わたしの愛した漫画家たち

『温かな手 …あすなひろし』


「これ、持っとくといいよ」
 浅草寺のお参りが終わった後、手渡された物は、金糸銀糸が織り込んである目にも
鮮や かな西陣織の小さな御守り袋だった。
 ーーン? ナンダ……? キョトンとしている私に、あすなさんは慌てて言葉をつけ足す。
「いや、今ね、男運の悪い女の子がいるんだけど、いい男に巡り会える運のつく御守りは
ないかと聞いたら、コレくれたんだ」
 ちょっと唇を歪ませながら早口で喋る、あすなさんの目元が照れ臭そうだ。
  あすなさんのお供のつもりで彼の後ろからポヤ〜と歩いていた私は、突然形にされた彼
の親切に感動はしたものの、私もまたどう答えていいのか判らなくて、お礼の言葉の代わ
りにこわばった顔のままニッと笑った。 それは、ある夏の午後、浅草の浅草寺境内での出
来事だった。
 あすなさんが、欲しいものがあるからと、次に私を引っ張って行ったところは、仲見世 近辺
にあるレコード屋だ。
「これ、明子ちゃんにプレゼントしよう。元気の出るヤツだ」
われ、よ〜来たのォ〜…。 狭い店内どころか表の道路までがなり立てるようなダミ声が、
調子好いリズムとともに いきなり私の耳に飛び込んできた。
買う前に店のおじさんに試聴させてもらったものは、『河内のおっちゃんの唄』という シングル
レコードだった。
「そうだ、いい唄があるんだヨ」
 あすなさんは、別のシングルレコードの試聴を再び店のおじさんに頼んだ。
 白い旅行鞄を……。
 私は、その歌詞をなぞるように聴いていたが、思わずボロボロ泣き出した。
 初めて耳に する唄だが、その歌詞の内容には、ひどく身につまされる。
「やー、明子ちゃんが泣いた泣いた。一度泣かしてやろうと思ってこの唄を掛けてもらっ たん
だ。これ、因幡晃の『別涙ーーわかれーー』っていう曲なんだよ。でも、これは自分 で買いな
さいネ」
 あすなさんは、立ちつくしたままで泣きじゃくる私の姿を、少し困ったような顔で、そ れでも
少しおどけた口調でそんな憎らしいことを言った。
 ーーコノォ〜……ナンテ奴ゥー…。
 私はバツイチで、数ケ月間の離婚後遺症アル中からやっと脱出したばかり。そして、あ すな
さんの担当編集者であった。
 カッと照りつける白いアスファルトの陽炎を背に、あすなさんは、口元に笑みを浮かべ たまま、
傍で私が泣きやむのをじっと待っていてくれた。


 あすなひろしの少女漫画を初めて見たのは、小学六年生の頃だったと思う。 当時、彼の描く
漫画は、人気絶頂の少女漫画家・水野英子と絵柄が良く似ていた。
 しか し、明るく華やかな水野英子の作品と違って、あすなひろしの描く少女漫画は、少し乾い
たタッチにどこかモノ哀しい雰囲気があった。
 あすな漫画には、いつも静かな哀しみが漂 っていて、子供心に胸を打たれていた。
 あすなひろし…という名前も、いかにも少女漫画家らしいロマンチックな響きだ。ひろ し、という
からにはコノ漫画を描いている作家は男の人なんだ。きっと漫画に出てく るような男の人のよう
に、美男子で心が清らかで優しい人。そして当然、背が高く病的な ほど華奢な感じの、はかなげ
な男の人なんだワ、と、私は子供心にもそう固く信じ込んで いた。
 すなわち、あすなひろしイコール心がナイーブで繊細な男性と、私の頭の中にインプッ トされて
いた。
 そんな勝手な想像を抱いていた私が、編集者としてあすなひろしという漫画家に初めて 会った
のは、’69年の暮れだった。
 その時私は、まだ編集者といっても駆け出し中の駆け出しで、元気だけが取り柄の編集 見習い
三ヵ月目の十九歳のガキだった。
 当時の私は、手塚治虫を代表に立てている虫プロ 商事という小さな出版社で、昔ヒットした少年
漫画の旧原稿を、虫コミックスという単行 本にする仕事をやっていた。
 編集長から紹介されたあすなひろしは、開口一番こう言った。
「ごめんね、漫画のイメージと違ってて…」
  一八○センチに近い大きな身体を気持ち小さくしながら、無表情のまま、目の前でハハ ハ…
と恥ずかしそうに棒読みのように笑った。
ーーぐわぁ〜っ…ゴッツイおじさん……!
