしく、いちいち口出ししてきてうる
さいのですが、どうやらこの少年の詩には本気で感動したらしく、
「よ〜し、なんでも出してやる。
少年詩人よ。君は、やきうどんが好きか?
お〜い、マヨ。階段に座ってないで中に入ってやきうどん作ってくれッ」
マヨと呼ばれた女性は、別段イヤそうな顔もせずカウンターの中に入り、巧みにドン・
ガバチョ氏とすれ違ってガス台の横に立つとフライパンを炙りはじめました。
外に出たドン・ガバチョ氏は椅子に座って寛ぎながら、
「京都の人間は皆、自分勝手に歌う」
と、感にたえぬといった顔をして呟きますと、すかさずクコちゃんが、
「鬼の眼にも涙、だな」と意地悪な茶々を入れました。
「犬の眼に涙、だよ」
と、まぜっ返したのはコヌレ君です。
ところが、その皮肉はコダマさんには一向に通じず、返って、
「そうだ。コヌレのいう通り、僕は犬タイプの人間だ。好きになったら絶対諦めず、と
ことん執念深く追いかけ回す、嫉妬する犬タイプだ」
と奇妙な自慢をしたものですから、一同呆れてものも言えません。
いつのまにか時刻は夜の十一時を回っています。
「それでは、もう遅いし、明日、僕は仕事があるから、みんなで歌合戦して、しめよう」
さすがに店のマスターだけあって、閉店のイニシャティブだけは揮れるのだな、と変
なところで感心していましたら、コダマさんは店内の灯を消し、
「まず、オープニングは、シイナ君の『ひょっこりひょーたん島』から入ろう」
熊さんのような人が、シイナという人らしく、もうだいぶ酩酊していましたが、元気
よく歌い出しました。
… な〜みをちゃぷちゃぷ、ちゃぷちゃぷかき分けて、ちゃぷ、ちゃぷ、ちゃぷ 〜〜
く〜もをすいすい、すいすい追い抜いて、すい、すい、すい〜〜ひょーたん島はど〜こ
へゆ〜く、ぼくらを乗〜せてど〜こ〜へゆく、ウ〜ウ〜、ウ〜ウ〜、まるい地球の水平
線になにかがき〜っと待〜っている〜ウ、苦しいこ〜ともあるだろさ、悲しいこ〜とも
あるだろさ、だけどぼくらはくじけない、泣くのはいやだ、笑っちゃう、進め〜、ひっ
こりひょーたん島〜、ひょっこりひょーたん島〜〜
……
なんだか私には、この店がひょっこりひょーたん島そのもの、であるかのように思え
てきました。
この楽しい唄の後は、コダマさんに促された馬面のクコちゃんが『出船』という曲を
歌いました。
例の暗い、 今宵、出船か、お名残り惜しや、暗い波間に雪が散る、という唱歌です。
店全体が暗いのに気分まで暗くなるような
歌が終わると、俺が真打ちだ、とばかりにコダマさんがしゃしゃり出て、
「じゃ、遅いから僕の歌で終ろう。
はじめは『なごり雪』をみんなで歌う。
次に僕が『女の意地』を歌い、さいごは、捨て子の少年詩人を慰めるために母の愛を
賛える『無縁坂』で締めよう」
かくして、 汽車を待つ君の横顔がきれ〜いだと…から始まり、 こんなに〜別れが
〜苦しい〜ことなら、二度と〜恋など〜したく〜はな〜いわ…という節で渋滞し、母が
まだ若い頃、ぼくの手をひ〜いて、この道は来ちゃだめと……忍ぶ、忍ばず、無縁坂、
かみしめるよ〜な、ささや〜かな僕〜の、母の人生〜……
この曲が終わったとき、私も他の人達もみんな、途中で帰るチャンスを失ったまま終
電の時刻も過ぎてしまい、結局無駄なタクシー代を払って帰宅する羽目になったのでし
た。