  歳の頃は三○歳前後、角刈りで、色白の勘の強そうな少し鰓の張った四角い顔、薄い眉 に
鋭い目つき。
 真っ白いセーターからは、洗濯糊の利いた真っ白なワイシャツの襟が覗い ている。セーターの
首には、金色フレームの黒いサングラスがさりげなくに突っ込まれて いて、ピシッとラインの入った
白いパンツに、真冬だというのに素足のまま雪駄ならぬ白 い鼻緒の下駄……。
 しかし、その姿は、どう見てもソノ筋ノモノ……。
ーーナイーブで繊細なはずの、アノあすなひろし…? うそぉ〜ッ!
この人、色が黒けりゃ、建築現場か飯場が似合いそう……。
 会った瞬間、私の心の中は、子供時代から抱いていたあすなひろしのイメージが、ガラ ガラと
崩れていく音を聞いたような気がした。
「ガッカリさせて、ごめんね」
 再び謝りながら、今度はクシャッと笑顔を見せた。
 私の年齢を聞き、みつ編みお下げ髪の私をしげしげと眺めながら、
「へえー、明子ちゃん。オレの一番下の妹に、感じが似てるねえ!」
と、あすなさんは言った。
  細い目尻に笑いジワが薄く刻まれた顔は、思いがけず幼さなっぽい顔になった。
 しみじ みとした温かな笑顔だ。
 物語に出てくるロマンチックな美しいキャラクターと、それを描いた作家にイメージを ダブらせ
ていた読者は多いはずだ。
 しかし、私と同様、あすなひろし本人に会った読者な らば、そのギャップの激しさにさぞや ガッ
カリしたことだろう。
 本人自身から先にハッキリそう言われてしまい、私はドギマギしてしまった。
 そして、叙情漫画家のイメージを壊しているという自覚からか、恥ずかしそうにそう言う彼を眺め
ながら、私は、あすなひろしってやっぱり好きだなぁと思った。
 以来、出版社を変わったあとも、私はいつもあすなひろしの担当ということになった。


「明子ちゃん、鰻は好き?」 あすなさんは、浅草という土地に明るい様子だ。泣きやんだ私を
連れて、自分ちの近所 を散歩でもするように、慣れたふうに浅草寺から外れた路地を歩きながら
私に尋ねた。
  好きも何も、鰻という贅沢な食べ物は、年に一回食べられたらいいほうだ。
「…………?」
「今日のお礼に、鰻をおごるよ」
ーーええ〜…おごるって…鰻を…? タダでぇ〜…?
 担当編集者なのに著者に御馳走してもらうなんて、立場が逆だ。
 領収証をもらいますか ら編集部の支払いで、と言おうとしたのに、私の心と胃袋は正直に反応
してしまい、つい ウンウンと嬉しそうな顔になってしまう。
「でも、あすなさんに御馳走になるなんて、帰ったら編集長に叱られます」
と、一応は遠慮するような口振りで言うと、
「朝から何も食ってないから、オレ、腹が空いてるんだ。付き合ってよ」
 だから黙って付いて来なさいね、というように、あすなさんは急に足を早めた。
 あすなさんの言うお礼というのは、原稿料の前借りの件だ。
  今朝十時、私は、出社早々、あすなさんからの電話を受け取った。 漫画原稿の締め切りは
まだずっと先のはずなのにいったい何だろうと、電話を取ると、
「やぁ、朝っぱらごめんね。実はお願いがあるんだけど……」
と、電話の向こうで、あすなさんの機嫌好さそうな声。
「オレ、今、お金無いの。明子ちゃん、申し訳ないんだけど原稿料前借りさせて?」
 よく事情を聞いてみると、昨夜遅く、あすなさんは酔っぱらって上野駅近くの旅館に泊 まった
ものの、今朝起きてみると一文無しだということに気付いたという。
 付け馬しても らうには、旅館側の従業員の人出不足か、はたまた、あすなさんの風貌に
世間の信用がな かったのか、誰か代わりの者が宿泊費を支払いに来るまで、あすなさんは
旅館で足留めさ れているらしい。
 あすなさんが執筆している他社の編集担当者は、皆午後出勤。しようがないので午前中 から
出ている編集部の、私のところへ原稿料の前借りのお願いというわけだった。
  私は、緊急前借りということで編集長に無理やり都合つけてもらい、現金を持って大急 ぎで
指定の場所へと駆けつけた。
「…………?」
 電話であすなさんが道順を教えてくれた旅館は、旅館は旅館でも、ど〜んよりした古い 建物
の連れ込み旅館だった。
ーー酔っぱらって泊まったって言ってたけど、こんなトコに一人で入ったのかしら……?