夜が更けるほどにt彼はハイテンションになり…

アカペラの歌が飛び出し

すべてのお客をコダマ嵐に巻き込む




三 感謝知らずの女

 この夜のことが大いに愉快だったものですから、それ以来、私はたびたびこの店に通
うようになりました。
店の常連は大勢いるという話ですが、私が行くたびに顔を合わせる人も数人いて、と
りわけ、馬面の悪口屋クカちゃんはいなかった夜がありません。
春とはいえまだ寒さの厳しいその夜、十時を回っても客は少なく、クカちゃんの他に、
コヌレ君、マヨさん、その晩私が初めて会った中年のカップル(この人達はスキーのお
土産にお鮨を持参したのですが、私もお相伴に与りましたところ、それは魚よりご飯の
方が美味しいお鮨でした)、それにちょっと水商売っぽい服を着た若い女性だけしか店
にいませんでした。
そうして穏やかに飲んでいる面々に向かって、カウンターの内で退屈し切っていたコ
ダマさんが、
「この前、店がハねてから、コヌレ君、シラカミ君、マヨ、の四人で『小鴨』へ行って
みたンだ……」
と話を切り出しました。
「そしたら、他に誰も客がいないものだから『小鴨』のおばちゃん、僕と差しで、人生
について話をしはじめた。
僕が、僕を虐待した女についていろんな泣き言を並べると、おばちゃん、最後に、ぽ
つんと一言、
『あんた、女のことでずいぶん苦労したンだねェ。でも、あんた、本気で女を相手にし
たいンなら、懐に鞭を入れとくことだよ』
と、なんだか意味不明のことを言って、眠そうな眼元に笑いを浮かべたンだ。
クコちゃん、これッてどういう意味だ」
「ふ〜ん、おばちゃん、コダマさんのこと、SM趣味の人だ、と思ったンじゃないか…」
「バカなことを言うなよ。僕が変態とホモが大嫌いなのは、知ってるだろッ」
「コダマさん、いつもみたいに女々しいことばっかり話すから、おばちゃん、コダマさ
んを鞭でぶちたくなったンだよ」
「そんなことはない。僕が本当のことしか言わないことは、みんな知ってるッ」
「そりゃ、コダマさんが思ってるだけだ」
「僕、つらつら思うに、この店には他の店よりず〜っといい女が入ってくる。だけど、
男と違って、女は常連になろうとしない。
どんなに僕がサーヴスしても、図に乗るばかりで肝心なところではケチになる。
それに、女って奴はボトルをなかなかいれないし、店でイベントを催しても無料じゃ
ないと参加しようとしない。
自分一人だけが店にいる女で、男の常連が寄ってたかってチヤホヤするときは僕の言
うことだって聞くけど、偶々、三人以上女がいる場合、お互い牽制し合って全然打ち解
けようとしないじゃないか。
揚げ句の果ては、僕が困ってるのを見ると助けてくれるどころか、反対に『あれ頂戴、
これ欲しい』って勝手な注文を出し、たまり兼ねて僕が怒ったら、ぐずぐず、ぐずぐず
文句を言い続けついに僕の神経をずたずたにしちまう。
それで、『おばちゃん、女ッて、つくづく分からんよ』、とボやいただけだ…」
「それは、ちょっと違うんじゃないの」
今まで黙ったまま、コダマさんの言い分に耳を傾けていたコヌレ君が、口をさし挟み
ました。
「コダマさん、酔っぱらって自分が言ったことを全部忘れてしまうから、いっつも自分
だけ正しい、て思ってられるンだ。
『小鴨』のとき、こう、コダマさんが言ったのを僕は覚えてる。
『僕が、苦労して苦労して、店に取り込んだ女を、若い男が横からパ〜ッとかっさらっ
ちまう。
女なんて、あんなにサーヴスして毎晩タクシーで送ってやるのに、それを当り前、と
思ってやがる。こん畜生ッ!かっこいい男が目の前に現れるとすぐ、ほいほい、そいつ
の後を従いて行くじゃないか。
畜生め!タマキの奴、僕ンとこの女を片っ端から食い散らしやがって!畜生、畜生!
アヤもアヤだよな、僕がおまえに投資した一年分の金のことなど、なんとも思っちゃ
いないンだろッ、ガォ〜!』
などと、言いたいことを言いながら、クダ巻いていたンで、おばちゃん、ウンザリし
たんだろ、コダマさん!」
「コダマさんお得意の、妄想的個人攻撃じゃんか」
と、クコちゃんがからかって言いますと、
「妄想じゃない、それは事実だよ。
こんな一見の入りにくい店へ偶然迷い込んで来た女の子を確保するために、僕は大変
な努力をする。脳の血管が切れるんじゃないかと思うくらい努力する。でも、誰も、僕
の努力を認めてくれないじゃないか!
ボダイがいたときは、バランスが均れていてよかったなあ!
癖のつよい佳い女をボダイが牽きつけ、ボダイに弾かれた平凡な女を僕がいたわり、
みんなで共存共栄していた。
僕とボダイが女のことで喧嘩して、ボダイが怒って店を出ちまって以来、だんだん店
の調子が狂ってきたンだ。
クコちゃん、君はボダイと同じ考えのくせに、僕をぜんぜん助けようとしないンだか
ら卑怯者だ!」
「卑怯者とは、ひどい言い掛かりだぜ。
大体、俺とボダイさんは生き方が違う。
ボダイさんは、街の一匹狼として生きてきたンだし、俺はあぶれていても、極く極く
小市民的な生き方しかしてないぜ。
その点では、コダマさんと同ンなじだ」
すると、コダマさんは実に不満そうな顔をして、
「僕は結婚して妻子を養い、その上この店を十年も背負い続けてきたのに、クコちゃん