  全ての客のチェックアウトが終わっていたせいか、従業員の姿は見あたらなかった。
 玄 関から一歩中に入ると明かりも無く、朝だというのに夜の華やぎが残っているような、変に
湿った薄暗さがあった。
 目の前に受付らしき小さな窓口のある小部屋があり、そこから 室内の電気の明かりが漏れて
いる。
 その明かりを逆光に、あすなさんは、窓口の中で所在なげに頬杖ついて座っていた。
 いかにも昔からそこの従業員だったかのように、小さな窓口から見えたあすなさんの姿 は、
うらぶれた旅館の雰囲気と不思議とマッチしていた。
「明子ちゃん、助かったよ……」
 入って来た私に気付くと、あすなさんは、九年前、初めて会ったときと同じクシャッと した笑顔に
なって、恥ずかしそうに私を見た。
 そのまま旅館を出ると、あすなさんは、女の子にこんなお使いをさせてごめんねと、道 すがら
何度も私に謝った。
 そして、もし、仕事が忙しくなければちょっと浅草まで付き合 ってくれる? と聞かれ、私は、
編集部に残してきた多少の忙しさは目をつぶることにし て、喜んであすなさんのお供することに
したのだ。
 あすなさんは、原稿料の前借りの集金に行くと言って、浅草に行く途中、二ケ所ほど他 社の
青年誌の編集部へ回った。
 その間、私は近くの喫茶店でおとなしく待っていた。
 だが、ただ座っていても何だかソ ワソワ落ち着かなくて、嬉しくて顔がほどけてしまい自然と
ニヤニヤと笑いそうになる。
  なぜならば、先輩編集者たちから、あすなさんって、とても気難しい人だと聞いていた からだ。
  他社のベテラン編集者たちからも、あすなさんは、どんなに親しい担当編集者であって も
プライベートな付き合いをしない、とも聞いていた。
  だから当然、あすなさんの一介の担当編集者でしかない私なら、今日は旅館の玄関先で
原稿料を渡すだけで、あすなさん担当としての仕事はおしまいのはずだった。
 それなのに、今、私はあすなさんから遊びに誘われ、こうして一緒に浅草までプライベ ートな
お出かけをしている。
  しかも、お守りやレコードまで買ってもらい、鰻まで御馳走になろうとしているのだ。
「明子ちゃん、どんどん食べて、さあ!」
 あすなさんはビールで、私がコップ酒を、それぞれ手酌で飲んでいると、待望の鰻が香ばしい
匂いを周囲にまき散らしながら、二人の前にでんと置かれた。
  あすなさんが連れてきてくれた鰻屋は、表も裏も引き戸が開け放たれた、板壁や天井で
扇風機が回っている仕舞屋ふうの、縄のれんが似合う古い店だった。
 狭い土間に大きな分 厚い木のテーブルが二つ、壁際に作り付けの長椅子、あとはてんで
ばらばらに小さな椅子 が散らばるように置いてある。
 午後も三時に近いというのに、店内は満席状態だった。
 鰻を食べにくる客は地元からの 人ばかりのようで、ランニングシャツやステテコ姿のおじさん
たちが、冷房の効かない店 内で、額や首筋から流れ出る汗もかまわず、鰻の白焼きや冷奴を
サカナに、昼間っからコ ップ酒やビールを飲んでいる。
 この店では、そんな光景がひどく自然に思えた。
 目の前にどんと出された大皿には、つやつやと醤油垂れの光った大振りな鰻の蒲焼きが
三〜四人前も置かれ、ほかにも小鉢ものが三〜四品並んでいる。
 あすなさんと私は、びっくり顔の周りのおじさんたちの注目を集めてしまった。
 私達二 人は、いかにも外から来た客という感じで、この店でこんな豪気な注文をする客は、
ほか に誰もいないのだ。
  周りの視線が恥ずかしかったのか、あすなさんは、ココ地元の客しか来ないからなと、
ちょっと首をすくめながら小さな声で言い訳した。
「オレ、こんな顔と髪してるだろう。浅草を歩いてると、時々、地回りの奴らに、ほかか らきた
ヤクザと間違えられて、因縁つけられることがあるんだ」
「そんなとき、どうすんですか?」
「走って逃げる!」
  びっくりした私を面白そうな顔で見ながら、
「今、オレがその筋のモノに見えても、明子ちゃんはどう見ても素人の女の子に見える。 でも、
そのコが昼間っからオレと冷酒飲んでる。周りの人から、この二人いったい何者な んだろうと
思われてるよ、きっと……」
と、ははは…と、あすなさんは小さな声で笑った。
 あすなさんはガッシリした顎を黙々と動かして、実に旨そうにビールをぐいぐい飲みな がら、
目の前の皿のものを次々と平らげていった。
 
 ところで、あすなさんという人は、どんな高級料理でも臆することなく美味しそうに食 べる人
である。
 昔、虫プロのCOM編集部で担当したときもそうだった。
 あすなさんは、今も昔も希に見る遅筆の作家だ。どこの編集部でも、毎回、あすなさん 担当は、
何日か仕事部屋に徹夜で張りついて原稿を受け取っている。
 あるとき、私は、一睡もすることなく徹夜のまま完成した原稿を編集部へ持って帰った ことが
あった。
 その時、あすなさんも一緒に編集部までついてきた。
 有楽町の映画館に掛 かっている、『イージーライダー』という封切り映画を観に行こうと言うのだ。
  あすなさんに言わせると、徹夜明けは神経が敏感になってて、感性の豊かなそんなとき こそ
イイ映画を観るに限るんだそうだ。
 映画を観たあと、あすなさんは、やっぱり今日のように食事を御馳走してくれた。
 何とかという、スキヤキでは有名な銀座の店だった。
 その時も、あすなさんは特上スキ ヤキを三人前も注文して、盛んに食べろ食べろと私に勧め
てくれた。
 田舎育ちの私には、スキヤキなどというものは、年に一度、特別の日に家で食べられる もの
であって、格別上等なものだと信じていた。
 だから、私は、あすなさんが気軽な感じで注文する特上スキヤキの一人前の値段にビビ リまくり、
高級店らしく着物が奇麗なお姉さんのお給仕姿にも緊張した。
 私は、ただドキ ドキするばかりで、美味しいはずのスキヤキ肉の味も、何がなんだか分から
ないまま、食 事が終わってしまったことを、今でもハッキリ憶えている。
 そんな高級料理店でもあすなさんは、ごく自然体のまま、店のお姉さんに肉や卵の追加 注文を
する。
 熱々のスキヤキをアフアフと美味しそうに食べているあすなさんを眺めながら、私は、 こんな店
では卵一個追加するといくら取られるんだろうか、お金足りるのかなぁ、あすな さんって偉いんだ
なぁーと、ひどく感心していた。

 豪遊気分で鰻屋を出る頃には、浅草の街はすでにあっちこっちの店の看板に灯が点り、 夜の
飲み屋街の態勢に入っていた。
「明子ちゃん、まだ飲める?」
「ええ、大丈夫です」
「じゃあ、もう一軒だけ付き合ってくれる? オレがたまに行ってる店なんだ」
「はいッ!」
 私は、鰻屋でしこたま酒を飲んでしまい、かなりいい気分だ。
 あすなさんは、いくら酒 を飲んでも酔っぱらった様子もなく、御機嫌でお喋りしながらアレを
食べろ、コレを食べ ろ、と気を遣ってくれていた。
  ところが、店から一歩外へ出ると急に無口になり、無表情で黙々と路地を歩き出す。
  私は、あすなさんが、にこやかに打ち合わせをしている最中でも、時々フッと無口にな り
無表情な放心状態になることを知っているので、私もまた黙々と彼の後ろからついて歩 くこと
にする。
 鰻屋を出てしばらく歩いたところに、あすなさんのお目当ての店はあった。
「あ、いらっしゃーい。今日は………」
 黒い扉を開けて先に入ったあすなさんに、中から掛かった声が、途中から途切れた。
 私は、あすなさんの大きな背中越しに店内を覗いた。
 薄暗い照明の下、マスターらしき 中年の男性が不審げな顔をしているのが見えた。
「悪い、今日だけ、ちょっとイイ?」
  あすなさんは、私の肩を押してずんずん中へ入っていった。
 声がちょっと弱々しい。
 そこは、L字型のカウンターだけの店で、客が十人も入れば超満員になるような、昭和 三十年代
の日活アクション映画にでも出てきそうな、古ぼけたバーだった。
 ピンク電話の置いてある入口近くの、カウンター隅っこに二人して座り、オンザロック を頼んだ。
 奥のほうには、もうすでに先客がいて、うつむいたまま黙って飲んでいる。
 あ すなさんと私はほとんど喋ることもなく、それぞれグラスを重ねていった。
 十分もするとふらりふらりと客が来て、ちょっと飲んでは去っていく。新しく客が入っ てくる度に、
入口近くにいる私の姿を見つけて、ひどく驚いて帰っていくのが分かった。
 店の中では、客もマスターもほとんど何も喋らない。
 奇妙な静けさの中で、時折客とマ スターがやりとりするボソボソ声と、アイスピックで砕く氷の
音だけが派手に聞こえてく る。
ーーココって、もしかして、本当は、常連の客だけしか入れない店なのかもしれない。そ れも男
の客…ちょうどイギリスの伝統あるバーのように、男だけが飲めるバー……。
 男の客を二〜三人もやり過ごしているうちに、何となく店内の雰囲気が見えてきて、女 の私