は一人で自由に生きてきた。
そういうのをアナーキーというので、小市民とはいわない。
クコちゃんもボダイも、女を操って生きている点は変わらないぞッ」
と、噛みつきました。すると、今まで悠々と酒を飲んでいたカップルの男性が、
「ボダイさんは、本質的には女嫌いだから、逆に、女を惹きつけるあぶないゲームが演
出できるんだ、と思いますよ。
ボダイさんの女性論なら、ほら、そこの壁に架った絵画の中に描いてあるでしょう」
と言って、それを読み始めました。
……
一つ、女の性は本来、歪んでいる。
(女は常々、自分と他の女がどう違うか、その比較にばかり耽溺している)
一つ、女は非常に欲張りである。
一つ、女はおしゃべりである。
(物の理屈を何も知らないくせに、ことば巧みに分かったようなことをいう。
そのくせ、別にどうッてことがないことでも、聞かれると素直に答えず、男に気をも
たせるような巧妙な言い回しをする。
なのに、聞きもしないことを、突然、べらべらしゃべり始める)
一つ、女は頭隠して、尻隠さぬ存在也。
(見てくれで男をたぶらかせるやり方は、男が考えも及ばないほど巧みであるのに、後
になってそれがどんな結果を招くかということは、とんと考慮しない)
……
(さあれど、賢い女という奴も、食えない存在だぜァ。あの、フェミニストという女ど
もを見たら、お前さんでも分かるだろう。
俺に結論を言わせれば、こうなる。
男たるもの、迷いに迷いながら、女に随い遂に時を忘れて呆けているとき、最高の愉
しみを味わっておる、といえるんじゃわい)
……
この朗読を聞き、男たちが何となく溜飲を下げて、にやにやしていますと、
「なんていい気な見方なんだろう。
傲慢で、知ったかぶりで、自分を何様だと思っているのかしら。実に不愉快だわ!」
今まで、男たちの言いたい放題の話を黙って聞いていたマヨさんが、もうたまらない、
という感じで口をさし挟みました。
ところが、コダマさんはマヨさんのそんな怒りを無視して、
「ボダイは経験上、こういう女の本質を知っているから、本当のことを言っている。
だけど、僕に言わせれば、女の本質は母性だ、と思う。
今、アメリカへ行ってエイズに罹ってるかもしれないムカイ君が、あるとき僕に沁み
沁みとした口調で、『女ッて、抱いたらあったかい』と言ったのを覚えているけど、僕
の基本的感情も、それだ」
と言いましたら、口の悪いクコちゃんが、
「じゃ〜、女で暖ったかければ、コダマさんは八十才の婆さんでもいいンだな」
と、混ぜっ返しますと、
「いや、僕より年上の女はダメだ。
でも、女の齢は関係ないぞ。十代の女の子でも、一緒に寝たとき僕を包み込んでくれ
るぬくもりがあれば、それこそ、僕がいちばん大切に思ってる女の美点だ。
待ァ〜て〜ど、暮〜らせど、来〜ヌ人が、ついにこの店にやってくる。お店を守って
いる僕の許へ、たくさんの感情を抱え、失恋やら別れやらの悲しい出来事に伴う悩みの
すべてをもったまま、飛び込んでくる。
そのときこそが、僕の出番になる。薬師さまとして僕は、彼女たちの悲しみを療す権
利がある!」
なんとも、とんでもない権利です。
「で、その代償として、母性のお情けを戴くッていう訳か!」
「皮肉しか言えないのか、クコちゃんは。
僕は、お情けをもらうンじゃなくて引き出してやるンだ。
でも、結局、僕が引き出した母性は僕以外の男へふり向けられてしまうンだよな。
なあ、コヌレ君もそう思うだろ。
どんなに努力しても、悲しいことに、女たちは僕らの努力に報いてくれない。
いい男が現れたら、ほいほい、そっちの方へ行ってしまうんだからなあ…」
同意を求められたコヌレ君こそいい面の皮ですが、こんな手前勝手な女性論をとうと
うと聞かされて、マヨさんが呆れたように、
「十分、報いられているじゃない。コダマさんにはマホさんという人がありながら、い
ったい何を望んでいるのよ」
と、小声で呟くのが聞こえました。
変なところで耳聡いコダマさんが、この呟きを聞くとがめ、
「それとこれとは、話が違う。
僕の幸せはみんなの幸せだ。
なあ、クコちゃん、そう思うだろう。僕にもきっと良いことがある……」
この言葉に対してクコちゃんは、妙に学者ぶって対応しました。
「コダマさん、女にはネ、男よりず〜っと、子供の心を理解できる能力がある。
反対に、男は自分の中に女より断然子供らしい部分を具えている。
だから、女が男を愛するとき、女は、男の中にいる子供を見つけてそれを愛するよう
になる、と思うンだ。
この店がいみじくも〈どんちゃいるど〉と名付けられている以上、その創始者にして
かつ経営者でもあるコダマさんが、その子供っぽさを女たちに愛されない筈がない…」
クコちゃんが粉飾しながらそう言って、コダマさんの心をくすぐりますと、
「そうか、ほんとにそう思っているか。
店が終わるまでに又、かわいい女の子が来ればいいのになァ……」
などと、脳天気な言葉をぽろりと言ったものですから、マヨさんは小っちゃな声で、
「あたし、女と思われてないのかしら」
と、不平そうに呟くのでした。

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