だけがオジャマ虫のようで、少しずつ居心地が悪くなってきた。
「明子ちゃん、ちょっと友達んとこ、電話するから……」
「…………?」
 目の前のピンク電話に手を掛けながら、振り返ったあすなさんの目が赤く、どうしよう もない
ほど暗い顔つきになっているのに、私は、ハッと胸を衝かれた
「バロンさんは……いない…じゃあ、いいです……」
  一件目の、漫画家バロン吉本さんは留守だったらしく、再びダイヤルを回す。
「コウシン? オレ、あすなです。あの……」
  受話器を持ったたまま、あすなさんはそこで絶句した。
「あすなさん……?」
 私は、恐る恐る声を掛けた。
「いや、大丈夫だよ。……あの…オヤジがもう駄目なんだ。癌なんだよ。オレは……」
 突然のあすなさんの言葉に、わたしは戸惑ったまま沈黙した。
 電話の向こうでは、あすなさんの昔からの友達で、漫画家の高信太郎さんが何事か語り かけ
ている様子だ。
 あすなさんは、嗚咽を堪えたような声で、ウンウンと返事をするばか り。
 もう流れ出る涙を誰に隠すこともなく、大きな身体を小さく丸め、うつむき加減のま ま受話器を
握り締めている。
  私は、かつて、あすなさんからお父さんの話を聞いたことがあった。
 あすなさんのお父さんは広島で裁判官をしているとかで、あすなさん自身、躾の厳しい 家庭
環境の中で育ったようだった。
 あすなさんの、早熟ともいえる漫画家としての早いデ ビューが、家族内にどんな波紋を巻き
起こしたのかは知らない。
 しかし、あすなさんの心 の中にも何かが起こってしまったのか、田舎や家族の話はあまり話し
たがらなかった。
ーーお父さんのところへ帰りたいのに、帰れないのかも知れない……。
 あすなさんは、自分自身がつらかったから、つらかった私と遊んでくれたのだ。
 今日一日、あすなさんは、子供を向こうに置いてバツイチになった私を元気づけるつも りで、
実は遠い広島の空の下、死を前にした病床の父親のことを思って、自分自身を励ま していたの
かもしれない。
 あすなさんは、いつだってそうなのだ。他人がしんどいとき、不思議と計ったように見 えない
優しさを運んできてくれるのだ。
 それは、たとえば落ち込んでいる私の自宅へ突然あすなさんから電話がきて、すわっ、 原稿
締め切りに関する異変が起きたかと慌てると、その割りには何気無い会話だったり、 今日の
ような突然の御馳走だったりする。
  ただし、こっちが幸せそうにしていると、スーッと姿を隠してしまう。
 姿を隠すといっ ても行方不明になるわけではなく、その間、担当していても、あの無邪気そうな
温かい笑 顔は滅多に見せてくれない。
 ただ淡々と打ち合わせをして、仕事をするだけなのだ。
 あすなひろしという人は、私にとっては実に不思議な人だ。
 とにかく、あすなさんって、真っ正面から向かい合ったときは、私自身が真摯な心で接 せずには
いられない人なのだ。
 あすなさんの心根の優しさは、小学館のビックコミックで連載した『哀しい人々』シリ ーズに如実
に描かれている。
 私は、このシリーズのような作品を、私が担当するときにも どうか生み出して欲しい、といつも
願っていたものだ。
 だが、今のように、ポロポロと泣いている生身のあすなひろしを見てしまった以上、私 自身どう
接していいのか分からなくなった。
 慰めの言葉ひとつを言ったとしても、それは 嘘。何よりも、あすなさんという人間の器のほうが、
私より何倍も大きいのだから、今何 か言って慰めたとしても、偽善的な卑しい自己満足にしか
ならない。
 今はただ、私は、あすなさんの隣で、彼の顔を見ないようにして、黙って目の前の酒を 飲む
しかなかった。
「ごめんね、明子ちゃん。こんなはずじゃなかったんだけど…酔ったかなぁ…。送ろう、 その後、
オレはまた戻って飲むから…」
 電話が終わり、あすなさんはクルリと後ろを向くと、有無を言わせない雰囲気で、スタ スタと
外へ出ていった。
 路地から路地を歩き回ったので、私にはもちろん帰り道が分からない。
 あすなさんと私は、再び、繁華街の路地を黙々と歩き出した。
「あ、ごめん! 近道だったもんで…こんなとこを通ってたけど、気を悪くしないでね」
 歩きながら突然、あすなさんがこう言い出した。
 うつむいてあるいていた私は、何のことか分からず、あたりをキョロキョロ見回す。 なんと、
そのあたり一帯は、けばけばしいネオンの洪水?
 そこはラブホテル街のどま ん中だったのだ。
「え…いえ、大丈夫です」
 何が大丈夫なのか分からないが、大丈夫です、もちろん誤解してません、あすなさんっ て
そんな人じゃありませんから、私、よく知ってますから…と答えるつもりが、言葉にも ならず、
口の中でモゴモゴ言うばかり……。
「じや、ここで。この道真っ直ぐ行けば大通りだから、そこからは迷わず帰れるから」
 あすなさんは、ちょうどラブホテル街が途切れたところで立ち止まり、帰りの道順を教 えて
くれた。
 あすなさんの顔には、もう泣いた跡もなく、いつもの無表情なあすなひろしに戻ってい る。
ーーあんだけしんどいのに、あすなさんったら……。
  帰りの道々、一緒にラブホテル街を通り抜けただけなのに、こんなにも私に気遣いする
あすなさんのナイーブな心の一面を、私は、またしても垣間見たような気がした。


 あすなさんは、引っ越し魔だ。
 私が担当している十年ほどの間に、あすなさんは四回も引っ越しをしている。
 世田谷の奥にあった外人ハウスの一軒家とか、下に大家さんが住んでいた和室の二間
続 きの三鷹市の二階家、同じ三鷹でも、駅と反対方向にあった風呂付き2DKのアパート。
そして、葉山の山奥にある別荘地の一軒家。
 オレって、引っ越し貧乏かも知れない、と、あすなさん自らが言っているように、事実、 あすな
ひろしという漫画家は、金を大きく稼いでも、出る金がさらに大きいらしく、いつ も原稿料の
前借りをしているのだった。
 現実に、私は、あすなさん宅へ税務署から集金に来る場面に遭遇したこともある。
「すみません、本当に無いんです。今度まとまって金が入ったときに払いますから」
 あすなさんは、税務署からの集金人相手に、悪びれることもなく、ニコニコと明るく言 ってのけた。
  集金人が帰った後、あすなさんは、
「無いときは実際に無いんだから、暗い表情で交渉しても集金する相手も暗くなるばかり
だから、そんなときは、明るい声で”無いんです”と言うんだよ。これが借金取りを断る コツさ。
明子ちゃんも、よく憶えておくといいよ」
と、私にケロリと言う。
 そんな引っ越し魔のあすなさんだが、新しい引っ越し先には、必ず何かしらの生き物が 一緒に
暮らしていた。
 可愛らしいところでは、メダカに小鳥にリス、そして、子猫。大き いところでは、犬。それも、
なんでも旧ドイツ軍が品種改良する以前のシェパードの原型 とかいう、大型犬。
 なんと、その犬を、三鷹の2DKの室内で飼っていたのだ。
 その後、葉山の二階建ての一軒家に引っ越したときは、室内にはその大型犬、一階の仕事
部屋に小鳥、仕事部屋の隣の、台所兼居間ではリスの放し飼い。
 室内はもうすでに犬を 飼っているからと、後から飼うことになった子猫は、庭先のダンボール
の中……。
 あすなさんに言わせると、生き物はすぐ死んでしまうから苦手だし、それに、それら生 き物は
自分が好き好んで積極的に飼っているわけじゃなく、保健所行き寸前だったり、道 端で傷つい
たまま捨てられたりしていると、見るに見兼ねて飼うハメになったのだとか。
 だから、あすなさんは、動物をこんなに飼っているなんて、心の優しい人ですね、などと他人
から言われるのを、極度に嫌がっていたし、実際、目の前でそう誉められると大層 不機嫌に
なった。
 あすなさんが飼っていた生き物は、ビッグコミックで連載した『哀しい人々』のシリー ズの中でも、
頻繁に登場している。
 それは”流浪哀歌”の子猫のビーだったり、”ソクラテスの殺人”の雀だったりする。
 また、少年ジャンプで『ぼくの父ちゃん』などの三部作を描いて大層評判になった時、
『海ゆかば』の主人公の兄弟が飼っていた犬なども、そうである。
  しかし、生き物が大の苦手の、あすなさん担当の私としては、ちょっと困る…いや、断然困る。
 あすなさん宅への原稿取りに行く際には、強い決意と勇気が必要になるからだ。
 シェパードの原型という大型犬は、三鷹の2DKで飼われ始めた頃は、元の飼い主の躾が
悪くて、すっかりグレた犬になっていた。
 気が弱くて甘えん坊のくせして、来客がある と凶暴に吠えまくる。
 がっしりとした体格のいいあすなさんですら、腰縄をつけて散歩に連れて行っても、いつも
あすなさんのほうがズルズル と犬に引っ張られていた。
 躾は男物の傘の柄で叩いて教えていた。だが、その傘の柄すら もすぐボロボロになるぐらい、
その犬は頑丈な犬だった。
 原稿取りに行く担当の私としては、まずペットショップで購入したオモチャ持参で、ビクビク
してお犬様の御機嫌取りから始めるのだが、それでも毎回、私が訪ねる度に、アパ ートの扉
を開ける前から私の気配を察し、犬はウォンウォン吠えた。
 徹夜続きの最後の追い込みの最中、私がちょっと仮眠のためにあすなさんのベッドを借 りて
休もうとすると、犬は、私に遊んでもらおうと大はしゃぎして、ベッドの上に寝そべ って待っている
始末。
 あすなさんに追っぱらってもらった後も、またそこには犬の気配… …。
 そっと毛布をめくると、待ってましたとばかりに、私の顔より遥かに大きい犬の顔の ドアップ
……!
 眠たい、でも犬は恐い、でもでも眠たい……というわけで、結局、睡魔がうち勝って私が眠り
こけてしまうと、退屈した犬は、再びあすなさんの許へ……。
 それでも、慣れとは恐ろしいもので、あすなさんが葉山の家に引っ越した頃には、私も その犬を
放し飼いのまま、山道を散歩に連れて歩くようになった。
 リスはリスで、やっぱり私が仮眠していると、布団の上を縦横無尽にカサカサカサッと 駆け回る。
 目覚めてみれば、枕の周りの白いシーツの上に、胡麻粒より大き目の黒い点々 がパラパラ
パラ ……。
 そして、そのリスは、私が原稿待ちの間、台所を手伝って水仕事をしていると、私の背中を
運動場代わりにカサカサカサカサッと何回も往復する。
 駆け登るリスの爪は、服を着 ていてもチクチクとけっこう痛い。
 ……カサカサカサッ…チクチクチクッ…カサカサカサ ッ……。
 ま、いずれそのリスの運動にも慣れてはいくのだが、あすなさんの原稿をもらうには、それなり
に担当編集者も大変なのだ。
 ところで、あすなさんには、元トラックの運転手のY氏という、あすなさんと同年代の 同居人
がいた。
 その昔、世田谷の奥にあった外人ハウスにあすなさんが住んでいた頃、やっぱり同居人 が
いた。
 どこの国の人か忘れてしまったが、若い白人男性だった。彼は、ヒッチハイクで 世界旅行
の途中とかで、日本に来てからはあすなさん宅に居候しているようだった。
 原稿取りに行ったとき、あすなさんに、この人は友人のナントカという人だと、紹介して
もらい、英語で話しかけられた私は、ひどく驚いてしまった。
 当時、東京の街で見かける白人の数は少なく、私には、男でも女でも白人というだけで、
みんな外国映画の華やかなスターか、すごいお金持ちのように見えた。
 そんなふうだから、 突然、目の前に現れた若い白人男性に対して、英語の話せない私は
めったやたらとアガッ てしまい、オドオドしてしまったのだ。
 それで、私は、その彼と握手だけしたのだが、何となく嫌われたような気がした。
 私は、その時、原稿の上がりを待ってあすなさんの仕事部屋にいた。
 そこに彼は帰って 来て、あすなさんの傍にいる私を見つけ、一瞬だが、不快そうな表情をした。
 あすなさんが、私のことを担当の編集者だと紹介してくれたので、彼の表情が少しだけ
和らいだ。
 それでも握手を交わす彼の笑顔はまだ硬く、その様子を敏感に察したあすなさんは、彼は
人見知りが激しいんだ、と言った。
 私は、人見知りの激しい者は同じ人見知りの激しい 者同士仲良しなんだ、と単純に考えた。
 そんな記憶が残っていたものだから、あすなさんが葉山に引っ越した当初は、同居人の Y氏が
人見知りする人だと聞かされて、私は、また嫌われたらどうしよう、と思った。
 しかし、そんなことは杞憂に終わってしまった。
 始めの頃こそ、Y氏の態度はどことな くギクシャクしていたが、私が原稿待ちの泊まり込みを
している間に、Y氏とは自然と親 しくなった。
「な、明子ちゃんは話せるコだから、まず話してみろと言ったろう」
と、好き嫌いが激しく人見知りをするY氏にむかって、あすなさんは笑いながらこう言っ たものだ。
 その時期は、本当は締め切りももうとっくに過ぎていて、毎号、毎号、内心ひやひやも の日々
……。
 しかし、原稿を待つ間の私は、毎日Y氏から台所仕事のイロハを教えてもらっていた。
 一人前分のインスタントラーメンが少ないようなら、半分に割って一・五人前で遣うと か、串カツ
用の玉葱が無ければ長葱を代用し、串カツ用の肉が無ければ安い豚バラを使う とか、Y氏の
主婦ぶりは、実に男性らしく合理的で、料理本に載っていないことばかりだ った。
 基本的なお米の研ぎ方、少ない材料で作るおかずの工夫の仕方……私は、まるで、原稿
取りに来ているのか、家事見習いに来ているのか分からないくらいだった。
 Y氏は、家庭菜園もやっていて、西瓜がうまく出来たから食べろ食べろ、と私に勧め、 旨いか
旨いか、と聞き、私が甘くて美味しいと言うと、実に嬉しそうな顔をして、もっと 食べろと言って
くれた。
 時には修羅場の真っ最中だというのに、あすなさんの眠気覚ましと称して、Y氏と私は
あすなさんの机の前を陣取り、ふたりして交互に知ってる限りの歌謡曲を大声で歌ったり もした。
 あすなさんの遅筆のせいで、他社の雑誌とうちの雑誌の締め切りが重なったことがあっ た。
 明朝まで印刷屋に渡さなければふたつとも原稿が落ちるというとき、深夜、あすなさ んは、
 他社の担当編集者と私に、大丈夫! 絶対落とさないから、と力強く宣言した。
 実際、あすなさんは、2誌とも原稿を落とすこともなく、無事に上げてくれた。
 そんなときはY氏も、リビングルームの大きなテーブルで、他社の助っ人編集者に交じ って、
私と一緒に一生懸命ベタぬりを手伝ってくれた。
 いよいよ時間が無くなってきたとき、あすなさんは、最後に残った数枚の原稿を、カッ ターで
コマごと切り離してしまったことがある。
 ギョッとする私に、あすなさんは、
「こうしてバラバラにすると、全員で仕上げができるだろう? 出来上がったら、裏から また
セロテープで貼りゃあいいんだ。印刷しても判りゃあしないヨ」
と、アッサリ言いのけた。
 私は、その合理的な仕事ぶりに、あすなさんとY氏は相通づるものがあるナァ、と変に感心
してしまったことを覚えている。
 あすなさんとY氏が口喧嘩している場所に、偶然居合わせてしまったこともある。
 あすなさんが私を見て、プイッとふくれっつらのまま仕事部屋に引っ込み、残されたY 氏は、
私を相手にひとしきり愚痴っていた。
 喧嘩の原因などもう忘れてしまったが、ほん の些細なことだった。
 大人のあすなさんが子供のようなことで喧嘩するんだ、そう思うと、私はなんとなく嬉 しくなった。
 そして、Y氏は、私のようなチンピラ相手に愚痴を言ってる、と思ったら、 私はあすなひろしの
家庭に入り込んでいるんだ、という実感が込み上げてきて、もっとも っと嬉しくなった。


 葉山時代から十数年の歳月が過ぎた。
 あれから私は、あすなさんと一度も会っていない。
 その後、しばらく私は、編集現場を離れていたが、再度現場に復帰したときには、もう あすな
さんの噂は聞かなくなっていた。
 あすなひろしという感性豊かな漫画家は、今度は、本当に行方不明になっていたのだ。
 昔から、あすなさんに関しては、いろんな噂が飛び交っていた。
 あすなさんが、若い男の子のアシスタントに、恋心を打ち明けて迫ったとか、しばらく 描いて
いない時期があって、それはアル中だかヤク中だとかをしてて病院に入っていたた めだ、とか、
実にドラマチックで様々な噂だった。
 あすなさんのアシスタントをしていた女の子からも、それと似たような話を、直接聞い たことも
ある。
 その度に、私は驚き、その場で噂を信じ込んでしまっていたが、あすなさんに会うと、また
すぐ忘れてしまっていた。
   噂がどうであれ、私が、あすなさんに、随分可愛がってもらったことは事実だ。
 それは、私があすなさんの一番下の妹に似ていたせいかもしれないし、十九歳で初めて
会ったときから、いつまでたっても女を感じさせない、元気だけが取り柄なところが気に 入られ
ていたのかもしれない。
 昔、あすなさんが三鷹のアパートにいた頃、私は雨に濡れて行ったことがある。
 ソックス脱いで風呂場で足を洗いなさいと、あすなさんは言ってくれたが、私がモジモ ジして
いると、ああ、女の人はパンティーストッキング履いてるもんねえ、と、すぐ気付 いて、そう言い
ながらも、その一瞬、あすなさんに不快そうな表情が走った。
 あすなさんって、女を意識させるような女性が嫌いなのかもしれない、私は、風呂場で
ストッキングを脱ぎながら、ぼんやりそう考えていた。
 以来、私は、あすなさんの前では、私自身をそのままあすなさんに気に入ってもらおう と、
ことさら、ガサツで単細胞な担当編集者として、いつも明るく元気に振る舞った。
 ところで、私があすなさんを担当している間、世間から話題作になるような、明るくて 元気な
漫画は、とうとう描いてもらえなかった。
 親しくなり過ぎると、逆にいい作品が描けないんだよね、と、以前にあすなさんが言って いた
が、本当にそうかもしれない。

 あすなさんに関しての噂は、何も聞かない。
 私は、今でもあすなひろしという漫画家が大好きだ。
 子供の頃、あすな漫画を読んでロマンチックな気分に浸り、大人になってからは、あすな漫画
で泣いたり笑ったり、いっぱい感動してきた。
 私は、相手に悟られないような心遣いをするあすなさんの優しさや、あすなさん自身、 その中
に常にゆらゆらと哀しみの澱のようなものを秘めている、感受性豊かな心が好きだ。
 私にとって、あすなさんは、やっぱり子供の頃から好きだったあすなひろしなのだ。
 たとえ、あすなさんが過去に何をやっていようと、今、何をやっていようと、また、ど こに住んで
いようと、私の好きなあすなさんであり続けることは、少しも変わりはない。
 私の心に在るあすなひろしという人間は、いつでも私の心を温かくしてくれるーー。
                                                    【おわり】

1996年2月 記


あすなさんは、2001年3月22日、故郷の広島にて逝去されました。
 享年60歳。
 後日、私があすなさんの死を友人より知らされたのは、それから半年後のことでした。
 あすなさんに関する情報は……
コチラです。